ちょっと難しいタイトルですが
「個人を捨てた状態が非個人」
個人を捨てた、というと
なんだか自分を生きてなくて
誰かのために生きていそうな感じですが
そうではなくて
自分を真に生きてこその非個人です
世界は自分であり
自分は世界である
一は全で
全は一(鋼錬!)
目にするもの
感じるもの
すべてが自分自身です
出会う人
出会わない人
すべてが自分自身です
すべてが自分の中にあり
すべての一部が自分です
獅子座の9度10度を考えていて
自分の創造性で
世界が満ちていく様子をイメージしていて
タロットカードの
15悪魔のカードを思いだし
自分を世界に押しつけていくこととリンクし
ぶわっと自分が広がったんです
実際は目に見えない
それこそ世界すべてを内包するような
すべてが愛おしい
世の中で起こっていること
すぐそばで起こっていること
誰かと誰かの関係
誰かの言葉
すべてが
自分のことであり
その一部であるということ
なんとも言えない感覚です
子供の頃からときどき感じていたけど
これはとても大事なことかもしれない
通勤中も
仕事中も
食事中も
何をしていても
見えるものすべてが
自分の中でも起こっていること
あの人もこの人も
自分の中にいる
それと同時に
誰でもなくて
何でもないということ
そんな風に考えてみると
痛みも喜びもとても愛おしくなります
