石巻 ボランティア(3月末)① | としくんの背中を追って生きるゆかりんのブログ

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2008年4月
としくんの旧ブログスタートをきっかけに始めました。

夢に向かう途中のゆかりんが綴る、としくんのこと。
ぼちぼち復活します。

過去のとしくんレポは、できる限りLOVEさんたちに共有したいです。
リライトして公開していきますのでお待ち下さいね!


・・・お待たせしました。

かれこれ2ヶ月もたってしまって、
「今さら」かもしれませんが・・・

3月末に行った東北ボランティアのレポ、書かせて下さい。


どうやって伝えたらいいか、公開すべきかどうか・・・
いろいろ悩み始めたら、なんだか深みにはまってしまって、
レポを公開するまでにすごく時間がかかってしまいました・・・。

でも、ある『出来事』、『出会い』から、
「私自身が見てきたこと、感じたことを素直に伝えればいいんだ。」
って思えたから・・・
私なりの言葉でも、伝える必要がある と感じたから、
思うままに、綴らせて頂きます。


読んで下さる方それぞれの背景によって、
感じ方もさまざまだと思います。
気分を害されたり、当時を思い出してしまったりすることも
あるかもしれません。

私も充分言葉を選んで書かせて頂きますが、
ふさわしくない表現等があったら申し訳ありません。

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今回は、初めてということもあって、ツアーでの参加にしました。
大阪からのツアーが少なくて、どれも満席だったため、
東京発のツアーで行ってきました。

東京までの行きは、いろいろ悩んだ末、
体力的なことも考えて新幹線で。

そして、東京駅八重洲口を夜に出発するバスに乗り込み、
東北道を通って・・・宮城県石巻市へと向かいました。

バスの添乗員も、ボランティアの方でした。

その方は岩手出身で、自分自身は大きな被害はなかったけど、
何か自分にもできることはないか・・・と、
ボランティアで添乗員をさせて頂くことにした と話してくれました。

そして、ボランティアを通して、地元の方から聞いた貴重なお話を
バスの中で語って下さいました。


『自宅にいる時に津波が押し寄せてきて、屋根の上に逃げたら
隣の家の屋根に、子供2人が取り残されていて、
助けなきゃ!と水に飛び込み、2人の子供を両脇に抱えて
必死に泳いで避難しようとしていたところに・・・
「助けてー!」と必死に叫びながら目の前を流されていく女性。
その時は「ごめんなさい!」と言うのが精一杯で・・・。
今は、その人の分まで、生きていこう!と決めました。』
そう話してくれた男性のお話。


『津波が引いて、自宅に戻ったときのこと・・・。
1階部分に、見知らぬ人のご遺体を発見しました。
しばらくは、1階部分はブルーシートで覆ったまま2階で暮らしていましたが、
やっとリフォームをすることに決めました。
そして、どこのどなたかは分からないけれど、
その方の分まで頑張って生きよう・・・そう思いました。』
と話してくれた女性のお話 など。


そのお話を聞いて、「生きる」ということの意味を、
本当に深く考えさせられました。



・・・・何箇所かサービスエリアに立ち寄りながら、
早朝に石巻に到着。

現地では、雪が積もっていて、
到着した時には、冷たい雨が降っていました。

いくつかの電柱?外灯?以外は、一面雪が積もった平地。
なんちゃって主婦の~夢に向かって~


それぞれ朝食を取った後、さらにバスで1時間ぐらい??で、
実際にボランティア活動をする場所、牡鹿半島に到着。
なんちゃって主婦の~夢に向かって~

なんちゃって主婦の~夢に向かって~

いくつかの建物とガソリンスタンドがある以外は、
駐車場のように砂利が敷き詰められたような広い土地が
広がっていました。


・・・ところで、「牡鹿半島」って、どこにあるかご存知ですか?

岩手県から宮城県に南下して、三陸海岸の南端にある、
太平洋側にひょこっと突き出た半島が牡鹿半島です。

ちょっと見にくいですが、現地で頂いた資料に載ってた地図を
載せておきますね。
なんちゃって主婦の~夢に向かって~


・・・到着して、まずは活動しやすい服装に着替えました。
(男女交代でバスの中で着替えました。)

3月末とはいえ、所々に雪も残るほどの寒さ。
防寒対策は必須。

私は、上は、ヒートテックに長袖Tシャツやジャージなどを
着込んだ上に防寒・防水のウィンドブレーカー。
下は、タイツにジーパン&ウィンドブレーカー。
そして、ニット帽・マスク・軍手+ゴム手袋・長靴・・・という服装。
周りの方々も、大体同じような服装でした。


その後は、拠点となっている旧牡鹿公民館の中へ。
なんちゃって主婦の~夢に向かって~

現地のボランティアの方がお話をして下さいました。

地図でもわかるように、海に囲まれた牡鹿半島は、
震災の津波で、壊滅的な被害を受けたそうです。
中心となっている漁業や養殖業も甚大な被害を受けました。

また、震災によって牡鹿半島は、震源のある東南東に
約5.3m移動し、約1.2m地盤沈下する・・・
という観測史上最大の地殻変動がありました。


でも、主要都市と比べてメディアに取り上げられにくく、
ボランティアが集まりにくいこともあって、
復旧作業・復興作業も遅れている とのことでした。

島に住んでいた4500人のうち、約1/3は島外に流出してしまい、
特に若い世代を中心に島を離れてしまっているとのこと。


「また、この島に戻ってきてもらえるように・・・」

「『また住みたい!と思える状態まで復興させること』
を目標に活動をしています。」

というボランティアスタッフの言葉が、強く心に響き、
私自身、ずっとこの言葉を思い出しながら活動していました。


・・・後から分かったことですが、
現地で指揮して下さっていた若いボランティアのお兄さんは、
現地の方ではなく、東京からボランティアに来ているとのことでした。

凄く凄く、頭が下がる思いでした。


そして、その後に見せて頂いた、震災当日の映像。
本当に衝撃を受けました。

映像は、高台から撮影されたとのことですが、
目の前の建物が次々に水に押し流されていました。

同じような映像は、震災直後、何度もTVで見ていましたが、
改めて目の当たりにして、言葉を失いました。

一番衝撃的だったのは、
今、自分が立っているこの地が、
波に飲み込まれた地であること。

そして、自分が今、目にしている光景は、
震災前とは変わり果てた姿であること。 でした。


この場所に到着した時にバスを停めた場所も、
駐車場なんかではなく、家が立ち並ぶ住宅街で、
映像では、その家々がみるみるうちに津波に飲まれていきました。

私たちが映像を見せてもらった牡鹿公民館の1階部分も、
すべて浸水した状態でした。

・・・後から公民館の外に出て見てみると、
1階部分の窓ガラスはすべてなくなっており、
木の板がはめ込まれていました。
なんちゃって主婦の~夢に向かって~

この後、ボランティアの活動場所に向かいます。


・・・つづく。