人生は旅。旅は出会い。いまという時間を一番楽しめる毎日にしたい。そんな日々を綴ります。ベルリンで完全大血管転位症を持つ息子を出産し、母となる。エンジニア。オランダ人妻。現在は東京在住。自分で作ったブログもあります。http://mycoupy.com/jp/
35週と4日。おばあちゃん(あたしのかかりつけ婦人科医)のところで若丸くんの心拍数を測ってくれた。これはCTG(胎児心拍陣痛図)というもので、寝転んでお腹にふたつモニターをあて、ひとつは胎児の心拍、ひとつは母体の陣痛が来てるかどうかを測るものだそう。30分ほど寝たままの状態で測定してる間、測定値が記された紙がずーっと出てきてた。若丸くんはモニターの音が嫌なのか動きまくってて、たまに「こつん」という音がして、主人はそのモニターを蹴ってるな、と言ってた。心拍数も問題なく、陣痛もまだ来ていないよう。それから超音波検査で、頭が下にあること、少し俯いていること、つまり出産にはベストポジションであることを確認してくれた。おばあちゃんはこれから3週間夏休みらしい…37週目に予定している産む病院での検査で、もしかしたら入院する日が決められるかもしれないから、そうしたら次に会うのは出産後6週間目ね、と。もし何も決まらなかったら9月13日に来てね、と言われた。ドイツっていつも思うけど、みんなどんな職業の人でもきっちり休みとるよね〜。(もちろん先生不在の時にも別の先生がいて、何かあったら来るようにと言われたけど。)まぁ、すごくいいことよね。鉄分も無事普通に戻ったらしく、今日から鉄分ピル1つを二日に一回でいいと言われた。最後に無事出産を祈ってるわね、次は赤ちゃんと一緒に会いましょう、と言ってくれた。Dr. Liepeに続き「無事出産を祈る」と言われ、いよいよ感が増してきたな。
34週と4日。今日は5回目(出産前最後)のウルトラ超音波検診だった。着くなり、Dr. Liepeにこないだの腹痛を伝えると、もしかしたら陣痛かもしれないね、と言われた。若丸くんは2388g、45cmまで成長してて、足も7cmまでおっきくなってた。足裏を激写してくれた。笑顔は今日はもう下におりてきて見れないかもねって言われたけど、すごくきれいに見れて、いい写真を撮ってくれた。若丸くんは超音波でもはっきりわかるぐらい大きくなってて、あたしは見た瞬間「あ。ぶたになったなー」と思ったほど。笑主人は若丸くんの顔を見た瞬間感動してちょっと泣きそうになったと言ってた。笑丸みをおびて、より赤ちゃんらしくなってきたね。先生は髪の毛もたくさんあるよと言ってた。産まれてすぐ髪といてあげないとねぇ、と言うもんで、え?そんなに?(゚∇゚ ;)主人の子やし、髪の毛は生えて産まれてこないだろ〜と思ってた。だってヨーロッパの赤ちゃんってだいたいスキンヘッドで産まれてきません?そこはあたし譲りか…まぁ、髪の毛が多いにこしたことはないわな。日本人の赤ちゃんらしく、髪の毛ふさふさで産まれてくるかな。心臓はDORV+TGAで前と変わりなく、先生はここまで成長すると骨もできあがってきて逆に心臓を見るのが難しいといって、結構時間をかけて見てくれていた。子宮頸管も長さがあるし、閉じてるので問題ないよと言ってくれた。最後に産まれたら無事かどうか、あたしの様子と赤ちゃんの様子と知らせてね、と言ってくれた。Dr. Liepeはすごくあたしたちのことを気にしてくれているようだった。そして部屋を出る前、次の子ができたらまた戻ってらっしゃい、と言ってくれた。ありがとう、Dr. Liepe。必ず元気な様子を知らせます。
33週と4日。先週の金曜日。夜ご飯のあと、ソファーに移動し始めたときからなんか下腹がきーんとするなと思い始めたときにはもう痛みがぐんぐん増して、気がつけば動けないくらいの痛みに襲われていた。下腹がきりきり、つーんとする痛みで、ずーっと痛いんやけど、鋭い痛みがやってきてはちょっとひいて、を繰り返し、クッションをつかみながら痛みに耐え、ずっと同じ体勢でいるから腰が痛いんやけど、あまりに痛すぎて動けず。とにかくソファーで寝転んでると腰にくる、と思ってそろりそろりとベッドへ移動。ベッドに座るのも寝返りをうつことも痛くてできず。しばらく横になってるとだんだん収まってきたのか寝てしまった。でも夜中に一度また鋭い痛みがやってきて「いたいーーー涙」と叫ぶも誰も何もできず。寝たような寝てないようなで朝がやってきた。起きたときには痛みはひいており、何もなかったかのようにすたすた歩けた。笑なんだったんだ。そんなことがあり、昨日はおばあちゃんの診察日。着いてそうそう、こんなことがあった!と説明。おばあちゃんは、原因はわからないけど、この時期は子宮が伸ばされたりして痛むこともあるのよ、と。次痛みが続くようだったら救急車呼んでね、とのことだった。若丸くんはポジションも心臓もバッチシで、何も問題ないよ、と言ってくれた。そしておばあちゃんに破傷風のワクチンをいつ打ったか聞かれ、いやぁすんごい小さかったときと思う、と言ったら、ドイツでは妊娠後期の妊婦には「百日咳・ジフテリア・破傷風・ポリオ」の4種類のワクチンを打つことを推奨しているとのことで、妊婦でなくても10年に1度打ち直すことが推奨されてるらしい。ということで打ってもらった。こうしてあたしもめでたく予防接種国際証明書を取得したのでした。笑診察はこれから2週に1回となります。
旅編第六回オーストリア|ザルツブルク前編|ザルツブルク後編|ウィーン前編|ウィーン後編|インスブルックはこちら。かなしいかな。オーストリアを去る朝がやってきた。涙いやだードイツに戻りたくないー。オーストリアにいたいー。なんて心の中で叫びながら、せっかくここまで来たし、ノイシュバンシュタイン城でも見とこか、ということで見に行ってきました。インスブルックからは車で2時間弱。国境を通過するのと山道のため、あまりぶっ飛ばせず、長閑すぎる自然道をドライブ。(国境通過といってもEU圏内のため特に入国審査があるわけではないが、トラックと普通自動車に分かれたり、国境を通過するときはゆっくり走行になるため、どうしてもちょっとした渋滞が起きる。)国境付近ではドイツで一番高い山ツークシュピッツェ(Zugspitze)が見えてきた。そしてあたしは眠りこけてしまい、主人に起こされ到着を知った。笑ノイシュバンシュタイン城は山の中腹に建っており、麓の駐車場までしか車で行けない。駐車場からはシャトルバスか馬車か徒歩。妊婦でなかったら歩いたんやけど、こんな山中のお城で産気づいても困るので、往復快適シャトルバスを利用。笑山中のシャトルバス停車場から山道を歩くこと5分。ようやくお城に到着!お城に入るには事前に予約が必要。あたしたちは予約した時間までお城の周りの景色を愉しんだりしていたけど、本当ならマリエン橋を歩きたかった。マリエン橋はノイシュバンシュタイン城が綺麗に見えるベストスポット。残念ながら2022年末まで工事中で通ることができませんでした。お城に入るツアーは15分〜30分ごとに開催されており、時間によってドイツ語、英語、オーディオガイドが選べる。コロナの影響でツアーごとの人数が制限されており、あたしたちのツアーはあたしたちを含めて8人だった。せまい階段を上り、5部屋くらい見せてくれる。お城の中は一切撮影禁止。煌びやかな部屋もあったけれど、どちらかというと落ち着いた色彩の内装だった気がする。そうしてお城も見れて満足したあたしたちは、せっかくここまで来たからローテンブルクも行きたいと言うあたしの要望に応え、あたしたち夫婦はロマンチック街道にある町、ローテンブルクに向かいました。ローテンブルクはバイエルン州にある中世の姿そのままで残る町。ドイツに来たからには訪れておきたい町のひとつです。今回の旅で訪れたザルツブルク、インスブルックに負けず劣らず小さいけれどチャーミングな町。日本人観光客が多いことを象徴するようにあちこちに日本語のサインがあった。この日はとてもいいお天気で、外でハンバーガーを食べ、町を一周した。どこを撮っても絵になる町ですね。結局滞在したのは2時間くらいだったけど、ふらっと訪れランチを愉しみたい、そんな町でした。コロナの影響と妊娠中ということもあって、行きたかったクロアチア旅行を諦めての今回のオーストリア旅行。夫婦二人きりで過ごす最後の旅行。体のことも心配したけど、若丸くんは10キロの歩破にも耐え、合計2500キロのドライブに耐え、元気に育ってくれていて、最高のベイビームーンとなりました。いまこれを綴っているのは1ヶ月後だけど、あのホリデーはあと2週間遅かったら無理だったと思う。もうあんなに歩けない。旅行は安定期のあいだとよく言うけれど、本当だなーと思いました。ベイビームーンに行く際は、28週目までに行くことをおすすめします。こうしてあたしたちの今夏のホリデーは真夏を目の前にして終わりを迎えました。これからはいよいよ若丸くんを迎える準備に入ります。
旅編第六回オーストリア|ザルツブルク前編|ザルツブルク後編|ウィーン前編|ウィーン後編はこちら。クロワッサンとコーヒーで簡単に朝ごはんをすませ、西へ約5時間、1900年代に2度冬季オリンピックが開催された町、インスブルックにやってきました。インスブルックはアルプス山脈の麓にあるチロル州の州都。ウィンタースポーツ地として世界的に知られており、またその位置から北はドイツ、南はイタリアに抜ける交易路の重要な中継地点の町でもあるらしい。あたしたちは着いてそうそうちょっと遅めのお昼を済ませ、町を歩き始めました。なぜかこの旅行でもとっても楽しみにしていたインスブルック。期待を裏切らなかった!まずはぶらぶら歩いてオリンピックのスキージャンプ台を見に行った。マリアテレジア通りの入口となる凱旋門。マリアテレジア広場。インスブルックはコロナの感染率がとっても低く(というか、オーストリア全土でとっても低い)マリアテレジア広場ではアイスやコーヒーを愉しんでいる人たちで賑わってた。そして路地を抜けると…見えてきた黄金の小屋根。インスブルックが文化と政治の中枢となったときの神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世が結婚したことを記念した建築物。あたしたちはこの前のカフェで、あたしは巨大なパフェ、主人はビールを愉しんだ。市内を流れるイン川に沿ってカラフルな建物が並んでた。インスブルックという名前は「イン川の橋」という意味なんだって。少しザルツブルクを思わせる小さくてチャーミングな町。訪れる人をぐっと惹き寄せる町の雰囲気。町には必要なものがあり、まわりは山で囲まれ。こんなところで学生生活送れるといいねぇ、と話す我ら夫婦。オーストリアに行く際にはぜひ!さて、あたしたちの旅はもう少し続きます。
旅編第六回オーストリア|ザルツブルク前編|ザルツブルク後編 |ウィーン前編はこちら。さて、ウィーン2日目の朝。「ウィーンに来たからにはカフェで朝食を」なんて知ってました?そういうことなら行きましょう!ということで行ってきました、Cafe Central。もともと宮殿をカフェにしたもので、内装がザ・ウィーン!笑あたしたちはベーシックな朝食セットを注文した。ウィーンといえばウィンナーコーヒー(Vienna Coffee)を思い浮かべる人も多いのでは?でも日本のウィンナーコーヒーのようにホイップがのったコーヒーではありません。ウィーンの定番コーヒーといえば、Wiener Melange(ヴィナーメランジュ)という「エスプレッソ+ミルク+ミルクの泡」が特徴。これがシルバープレートに水と一緒に出てくるというのが、ウィーンでコーヒーを注文したときの定番スタイルらしい。またもや朝ごはんを食べ過ぎ、重い腰をあげることになったあたしたち夫婦。電車+トラムの24時間乗り放題チケットを買い、ウィーンを歩き回りました。シェーンブルン宮殿(Schloss Schönbrunn)ナッシュマルクト(Naschmarkt)ベルベデーレ宮殿(Schloss Belvedere)ウィーンの宮殿はどこもかもとにかく敷地が広い!せっかく来たんだからと丘にのぼったり、端から端まで歩いたりと妊娠8ヶ月で10キロを歩破。笑もうお腹に足がつぶされるんじゃないかと思ったけど。ウィーンは住んでみたいなぁ、と思いました。新旧がうまく融合した町だなぁ、と歩いていて思いました。ザルツブルクは小さくてチャーミングで訪れるには魅力ある町だけれど、ウィーンは住んでみて良さのわかる町かなぁというのがあたしの印象で、いま振り返ってようやくウィーンの魅力に気づいたという感じです。ただ歩き回るには2日で十分だったけど、オペラを見たり、宮殿の中を見たりするにはもう少し時間が必要かな。それにしてもオーストリア、いいとこだ。さて、あたしたちはオーストリアの最終目的地インスブルックに移動します。
旅編第六回オーストリア|ザルツブルク前編|ザルツブルク後編 はこちら。ザルツブルクより車で約3時間。やってきました音楽の都ウィーン。主人の会社がウィーンで宿泊できるアパートを持っており、そこに無料で泊まれせてもらえることになったこともあり、キャンプを取りやめウィーンにやってきました。お昼過ぎにウィーンに着き、たっかいけど町一番という日本食レストランで洒落たアボカドのお寿司を食べ、旧市街を歩いてみることに。まずはシュテファン大聖堂。写真右側にある南塔が思ったより高く、教会の塔としては世界で3番目に高いらしい。モーツァルトをはじめ、多くの著名な音楽家が音楽会を催した聖堂。そしてなによりモーツァルトの婚礼と葬儀が行われた場所らしい。そして国立歌劇場。あたしたちはドレスコードに合った服を持ってなかったので中には入らなかったけど、いつか入ってみたいなぁ。最後に「世界で最も美しい図書館」と呼ばれるオーストリア国立図書館。いやぁ、ほんとうに美しかった!約20万冊の蔵書はほとんどをオンラインで読むことができるらしい。図書館を出た頃にはあたしはもうへとへとになり、腰も痛いし、足も痛いしでなかなか前へ進めなかった。そしてたまたま辿り着いたレストランで早めのディナーをすることに。ここがすっごくおいしかった!オーストリア料理のシュニッツェル(カツレツ)と野菜料理を注文。ベリーソースをつけて食べるシュニッツェルもエリンギがついてきた野菜料理もめっちゃおいしかった!でもこの時点ではあたしはまだザルツブルクの良さを引きずっており、そこまでウィーンの魅力を理解していなかった。ウィーンの街歩きはもう少し続きます。
旅編第六回オーストリア|ザルツブルク前編 はこちら。ザルツブルク2日目の朝。たまたま見つけたザルツブルクのホテル。すぐに気に入って旅に出る1週間前に予約したホテルはなんと「サウンドオブミュージック」のロケで使われたお城だった。ヨーロッパの夏休みシーズンには一足早かったのが功を奏し、静かな朝がやってきた。ザルツブルクの湖畔に建つお城は、1736年にザルツブルクの君主によって家族の住居として建てられた歴史ある建築物。そのお城で食べられる朝ごはんがとっても素敵だった!ビュッフェがあるのはシャンデリア輝くホール。そしてその奥にいくつも部屋があって、あたしたちは案内してもらった「ライブラリー」の窓辺の席につくことにした。古書に囲まれ、目の前にはオーストリアに聳える山脈。嬉しすぎて、夢のようで、しばらく落ち着けなかったぐらい。コーヒーとパンはテーブルまで運んでくれて、素敵な朝食を心ゆくまで愉しんだ。食べ過ぎたあたしたちは重い腰をあげ、町へ繰り出した。町へはホテルで無料で貸してくれる自転車で5分ほど。ザルツブルクは小さい町なので、自転車だと30分くらいでまわれてしまう。あたしたちはモーツァルト広場、モーツァルトの生家、ミラベル宮殿など基本的なところはおさえつつ、のんびりと町を見てまわった。モーツァルト広場レジデンツ広場モーツァルトの生家初めて訪れるオーストリアの町だから他と比べようがないけど、ザルツブルクとっても素敵だった。ホテルがよかったのもあるけど、ザルツブルクの人たちはとっても親切だった。朝ごはんであたしたちの担当をしてくれたおばちゃんも、コロナの抗原検査場の前で「大丈夫?なにかお手伝いしましょうか。」と声をかけてくれた女の子たちも、ディナーで冗談を言って笑わせてくれたおっちゃんも、みんなとっても親切だった。やっぱり旅に出るといつも思うけど、訪れる場所の印象って、出逢う人と食事で決まるよね。笑きれいな景色も感動するけれど、結構すぐ忘れてしまう。でも出逢った人たちとのちょっとした会話、過ごした時間はいつまでも心に残る。そんなことを思い出させてくれたザルツブルクでした。さぁ、キャンプをする予定を変更し、あたしたち夫婦はウィーンへ向かいます。
旅編第六回オーストリアはこちら。あたしのお誕生日にスタートしたオーストリアへの旅はザルツブルクから始まりました。ベルリンからザルツブルクまでいっきに走り抜けた740km。これが思った以上に時間がかかった!途中2回くらい渋滞につかまり、2時間くらいのロス。しかもドイツの高速道路、工事中が多い!工事中の部分は車線もせまくなってるし、速度制限もあるので、なかなか進まず。とりあえず制限速度のないところでは120kmくらいで走るも、やっぱり遠かった!レンタカーをピックアップして走り始めたのが朝の9時。ザルツブルクに着いたのは夜の7時だった。とりあえず荷物を置き、着替え、ごはんを食べに行くことに。ホテルでおすすめを聞いて、歩いて向かったレストランは、地元料理が愉しめる素敵なレストランだった。主人は地元のビールで、あたしはオーナー自家製のフルーツティで乾杯。伝統衣装を着たフレンドリーなオーナーは「このフルーツティはアルコール入ってないから安心してね。まぁ、作ってるときの僕は酔っ払ってたけどね。」と笑わせてくれた。かわいいラベル!そして豚肉の煮込み料理と、今が旬のホワイトアスパラガスを注文。どっちもおいしかったわ〜!たまたまおすすめしてもらったレストランだったけど、結局この旅で一番おいしいごはんだったかも。母になる前の最後のバースデー。ほぼ一日車に乗ってたけど笑、とっても素敵なディナーで締めくくられた忘れられないバースデーとなりました。
旅編第六回はオーストリア(2021.6月)。出産前に旅行に行こう!ということで、行ってきました「産前旅行」。英語では"Babymoon"というらしい。行き先を決めるまでに家族会議(主人とあたし)が幾度となく開かれ、心配しいおよび慎重派の主人は、最後の最後まで「大丈夫かな、つまちゃんコロナにかかったらどうするの。」と言ってたけど、できるだけ接触の少ないレンタカーで旅することで納得がいったらしく、ベルリンからオーストリアまで往復約2,500kmの旅。綴ります。
オリンピックもあっという間に半分過ぎ、明日で7月も終わろうかという今日この頃。産休をいいことに、開会式は最初から最後まで見ましたが、肝心の試合は時差もあり、ドイツではドイツ選手のことしかしないので、ダイジェストを見て雰囲気を楽しむ日々。そんな中、選手村や取材チームからのSNSを楽しんでいると、日本の食べ物を楽しんでいるという投稿をよく見る。中にはコンビニで買えるたまごサンドに感動してる選手もいた。カナダのCBCの記者は、セブンがどうやらだいぶ気に入ったらしく、連日通ってるらしい。24時間無休でやっていることと、商品のクオリティの高さに感動してるとコラム記事を掲載するほどらしい。あたしも日本を離れて3年。日本の恋しいものは山ほどあるし、よく主人とあれ食べたいねー、あそこ行きたいねーって話すけど、やっぱり日々の生活の中で日本のコンビニの凄さを痛感する。日本にいるときはそんなにコンビニに行く方ではなかったけれど、ちょっとコーヒー、ちょっとお菓子、ちょっとパン、ちょっと今晩の足しに、なんていうときのコンビニのレベルはやっぱり世界中で日本しかないなぁ、と思う。あたしもコンビニでビールと枝豆買って、オリンピック応援したかったなー。あ、あたし妊婦だった。
9ヶ月(32週)に入った。臨月まで1ヶ月をきった。3週間前のホリデーから帰ってきてから、一段とお腹が重く、動きにくくなった気がする。動きづらいし、ちょっと歩いたらお腹がしんどいし、足も痛いし、腰も痛い。しゃがむのなんて一苦労。スーパーに行くだけでもしんどい。3週間前はホリデーでウィーンを10km歩いたのに、もう絶対無理やわ。あれがぎりぎりだったな。自転車もあれが最後。もう怖くて乗れなくなった。マタニティパンツでさえなんかきつい気がする。お腹もかゆい。いいポジションが見つからないので、寝つきも悪い。歩いていても料理をしていても、若丸くんがもう突き出てくるんじゃないかと思うぐらいごろんごろん動くので、動きづらい。元気に育ってくれていることに感謝しつつも、妊婦って大変だ…と思うこの頃。先に正産期を迎えた友達のマイラは「2人目もほしいけど、この妊娠が終わったらとりあえずしばらく休憩が必要だわ。」と言ってた。笑主人には言っておいた。「あたし来月から歩けないと思うから、よろしく。」と。笑
30週と5日。今日は大使館に用事があったのでひとりお出かけしていた。その帰り、Ubahn(ドイツの地下鉄)に乗るとすごい混んでて仕方なくドアのところに立ってた。アジアングローセリーでアサヒビール大好きな主人のためにビール2本と山芋を買ったから結構荷物も重くて、暑いし、若丸くん動くし、はよつけへんかな〜と思ってた。何駅か目で、隣に立ってた女の人にとんとんと肩をたたかれ「あそこ座っておいで」と次の駅で降りる準備をしている人の席をさして教えてくれた。妊婦であることを理由に席を譲ってもらったの初めてだった。というか、人生で席を譲ってもらったの初めてかも。彼女の何気ない優しさに嬉しくなったことと、改めてあたし妊婦なんだなぁ、と思った日だった。その日の夕方、乳首に白いかさぶたみたいなのがついてることに気づいた。調べたら乳かすというやつかなー?友達のLauraが言ってたけど、妊婦が赤ちゃんを見たり、そばにいたりすると、ホルモンで母乳が出るんだそう。今日電車で隣の赤ちゃんをずっと見てたからかな?
ウェーブの先生はまずDr. Liepeからの診断書を読み、赤ちゃんの問題は理解してるか、と聞かれた。そして「ぼくの心臓外科医の友達をちょっと呼ぶよ」と言って電話をしに行った。超音波検査では、脳、胃などをいつも通りチェックし、無事育ってるね、といってくれた。若丸くんは1660gになってた。若丸くんはあいかわらずごろごろ動いており、先生は「ワイルド〜」と言ってた。笑すると小児心臓外科医の先生がやってきた。この先生は優しい顔をしたスキンヘッドだった。笑一緒に心臓やまわりの血管を見てくれて、これまでの診断に付け加えることはないよ、と言ってくれた。それから机に戻り、心臓外科医の先生が心臓の絵を描きながら、若丸くんの心臓がどういう状態なのかを説明してくれた。若丸くんの心臓は、まず大動脈と肺静脈の両方が右心室から出ている両大血管右室起始(DORV)に、その大動脈と肺静脈が入れ替わってしまっている大血管転位(TGA)が加わった状態。それに、左心室と右心室の間に穴が空いている(VSD)。この穴自体は大きな問題ではなく、穴が空いたまま産まれてきた場合、時間とともに閉じていくのがほとんどだそう。ただ、若丸くんの場合は両方の血管が同じ心室から出てきてしまってるので、この穴のお陰で血液が混じってくれるため、そんなに慌てて手術をする必要がなく、手術にしっかり耐えれるまで育つ、約4ヶ月目くらいで大丈夫なんだそう。本来なら閉じているべき穴に助けられるんだね。大動脈と肺静脈を入れ替えるには、その血管の状態によって手術の仕方が3通りあるらしく、それは産まれてから心臓外科医チームが集まって、どういう方法で手術を進めるか相談するとのこと。新生児の血管は幅1cmほどなんだそう。それでも確立した手術方法があるし、安心してくださいと。そう、心臓外科医の先生は言ってくれた。そこからはあたしの質問コーナー。笑一回の手術で治せますか。「うんうん、大丈夫。」手術後は普通通り生活できますか。「もちろん。問題ないよ。」手術の成功率はどれくらいですか。「95%以上だね。」産後から手術までは家に帰ってこれますか。「4日から14日はICUでモニタリングすることになるけれど、あとは家に帰れるよ。」手術のあとはどれくらいで日本に行けますか。「んー2週間ぐらいじゃないかな。赤ちゃんの治癒力はすごいもので、大人が5週間かかるところを赤ちゃんは2週間くらいで治るからね。」スキンヘッドの先生もウェーブの先生も冗談を交えながら、説明するところはきちんと説明してくれて、本当に安心できる診察だった。次は7週間後。9月1日にもう一度来てね、と。もしそれまでに産まれそうだったらここに来てね。と言ってくれた。お礼を言ってあたしがトイレに行ってる間、外で待つ主人に心臓外科医の先生は、”Don’t worry. It’s gonna be ok.”(大丈夫、心配しなくていいよ。すべてうまくいくよ。)と言ってくれたそう。本当に安心できた。涙よかったね、若丸くん!!大丈夫。元気に産まれて、元気に日本に帰れるね。
8ヶ月も2週過ぎた30週と1日。今日は初めて出産する病院での検診だった。ヨーロッパを代表するこの病院は、壮大な門を抜けると、真ん中の芝生を挟んで、診療科ごとの建物が立っていた。入院中であろう患者さんが芝生でおしゃべりしたり、お昼休憩中であろう白衣を来た先生がベンチで日向ぼっこをしたり、コーヒーワゴンなんかがならび、まるで大学のキャンパスのような雰囲気だった。あたしらが向かったのは、9番目の建物、Frauenarzt(産婦人科)だった。最初に番号をとって待っていたところが別の科だったらしく「妊婦はあっち!」と言われ、向かいの受付へ。受付の人は親切なおばちゃんだった。お決まりの個人情報なんかについてサインさせられ、主人は外で、あたしは待合で待つことに。結局50分ほどしてからようやく呼ばれた。かと思うと、看護師さんからの質問だった。最初から最後までドイツ語でしかしゃべってくれず、頭をフル回転させなんとか理解できた。羊水検査の結果はここにはないのか、どうだったのか、妊娠中に出血はあったか、たばこは吸うか、飲酒するか、両親は健康か、そんな感じだった。そしてまた前で待つように言われ、待つことさらに40分。大きな病院で待つのは万国共通ですね。ようやく先生に呼ばれた。先生は「誰か一緒に来てる?」と聞いてくれたので「主人が…」というと、呼んできてねと言ってくれた。主人は受付を出たところで仁王立ちで待ってた笑。先生はちょっとウェーブのかかったヘアーをなびかせる、めっちゃおもしろい先生だった。つづく
26週と4日。今日は4回目のウルトラ超音波検診だった。ここドイツでは長くて暗いロックダウンがようやく終わり、レストランやお店も今月(6月)から一斉に開き始めた。病院も例外ではなく、これまでは同伴禁止(どうしても同伴が必要な場合は、同伴者は呼ばれるまで病院の外で待たされてた)だったのが、今日は無料で受けられる抗原検査の陰性証明があれば一緒に待たせてもらえることになった。待合室では初めてみんな旦那さんやパートナーと一緒に待ってた。Dr. Liepeは変わらず親切で、あたしのお腹を見て「いいお腹ね〜!」と言ってくれた。若丸くんは順調に育っており、1kgになっていた。検査中も先生が「よー動くんで見づらいわ。」と言うくらいよく動いていた。若丸くんの顔の目の前に臍の緒があって、前よりはうまく写真が撮れなかったけど、相変わらず可愛いかったなーー!(ふふ。)先生は鼻はあたし似、口は主人似じゃないかと言ってた。(鼻は低くて唇は薄いということか。逆の方がよかった気が…)問題の心臓は前回の診断と変わったところはなく、ちゃんと4部屋確認でき、左右心室とも同じ大きさに成長してて、先生は安心だと言ってくれた。今の時点でだけれど、他に何も見つからなくてよかった。無事育ってくれていてよかった。それから来月は実際に産んで手術をしてもらう病院で診察予約したからね、と予約日時を教えてくれた。そして場合によっては、出産日も近づくので、来月以降はそっちの病院だけの診察になるかもしれないね、と言われた。じゃあDr. Liepeとはこれでお別れか…辛い最初の診断からこれまで、少しずつ、ひとつずつ、寄り添って一緒に診てくれた。丁寧に説明をしてくれた。あたしたち夫婦にとって決して楽しいことだけを思い出せる場所ではないけれど、Dr. Liepeが痛みを和らげてくれた。大丈夫、と安心させてくれた。ありがとうございました。元気に産まれ、無事手術が終わったら報告します。それから午後はへバメさんだった。子宮底長を測ってくれ、心臓の音を聞かせてくれた。この機械をあてると、赤ちゃんにとっては地下鉄の音みたいに聞こえ、嫌がるらしい。若丸くんも嫌がってるらしかった。それから下腹部に手をあて、息を吸うようにいわれた。そうすると赤ちゃんの頭がどこにあるかわかるらしい。主人が産まれてからのことを聞くと、へバメさんは、「できるだけ母子離れないように病院に言わないとだめよ」と言っていた。今日は暑い日だった。4週間に1回巡ってくる診察マラソンの週がこうして終わった。サプライズのない週になってよかった。
26週と2日。今日は朝からおばあちゃん(かかりつけの婦人科の先生)のところだった。血糖値検査があるので、朝から何も食べないよう言われてた。着いてすぐコップ一杯の砂糖水を飲まされた。本当にただ砂糖を溶かした水だった笑。おばあちゃんに呼ばれ、今日は子宮口チェックをすると言われた。え!今日に限ってパンツ履いてきた!さいあく!そう、何が最悪かというとですね、日本の産婦人科では、着替えるところにボタンでとめるバスタオル置いてありますよね。だから履いてるものを脱いで、そのバスタオルをまとって、検査台へ行きますね。しかも、検査台には顔が見えないようにカーテン引いてありますね。そう。これは日本だからこその配慮。日本人にしか思いつかない配慮なんです!ドイツでは、そんなんあるわけない。脱いだら終わり。しかも更衣室から検査台まで遠い!婦人科によっては部屋の端から端ということもあるんです!つまり、その間下半身すっぽんぽんで歩かないといけないんです!これ、ドイツ人でも恥ずかしくないんかな…いくら先生の前でもねぇ。。だからあたしは婦人科に行くときは、ロングワンピースと決めてたんです。お腹が膨らみ始めてからは着れるワンピースもなかったので、常に同じワンピースだったんです。でも経膣エコーから経腹エコーに変わって、ぱんつを脱ぐ必要がなくなってから、違う服も着たいと思ってたし、この日はマタニティジーンズを履いて行ってたんです。それが経膣エコーですか!?涙涙。今日に限って…しょうがないから下半身すっぽんぽんになって診察台へ。まぁ、この国では普通のことだからこんなまぬけな姿も誰も気にせーへんね。おばあちゃんは下半身すっぽんぽんで検査台に座るあたしに相変わらず笑顔で上品に挨拶してくれた。"Guten morgen. Alles gut?"(おはようございます。何も問題ないですか。)子宮口が開いてないかどうか(早産の危険があるかどうか)をチェックして、ちゃんと閉じている、問題ないよ、と言ってくれた。そのまま若丸くんを見るために超音波検査をした。心臓はちゃんとどくどくしてて、頭が下になってた。そして砂糖水を飲んでから1時間後、血糖値検査のため採血し、今日はこれでおしまい。受付の隣に積まれてた「パパママプレゼントセット」を主人がもらってた。笑まぁ、たぶんないとは思いますが、ドイツで婦人科に行く際はスカートで行くことをおすすめします。笑
25週と6日。スイカが美味しくなってきた6月。今日は仕事最後の日だった。今週は最後の引き継ぎや、やり残したコードを書いたりしてた。チームがメッセージをくれた。最後に全員に向けてメールを送った。ドイツに来て、パラリーガルからエンジニアになり、今の会社で2年間働いた。そしてこれから長い産休/育休に入る。これから約1年半も働かないなんて信じられへんな〜。
25週と5日。今日で出産予定日まで残り100日!あと3ヶ月ちょっとか〜。最初の2ヶ月はとにかく遅々として進まなかった。12週を過ぎ、ほっと安心したのも束の間。衝撃事実が発覚し、涙を流しとにかく耐えた4ヶ月目と5ヶ月目。少しずつ開かれていく検査結果に、少しずつ前を向き始め、受け入れることと同時に悲しみはいつのまにやらどこかへ行き、胎動を感じることができ、喜びがまた押し寄せた6ヶ月目。そして体も妊娠に慣れてきたのか、割と元気な7ヶ月目。早く産まれてきてほしいような、まだまだ気持ちが準備できてないような。あと100日で、この家にもう一人メンバーが増えるなんて、信じられないような。元気に帰ってこられるか不安もあり、我が子を抱く楽しみもあり、主人が息子を抱っこする姿を想像して幸せな気持ちになったり。生活が一変するんだろうか。意外と普通なんだろうか。あと3ヶ月。夫婦ふたりの生活を楽しみながら、小さなメンバーを受け入れる準備を楽しもう。
25週と3日。最近夢のなかの自分も妊娠している。実際に若丸くんが動いてるのか、夢のなかのことなのかわからんけど、若丸くんがすんごい動いてる夢を見た。暑くなってきた最近。ベランダで朝ごはんを食べながら主人に言うと、つまちゃんと若丸くんは実際につながってるからねと。そうやなぁ。若丸くんも夢みるんだろうか。