こんにちはドキドキ

春が近いですねチューリップ赤チューリップ赤



今日、原発問題からの、私の小話


賛否については、語りませんパー



今、東京電力がいろいろ言われてますが、、

こういうときに、

東京電力関係に(社宅とかお子様など)嫌がらせとか発生しないようにと思います汗汗


音符まずは、問題解決最優先。


これからの原発については、
冷静になってから、議論すればいいのかなと・・・


今、思いは一つパー


安全性確保に最善が尽くされることを願う気持ち


本題、、、


もし、今は亡き祖父が

現役で関西電力にいる頃の出来事だったら、

祖父はテレビに出ていたのかなと思い、振り返って書きますメモメモ



昭和初期から電気事業に貢献した祖父は、


晩年、通産省(今の経済産業省)や電気学会から表彰されたりと、電気の世界で活躍。


専門は、発電から送電の部分、送電線。



そんな中、戦前に台湾電力に支援に行き、水力発電の事業に携わり、


台湾の日月潭にずっと住んでいました。


キラキラキラキラ私の母は、そのとき台湾で生まれました。
キラキラキラキラ



そんな祖父は、原発推進派でした


注意注意注)ここに向けての批判コメントなど、受け付けません。

死人に口なしなので、、、


私は小さい頃から、

「原発がないと、日本は生きていけない。

石油もない日本を支えるのは原発だ。
みんなの暮らしのためだから、ないと困るんだよ。」

と言うのを聞いてました。


私は議論とかすることはなく、
そうなんだ、、、と聞いていただけの若かりし頃でしたさくらんぼさくらんぼ



反面、

そんな祖父の娘である、私の叔母は、

クリーンエネルギー推進派で、

ある日、デンマークに風力発電を視察に行きました。

私が高校生の時でしたが、とても興味深かったですキラキラ


叔母に、
「デンマーク行ったときに、誰かペンパルを紹介して~ラブラブ」と伝えていたから、

私もデンマークのペンパルができる機会になりました。


当時、鹿児島で活動していた叔母です。


今にいたって鹿児島では、原発反対の団体が活発に活動していますDASH!


相反する意見の身内との出来事を思い出し、書いてみましたパーパー


もちろん、仲良しの家族でしたよ~


そんな二人と、小さい頃から、電力についてお話しをしてきた私、、

という、
ただのお話しでした音符音符音符