「すごく楽しかったです! また来たいです!」
体験レッスンが終わったとき、そう言ってくれました。
焼き上がったばかりの、ふわふわのちぎりパン。
一つちぎって口に入れると、
「わあ、おいしい!」
と笑ってくれて。
「家でも作ってみたいです」
「子どもにも食べさせたいな」
そんな話をしてくれました。
私は、本当に嬉しかったんです。
パン作りを教えていて、一番幸せな時間でした。
でも。
そのあと、私はまた、同じ失敗をしました。
「また機会があれば、ぜひ来てくださいね」
そう言って、生徒さんを見送ってしまったんです。
本当は、来月から始まる継続コースの案内をしたかった。
その人が「また来たい」と言ってくれた、
まさにそのときに。
でも、どうしても言えませんでした。
そして。
その生徒さんから、二度目の予約が入ることはありませんでした。
あんなに楽しそうだったのに
その日の体験レッスンは、
私にとっても楽しい時間でした。
来てくれたのは、40代くらいの女性。
パン作りは、ほとんど初めてとのことでした。
「不器用なので、ちゃんとできるか心配で」
最初は、少し緊張している様子でした。
でも、生地をこね始めると、表情が変わってきたんです。
「わあ、最初はベタベタだったのに、まとまってきた!」
「そうなんです。こねているうちに、生地の手触りが変わってくるんですよ」
「面白いですね!」
私は、つい嬉しくなって、いろんな話をしました。
小麦粉の種類によって、焼き上がりが違うこと。
発酵の見極め方。
生地を触ったときの、ちょうどいい柔らかさ。
パンの話になると、自然に言葉が出てくるんです。
普段は人と話すのが得意じゃない私でも。
パンのことなら、いくらでも話せます。
生徒さんも、楽しそうに聞いてくれました。
オーブンに入れた生地が膨らんでいくと、
「すごい! 本当にパンになってる!」
と、子どもみたいに喜んでくれて。
焼き上がったパンを並べて、一緒に写真を撮りました。
そのとき、私は思いました。
ああ、やっぱりパン教室っていいな。
こういう時間が、もっと増えたらいいのに。
私が好きで続けてきたパン作りを、
誰かがこんなに楽しんでくれる。
そのことが、たまらなく嬉しかったんです。
料金表を出そうとした瞬間、怖くなった
焼き上がったパンを袋に詰めているときでした。
お客さんが、
「これ、また習いに来てもいいんですか?」
と聞いてくれました。
「もちろんです!」
私は、すぐに答えました。
「今日みたいなパンだけじゃなくて、いろんな種類が作れるんですよ」
「へえ、楽しそう!」
「次は、もう少し成形を楽しめるパンもありますし……」
そこまでは、普通に話せたんです。
でも。
継続コースの案内を
しようと思った瞬間。
急に、頭の中が忙しくなりました。
今、案内していいのかな。
せっかく楽しんでくれたのに、
最後に料金の話をしたら嫌がられないかな。
「結局、コースに申し込ませたいだけだったんだ」
って思われたら、どうしよう。
お客さんは、ニコニコしながらパンを袋に入れていました。
私は、テーブルの端に置いていた料金表を見ました。
手を伸ばせば、届く場所です。
でも。
どうしても、手が伸びませんでした。
「また機会があれば」と言ったのは、私だった
「それじゃあ、今日はありがとうございました」
生徒さんが、バッグを持って立ち上がりました。
「あ、こちらこそ、ありがとうございました」
私は慌てて立ち上がりました。
玄関まで見送ります。
「本当に楽しかったです」
「よかったです」
「また来たいです!」
その言葉を聞いて、私は嬉しくなりました。
同時に、焦りました。
今だ。
今、案内すればいい。
来月からのコースがありますって。
よかったら、詳しい内容をお送りしますねって。
それだけ言えばいい。
頭では、わかっていました。
でも、口から出たのは。
「また機会があれば、ぜひ来てくださいね」
でした。
生徒さんは、
「はい! ありがとうございました」
と笑って帰っていきました。
玄関のドアが閉まりました。
私は、その場に立ったまま、しばらく動けませんでした。
そして、小さくつぶやきました。
「……何やってるんだろう、私」
また機会があれば。
そんな曖昧なことを言って。
次のレッスンの日程も伝えず。
コースの内容も説明せず。
自分から何も案内しなかった。
来てほしかったのは、私なのに。
あとからLINEを送ればいいと思った
その日の夜。
私は、生徒さんにお礼のLINEを送りました。
「今日はありがとうございました」
「とても上手に焼けましたね」
「ぜひ、お家でも作ってみてください」
そこまで書いて、少し迷いました。
最後に、継続コースの案内を入れようかな。
でも、体験レッスンが終わったばかりです。
今さら案内したら、しつこいかな。
営業のLINEみたいに見えるかな。
せっかく楽しかったと思ってくれたのに、
嫌な気持ちにさせたくない。
そんなことを考えて。
結局、コースの案内は入れませんでした。
しばらくして、生徒さんから返信が来ました。
「こちらこそ、ありがとうございました!」
「とても楽しかったです。家族もパンを喜んで食べてくれました」
嬉しかったです。
本当に。
でも、そこにも次の予約の話はありませんでした。
私は、
「よかったです! またいつでもお待ちしていますね」
と返しました。
それで、やり取りは終わりました。
一週間。
二週間。
一か月。
その人から、次の予約は入りませんでした。
あのとき、案内していたら違ったのかな
月末になって、予約表を見返しました。
今月も、新しい生徒さんは増えていませんでした。
体験レッスンに来てくれた、あの人の名前もありません。
私は、何度も考えました。
あのとき、継続コースを案内していたら。
もしかしたら、申し込んでくれたのかな。
それとも、案内しても断られたのかな。
そもそも、「また来たいです」なんて、社交辞令だったのかな。
考えても、答えは出ません。
でも、確かなことが一つありました。
私は、申し込んでもらえなかったんじゃなくて。
申し込めることすら、ちゃんと伝えていなかったんです。
そう思うと、情けなくなりました。
パンのことなら、あんなに話せたのに。
小麦粉の違いも、発酵の仕組みも、成形のコツも。
聞かれたら、いくらでも答えられたのに。
どうして、たった一言。
「よかったら、来月からのコースもありますよ」
と言えなかったんだろう。
私は、パン教室を開いて3年になります。
それなのに、
こんなこともできない。
やっぱり、私には向いていないのかな。
そんなことまで考えてしまいました。
ブログという場所だから
正直にいうと。
私は、怖かったんです。
断られらることが。
あなたの教室は、いらないと言われることが。
そして、案内をして、
「この人すごいセールスしてくる」
そんなふうに思われることが。
だから、案内しようとすると頭が真っ白になるんです。
どうしよう。
どうしようって。
なんでなんだろう。
理由は分かりません。
きっと、こういう性格なんだ。
そう、諦めかけていた頃。
あることを知って、少しずつ変わってきました。
セールスとかじゃないんですけどね。
少しずつ。
予約表に名前が増えて。
少しずつ。
レッスンの日が増えて。
少しずつ。
ため息が減っていった。
その少しずつの変化をくれてものを、置いておきます。
こんなこと、自分には関係ない。
最初はそう思っていたんです。
でも、違いました。
もし私と同じ人がいたら。
騙されたと思って、読んでみるのもありかと思います。
