リオ・オリンピックが盛り上がってますが、実はオリンピックと芸術・文化は非常に関連が深いのです。
オリンピック憲章には「スポーツを文化と教育と融合させること」「短くともオリンピック村の開村期間、複数の文化イベントを計画しなければならない」と記されています。
リオ・オリンピックの文化プログラムでは日本人現代アーティスト森万里子さんの作品が公式文化プログラムになっています。
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http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2016/05/marikomori_rioolympic_veudanoiva_ring.html
日本では不思議な「文化系」対「体育会系」という分類の仕方がありますが、無意味ですよね。
というか、有害です。
身体能力が高ければ、文化的な感性や知性が無いなんて、ナンセンスです。
しかし、日本では、
スポーツ=体育、競争。
なんですよね。
しかし、ギリシャ時代にルーツをもつオリンピックのおけるスポーツとは、人間の素晴らしさを称える祭典です。
多くのギリシャ彫刻にはスポーツをする選手が彫られています。
スポーツも芸術も人間の素晴らしさ讃え、間接的に神を讃えるものでした。
人間の同士の競争が目的ではないんですよね。
日本ではアートや美術は特別な、特殊な人が興味をもつものというイメージがまだまだ強いのでしょう。
アートは人間のすべての活動(政治、経済、科学技術、身体など)にアンテナを張って、それに対するアンチテーゼや問題提起をします。
スポーツをするということは、身体を使った一種のアート活動ともいえるのです。
身体的な能力も高くて、文化に造詣の深い方もいます。
トライアスロン世界チャンピオンでもあるジョン・C・ウェバー氏は日本美術のコレクターで有名です。
パフォーミングアートなどは、人間の身体表現自体がアートとなっています。
「体育会系」or「文化系」など二者択一的な見方は人間の可能性を狭めます。
「理系」or「文系」などもそうですね。
現代はすべての分野が混ざりあい、影響を与えあい、色んな方向に拡散しつつ発展しています。
意味のない枠組みにとらわれず、他の分野に目を向けることこそ、新しい突破口を開く方法です。
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