今日はブログ読者の記事読んで、思い出したことが沢山
1つは東京での
結婚式
そこそこ年を重ねて、段々お悔やみの参加のほうが多くなった今日この頃
18年前、大親友が目黒で挙式したとき、高校からの仲良しの私ともうひとり
私は岩手から、始発の
彼女は新潟から同じく始発の
で上京
私は髪は確かショートだったので何もしなかったけど、彼女は前日に美容院行ってガッチリ固め(笑)セットし、昔の殿様の枕状態で首を高くして寝たらしい
根性を見せつけられました
新郎の友人と唄ったのが米米クラブの『君がいるだけで』
←流行ってたんですっ
泣いて泣いて
←嬉し泣きね…お化けのような姿で日帰りしてきたことを思い出した
もう1つは…
学生時代にやってたミスド
のバイト
着替えてフロアに入る時、いらっしゃいませ♪から始まる挨拶10を、大きな声で厨房にいるスタッフに聞かせます
そして復唱される
最初恥ずかしくて、なかなか言えなかった田舎娘
同い年の、私よりも偏差値高い女子大に通う子が、いやぁ垢抜けて見えてね…
それでも、辞める辺りには『接客満点
』を貰い、最後の日はバイトで初めて花束
を頂きました
あの頃の上司の指導や仲間のおかげで、今の仕事にも繋がってるのかなと…
当時の店舗の方針は、基本用語は外さず、しかし他の
ファーストフードの様に機械的ではいけない

心から接客
確かによそは学生がターゲット
ミスドは小さなお子さまとお母さんも客層だったので、作り笑いではなく心から笑顔で!喜怒哀楽の喜と楽を、沢山出しましょう!
でした。
今でこそ、どのファーストフードもファミリーがターゲットだったりするけど、なんせバブル全盛期だったから、今より
高かったし、ミスドだけはアットホーム
なアメリカンカントリースタイル
埼玉にあった本部の事務に就職を推薦されたものの、若い私は内定貰った銀座の広告代理店へ旅立ってしまった
あの頃の仲間は今どこで何をしてるのかな
何年かは連絡取り合ってたけど、携帯
の無い時代
就職し そして岩手に帰郷したり いろいろあったりしてるうちに
そのうち音信不通となりました
あーいろんなこと思い出しちゃった
普段は忘れている事沢山あるけど、記憶の宝箱を時々開けてみるのもいいかもね