新入生☆
入学式でお隣さんになった子とは、なんだか運命の出会いのような気になって
「大学生活は、この子と一緒に!!」なんて思ってしまう・・・・一ヶ月くらいは・・・・
GW明けにはきっと、どちらかが、もっとフィーリングの合う友達とお出かけするようになってい るか、はたまた、新歓コンパで会った男前の先輩を巡る陰険な争いと化していることでしょう。
大学に入学して、早いもので六回目の春を迎える。その度に、何度も見てきたこの光景。
でも、こういう経験は、人生の上で必要な勉強であると思う。
人は孤独が嫌いで、賛同者を求める。
だけど、ある時、もっと、自分を分かってくれる人に巡り会ったりしてしまう。
その時、今まで一緒にいてくれた人にはなんと伝えればいいのだろう?
「もう、会えない」と正直に言うのか、「最近忙しくって」とはぐらかすのか。
何度も、そんな出会いと別れを繰り返したら、きっと自分にぴったりの完璧な別れ方を見つけられるはずである。
大学は社会人になるための最期の学習ステージ。
足し算やかけ算、漢字や法律も大切な学習だけれど
人との出会いと別れの学習も貴重な勉強ではないだろうか。
新入生の皆さんがたくさんの楽しみとたくさんの切なさを経験してくださることを願って・・・
本日。木屋町
桜が咲いている。
木屋町の桜は、私にとって、「優雅と粗野」が融合した街である。
この都は、洗練されたモノと、そうでないモノの区別がとても激しい街であるけれど、
この木屋町の桜だけは、どんな人にも、平等にその美しさを見せてくれるような気がする。
例えば、それが、丸山公園や白川、哲学の道であれば、そうはいかないでしょう?
貧しい者には、朝焼けの桜と会うことしかできず、富持つ者のは、夜桜の下が最高の利益を産む場所。
でもね、この木屋町の桜は、私がこの都に来た時から考えても、多分、最も長く咲く桜である。
この桜だけは、この都の、どんな人にも平等で、どんな人にも優しい。
最高の桜であると私は思う。
「妄想」しちゃいませんか…?
十二時過ぎ。 ベットに入った。
普段よりも確実に早く眠りについたはずなのに…
勉強したばかりのせいか、何気に飲んだミルクティーのせいか
それとも、読み慣れない経済学書なんかを読んだためなのか…
まったく眠れない…。
体は疲れきっているのに…頭はサエサエ![]()
どれくらいマドロミの中にいたのだろうか…
気が付けば五時半。
結局、ほとんど眠りについた記憶のないままに今日を過ごすことになった。
こんな睡眠不足の日。私は決まってやってしまう事がある…。
それは…
も
う
そ
う
『妄想』
これを【白昼夢】というのだろうか?
昔、あまりにも妄想に耽っている自分が怖くなり、調べてみたことがる。
【白昼夢】に耽りすぎ、日常生活に支障をきたすのは<自己愛性人格症>の場合が多いらしい![]()
しかしながら、只今、四月六日一時過ぎ。
テレビでは、久本雅美やMEGUMIの「女だらけの恋愛妄想選手権」という番組が放送されている。
よかった
どうやら、『妄想』するのは、女の性であるらしい…。
テレビとはいえ、私よりキワキワ
の妄想上級者が総出演である。
これから考えれば、きっと、一般人の妄想なんて大したことはない![]()
ちなみに、本日の私の「妄想」は…![]()
昨日、息抜きに大好きな作家の本を見ていたせいだろうか
憧れのLさんと夕方からのデート![]()
質問攻めの私に、口数少ないながらも、笑って答えてくれるLさん
ほろ酔い気分で、バーのカウンターに並んで座る
「あの~。Lさん。お願いがあるんですけど…」と私
「何?」と、目だけを動かして聞くLさん
私は内緒話をするように「あの、キスしていいですか?」
Lさんは少し笑ってキスしてくれる…
という、ささやかな妄想だったのですが…![]()
それでも、こんな事を考えながら、きっとニヤニヤと締りのない表情であったかと思うと…![]()
やはり私、病気なのかも…![]()
なんて思ってしまいますが、妄想する事は、かなり手軽な非日常。
たまにならいいかな![]()
なんて、自分を許してあげた今日この頃でした![]()
ダンスは上手く踊れるのか…
3月も終わりに近づき、桜の便りも届くような水曜日
寺町二条のクラブで行われたイベントに出かけて行った
一番の目的はフラメンコ![]()
プロのフラメンコダンサーによるフラメンコを一度見たかったからだ
近くでスペイン料理を頂き、ピッチャーでシェリー、ワイン二本を七人で![]()
まずまずのスタートをきった我々は、時間に急かされクラブへ向った
会場は既にいい雰囲気。缶ビールを片手にカウンターにから、ステージを見る
フラメンコギターと呼ばれる専用のギターと女性のシンガーが音楽を奏でる
(ちなみに意味は分からない…)
手拍子とダンスのステップが空気を揺さぶり、自分の鼓動と重なっていく気がした
「もっと、近くで見たいな…」
小さなお願いを神様が聞いてくれたのか、たまたまステージの真横に行くことができた
ステージを向って左側面からみると、ちょうど、右上にあるオレンジのスポットライトが
スペインの夕日のようだ
(行ったことないけど…)
ダンサーの息使いと表情は、決して幸福そうではないけれど、その苦悩と苦痛の表情からは
スペインの乾いた大地と虐げられる労働者の影を見ることができた
原始、ダンスは単なる娯楽ではなかった。言葉がない状況において、それは愛を伝えるツールであり
感情を表現する手段であった
情熱的なダンスを見た時。我々の血の中の原始のDNAが目覚めるのではないだろうか。
言葉を交わさず、意味を理解できなくとも、
そのダンスは、同じ空間にいた人々の本能的な感情を確実に覚醒させていた。
エーデルワイス
エーデルワイスをご存知だろうか?
そう、あの小学校の時、誰もが縦笛で演奏した、あの曲
そう、名作「sound of music」で歌われる、あの花
エーデルワイスは、その歌にもあるように、白く 可愛い 儚い花だ
先日、ある偶然から、明和電気のコンサートに行った。
コンサートの内容は…アットホームな感じ?
とでも言おうか、マニア・まにあ・マニア…
しかし、さすが明和電気 土佐社長!!彼の新たなプロジェクトに私は力強く抱きしめられた心地がした
エーデルワイスという名のそのプロジェクトは、土佐氏自身の理想の女性を探すべく立ち上げられた企画であるらしい。
白を基調とした清潔さと愛らしさの中に、女性の持つ哀れな程の冷たさと驚愕する程の恐ろしさを合わせたアイテム。
中でも、私の一番のお気に入りは、とても綺麗な鳥籠だった。
底面の薄いタライには、金魚が泳ぎ、その上には螺旋状の針が吊るされている。
しかも、その針は、時間の経過と共に、次第に下りて、運が悪ければ、金魚さんに刺さっちゃう![]()
完璧な美のフォルムに、完全な狂気
まさに理想の女性の姿ではないか
明和電気 土佐社長はまさに、そんな女性の本質を理解した人なのだ
これから考えると、芸術家とは単に芸術的センスの長けた人ではないのだろう
彼等は神の心理に気づき、何かを作り出すことで神に近づいた人なのではないか
土佐氏はきっと、そんな人間から、一歩だけ神に近い芸術家なのではないか
ちなみに、エーデルワイスは、本当に可愛らしい花だけれど、生息地帯は標高の高い岩場であるらしい。
現地の人でも野生のそれはほとんど見ることがないらしい。
理想の女性とエーデルワイス。どちらも、獲得するには命をかけなければならない…
桜
この地球には、何千、何万の花があるのだろうけれど
桜ほど人に好かれる花はないのではないか
こと、日本人に関しては、それは余りにも顕著で
春ともなれば、八坂神社は観光客のメッカから一変し、酔っ払いの見本市と化してしまうほどだ
春の季節。
哲学の道での深夜の花見は、私にとって、もはや京都の行事となっている
大抵の場合、花見はお昼頃から催されるものであるが
私の場合は、朝の五時。銀閣寺前に集合である。
人数は多くて5人。それ以上だと統制がとれず、徐々に声が大きくなり、終いには警察の方がいらっしゃることもありえる…(別にヤマシイ事をしているのではなく、単にウルサイという通報で、叱られる)
なので、ベストはやっぱり二人かな。
ミニのシャンパンにストローをセットすれば準備は完了☆
薄青の空気の中を白ともピンクとも言えない淡紅のゲートの下を通る
ベストとしては、満開の時期。
道中はまるで幻想の世界である
喧騒の中でなく、水の流れる音を聞きながら、静かに歩く桜道
一時間もすれば、その魔法は解けてしまうのだけれど
周囲が明るくなるまでの「魔法のかかった時間」を古の人達は満喫していたのだろうと思うと
なんと贅沢なことであろうと思ってしまう
桜は散る
命あるものの宿命を、そして美しさの極限は「儚い」ということを
この花は毎年一度だけ、教えてくれるのである
PS ちなみに今年の桜の開花予想は3月28日であるらしい(H氏情報)
LOVE SENCE
例えば 靴
MY BESTはTODSのそれであっても、友人にとってマノロであったり、ROSSIであったり…
選択の基準も違えば、評価の基準も全く異なる
ただ、唯一、共通しているのは、それを選んだのは「好き」という思い込みという名の感覚だけである
先日、某水族館でのこと。
初めて、シャチのショーを見ることになった
三十分の予定のそのショーは、実質、十分程で終了してしまった
理由は、「シャチがトレーナーの指示を聞かず、一頭のイルカの後を追いかけていたから…」
同行していた人が「シャチはあのイルカが好きなんだね」と笑った
最高気温3度の海風の吹くその日
沢山のエンターテインメントを味わったはずなのに、私の中にはなぜか
あのシャチとイルカが…
何かが不思議だと思った。
シャチなのに?イルカなのに?SHOWなのに?限られた空間の中で?
今日、私は試しに一つの答えをだしてみた
あのシャチにとって、相手がイルカであるなんて、全く関係ないことなのだ
きっと、彼等が海で育ったモノならば、食物連鎖の一仕組みでしかありえない
でも、彼等は今の環境を生きている
そして、シャチはイルカに恋をした
もしかすると、シャチは自分をイルカであると思っているのかもしれない
それでも、今、シャチはイルカに恋をした
辛く苦しい恋かもしれない
けれど、辛くない恋なんてあるのだろうか?
「傷付くのが怖い」と言った少女がいた
でもね、傷付かない恋など、きっとない
彼女の最終目標が結婚という二字であったとして
それを実現してしまっても
それはゴールなんかではありえない…。多分…
誰かを好きになる事に理由などない。
結婚とか、自己実現の手段として、相手の条件を規定しても
それは「好き」ではなくて「好都合」であるだけだ
一緒にいたくて、知りたくて、知って欲しくて、知りたくて、怒ってほしくて、怒られたくて、
触って欲しくて、触りたくて、笑って欲しくて、同じ呼吸をしたくて…
感情の積み重ねが「好き」という言葉になるのだと
湧き出る感情を制御する方法を私は知らないし
今は知りたくはない
「好き」という感覚は知らず知らずに形となって現れてしまう
あの少女がシャチのように、その感覚を恐れずに受け入れた時
彼女はきっともっと素敵な女性になるのだろうと思った
祇園の夜から
人間観察の好きな人にとって、「街」は単に生活の基盤というだけではない。
「街」そのものがエンターテインメントなスペースである。
昼間のカフェで、道行く人を観察してると、不思議な人が沢山である。
職業不詳のおじさん。有り得ないくらいの若造りおばさん。なぜか靴だけカジュアルなサラリーマン。
明らかに不倫のカップルもいれば、勘違いの甚だしい学生まで…
こんなに平和な昼下がりに…。まさに「人はばけもの」である。
しかしながら、昼間の路上を昼ドラ級に面白いとするならば、夜の祇園街は、劇場版である。
画像、音響、出演者etc全てにおいて「造り込んで」ある。規模が全く違うのだ。
出演者も比較にならない。
難民から、超セレブまで、沢山のジャンルの人間が出演している映画なのだ。
草履履きのおちゃんと運転手付きの車に乗った社長さんが、花見小路のあっちとこっちですれ違っている。
この街にいれば、人間界の構造を一夜にして見ることができるし、この街で多くの朝を迎えれば、人は本質的に皆同じであるってことも分かってしまう。
この街で「働く」ことは、人間を知るのに最も有意義である。
欲望・愛・嫉妬・裏切り・情熱・悲観・快楽・希望・怒り・憎悪…
人間の持つすべての感情に触れて、珠に経験したりする。
昨日、一人の男の子が、祇園を卒業した。
彼と初めて会った時、「祇園っぽ~いっ」と思った。
「水商売っぽい」という事ではない。
この街では、「自分」がないと生きていけない。
自らを知り、何者なのか、何になりたいのか。主軸を持っていなければ、この街のパワーにすぐに飲まれ
自らを見失うことになる。
そんな「祇園っぽい」彼が、祇園を卒業し、自分の道を歩き始めた。
きっと、彼にとっては、祇園で働くことも、自分の道を歩くことであったのだろう。
彼の最期の夜。お店はお客さんで埋め尽くされていた。
皆、笑っている。美味しそうにお酒を飲んでいる。
彼との別れにやって来て、自分が楽しくなるなんて、なんて素敵な時間だろうと思った。
そして、そんな人たちに囲まれている彼を、きっといい奴なんだろうと思った。
自分の夢に向う彼に、素晴らしい未来がありますように…。
そして、「頑張ってるね」と本物のスクリーンに向って言える日を期待して…

