好きや嫌いって
なんとなくわかりやすいもの

ただちょっとその“嫌い”に少し
居続けてみてほしくて

「好きなことをやりましょう」
「嫌なことはやめましょう」

みたいな空気感がいつの間にか
マイノリティになってるような時代に

“嫌い”にフォーカスしてみるの。

それが強烈な怒りや嫌悪感、気持ち悪さを伴うなら
なおさら。

わたしは性のこと
セクシュアリティのことなど
発信していますが

セックスのことや
女になろうとするとき
吐き気がしたり
嫌悪感や怒りを感じる時がありました。
(今は暇さえあれば考えているくらい大好きな分野です)

それを発信している人をみると
なんとも言えないジリジリとした
感覚が肝臓や胃の辺りから
上がってくるのでした。

看護の仕事もそう。

ずっと看護師という仕事が嫌いで
それを選び続けている自分が大嫌いでした。

30代を嫌いだらけの中で過ごし
今年で終わる30代の今。

40代に向けた終活みたいなのが
一つのテーマになっていて
歩いてきた道を振り返ることが
よくあります。

その中でわたしは

嫌いの中で本当の愛するものに出会ってきた

ということを
しみじみと感じるのです。

嫌いも愛してあげたい
という想いがいつからか湧き上がっていて
ちゃんと嫌いは嫌いになりながら
自分の中に愛を育ててきたみたいな
そんな道だったような。

嫌いから逃げ続ける限り
何度も何度も何度も何度もやってくる
その状況に

やっとわたしは
“本当はそれを誰よりも愛していた”
ということに降参し
正気に戻りました。

キレイでいたかったり
いい人でいたかったりするとき

なぜだか嫌いを排除したくなる弱さは

肚とカラダとハートが自分の中で
闘っている状態で

その時って
なにかやっぱり苦しみを生む気がしています。

そこに降参できたとき
自立が待っている気がしていて

自分の道を受け入れたその先の選択の質が
小さいものから大きなものまで
変化してきているように感じるのです。

決断したり行動するその行為と
肉体が伴っているような合致感は
ふわふわしただけの勝手気ままな自由ではなく
責任を伴った本当の意味の自由へ

セックスライフは心地よくより自由さを増しているし
性や肉体の研究やセルフケア
表現することへのコミットは深くなり
ハートオープンの状態であること

生活の一瞬一瞬に豊かさと感動を感じながら
生きていられることが
ありがたいなって
思うのです。

はげしく嫌い。の中に
豊かさや愛 幸福感や安心感など

探し求めていたときには
いつ見つかるのかわからなかったものが

ずっと目の前にあったことに
気がつくのです。

Love ∞ life is Ecstasy♡
💋💋💋




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