自然、地球とリズムを合わせる


スピリチュアルにハマって
精神性ばかり高めよう高めようとしていたとき

“全体”としての
バランスが崩れているにめかかわらずに
エゴの抵抗でずってそれを握りしめている時期がありました。


わたしの場合は
強制的に

「地元に帰らされる」

という形で
自然や地球とリズムをあわせて
生きるという

“私”というエゴ的なアイデンティティを
脱ぎ去り“わたし”になっていくというような
流れだったように思います。


わたしの地元は東北の雪深い山の麓。

嫌でも四季を感じざるを得ないし
なにせ冬は厳しいもの。

それが嫌だったし

“都会で暮らしてる私”
であることが一つのステータみたいに
なっていたから

帰ると決めた(決めざるをえなかった)ときは
最大限まで抵抗がおきましたw

地元へ向かう車の中で
涙が出たり怒りがこみ上げ叫んだり
わざと遠回りしたりw

無駄な抵抗に過ぎませんが
エゴは“そういう形”で表現してくるけど
もうなにかに運ばれているかのように
地元へ着き

今はもう帰ってきて3年くらいになりました。
毎日楽しく過ごしています。
そしてすごく自由です。


帰ってきてからも
「都会人でいたいプライド」が見え隠れし
そのたびに人間関係で嫌な気分を体験させられ
少しずつ少しずつ“あきらめ”と共に
ここで生きていくわたしを受け入れてきた感じがします。

周りは緑に山に川に風、空、太陽だらけ
冬には雪。
おかげで?精神性に偏りがちで
グラグラだった足元も大地を踏みしめる感覚を
感じながら生きている感じがします。


スピリチュアリティは
大自然との調和恩恵の中にある
わたしという生命体に与えられたチカラを使って
このセカイに愛を表現していく
みたいなことだと思っていて

なんとなくの感覚ですけど
高めるだけだと繊細過ぎるというか
細い枝葉のような感じがしていて
心もとないところがあったり

高めることと幅を広げること
そして圧を高める?
みたいな感じで
幹や根も育てていくようなことが
結構大切何じゃないかと
思います。


外的要因に“自由”を期待し求めていたときより
今のほうが遥かに自由を感じている。

便利な交通機関も
おしゃれなカフェやショップが少なくて
行く場所にこまるし
冬は吹雪で前が見えないけど

内側の自由はどんどん拡がり
いつでも自由だという気楽さと
安心感がハートの中にある

そんな感覚で生きられている
今です。