こんにちわ! 絶望から夢を叶え ”本来の愛そのもので生きる” 潜在意識コーチ 三戸ゆかりです! | ||||||||
いつも興味を持ってお読みいただき、 | ||||||||
ほんとうに、ありがとうございます!!!! | ||||||||
今更ながら、あらためて! 自己紹介をさせていただきたいと思います! 超・詳しいバージョンの自己紹介です★ | ||||||||
埼玉県北部の田舎町で 3人兄弟の長女として 1979年に生まれました。44歳です。 | ||||||||
両親が共働きだったので、 幼少期は、さみしかった記憶もあります。 | ||||||||
おじいちゃんとおばあちゃんは家にいましたが、 いつもひとりで遊ぶか、 | ||||||||
おばあちゃんが野良仕事をする傍らで、 | ||||||||
毛虫をとったり草花を集めたりして 外で体を動かして遊ぶのが好きな活発な子。 | ||||||||
でありまた、 幼稚園のお遊戯会が大嫌いで、 見に来てくれたお母さんに駆け寄り 泣いているような、 | ||||||||
そして普段もいまいち クラスに馴染めなさを感じていて。 気が強いクラスメイトに 軽くいじめられたりもするような(笑) 活発さと繊細さとを、あわせ持った子でした。 | ||||||||
そのころ、両親との時間が少なく、 とっても、さみしかったんでしょうね、 ある日親の気を引こうと、 決行したことがありました! | ||||||||
裸になって、 二階の外ベランダの危ないところに出て。 「風邪ひいちゃうよ! しかも、地面におっこっちゃうよ!!」と、 | ||||||||
アピールして心配してもらって気を引こうと、 試みたことがありました(苦笑 当時の本人からすれば思い切って、 決死の覚悟で やったことだったのだと思います(微笑み) (記憶も残ってます) | ||||||||
結果的には、 両親の気を引くことに成功できず。(悲) 悪いことをしたから反省しなさいと、 おじいちゃんに押し入れに閉じ込められ。(激悲) | ||||||||
「ああ、考えうる最大のことをしても、 自分は愛されないんだな。 理解してもらえないんだな。」 | ||||||||
と、 それを諦めることに繋がってしまいました。 | ||||||||
その時は平日の昼間で両親は家に不在でしたから、 おばあちゃんが伝えてくれるから | ||||||||
なんとか両親の気を引けると思っていたのですが、 おばあちゃんは伝えてくれたみたいですが、 なんの手応えもなく。失敗に終わりました・・。 (今だから笑って話せます) | ||||||||
自身が実の両親の元で育っていない私の母は、 ときに感情的で、 しばしば私をヒステリックに𠮟りつけ、 | ||||||||
その時の小さなわたしは打ちのめされて、 | ||||||||
怖くて泣いてひとりぼっちで胸が痛くて痛くて | ||||||||
辛さの極みを味わっていたような 記憶もいくつかあります。 | ||||||||
そしてそれは、 大人になってからも心の傷となって、 | ||||||||
影響していました | ||||||||
愛されない存在だと思い込み、 話しても理解されないと思い込み、 | ||||||||
怒られるのがとても苦手なまま大人になりました。 反抗期もなく いつも聞き分けの良い「いい子ちゃん」でした。 | ||||||||
今は、 「両親は一生懸命仕事をしていて 余裕がなかっただけ」と | ||||||||
理解できるのですが、 わたしが34歳から癒しを学んで 実践するようになってから、 | ||||||||
そうなれるまでには、 少し時間がかかりました。 \\ 時間かかたよぉーヲー!!(カタコトで笑) //
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癒すまでは、 ここに書ききれない色んな事があって 両親に対する怒りや悲しみが【相当たくさん】 あったので(苦笑)、 そのような理解に至るのを 感情が邪魔をしていました。 でも今は、 | ||||||||
両親ともに、私はとても愛されていたのだと、 うわべの頭や思考だけでなく、 | ||||||||
しっかり腹から そう思えるようになりました。 すると、 180度世界が違って見える ようになり、 | ||||||||
これは、わたしにとってはとっても大きな出来事、 転換でした。 | ||||||||
それは35~38歳の頃のことでした。 | ||||||||
そうなったのは、わたしの場合はですが | ||||||||
なにが一番効果的だったかって、 | ||||||||
自分の我慢していた 押し殺してないことにすらしようとしていた、 ため過ぎて腐敗し腐りきった気持ちを、 | ||||||||
しっかりと両親に伝えたことでした。 (お父さんへの言い方は ちゃんと受け取りやすいように考えました) | ||||||||
今更そんな昔の話、、とか、思わずに | ||||||||
思い切って伝え、 しっかり両親が受け止めてくれて、 | ||||||||
謝ってくれたり、 それでもわたしを気遣ってくれたことで、 | ||||||||
「ああ、愛されてないなんて 私の勘違いだったんだ。」 | ||||||||
「お父さんは、わたしのダメ出しばっかして、 否定ばっかされてるって思ってたけど、 | ||||||||
それはお父さんの 幸せになってほしいっていう愛だったんだな」 ってことが腑に落ちたり。 | ||||||||
”わたしがほしい形の愛じゃないもの、 私には愛に見えない逆のものに見えるもの” が、 他人にとっては愛だったりするんだなって | ||||||||
気づくことができたのは大きかったです。 | ||||||||
また、 【親にとって耳障りの悪い本音を言うと =愛されない、終わり】 | ||||||||
って図式(思い込み)が、 幼少期からあったみたいで。 | ||||||||
ある日、思い切ってお母さんに電話をしたら、 | ||||||||
お互いに思いっきり怒鳴りあうと いうことになりました。笑 | ||||||||
人を傷つけることもわからずに 感情的になるお母さんが大嫌い だったから、 | ||||||||
怒ること感情的になることにとても抵抗があり、 反面教師にして ずっと自分に禁止をしていたことを、 | ||||||||
思い切ってやらざるをえない状況が来て、 それをやったときに、 | ||||||||
いちばんほしかったものが手に入ったのです。 | ||||||||
それがまさかの、 お母さんに無条件に愛されていたんだ、 という実感でした。笑 自分の中で昔から、 「ぜったいやったらアカン、終わりや!!!!!」 ..ということを、 ええい!!!と、やったのです。笑 そしたら、なんと | ||||||||
さっきの図式と真逆なことが起きたから、 | ||||||||
何十年も信じていた図式(ただの幼少期からの思い込み)が、 崩壊したのです。 | ||||||||
あんなに酷いことを言った(言い合った) わたしに、 | ||||||||
次の日お母さんは、 いつもと変わらずわたしのことを | ||||||||
気遣う行動をとってくれていたのです | ||||||||
それは、ほんと何気ない、 ささいな行動だったのですが、 わたしには充分でした。 | ||||||||
ずっと禁止してきたことをやったという このタブーを破るという 体験から | ||||||||
得られた大きなものは、 もうひとつありました。 | ||||||||
それは、 にんげんというものの 未熟さを、 まるごと赦すという愛 でした。 それは、 人を傷つけてはいけないから我慢するという愛 ともまた違う種の、 次元を超えた感覚のある 大きな愛だと直感的にわかりました。 神様とよばれる存在や、 高次元の自分(ハイアーセルフ)のそれ という感じ。 他者を気遣うことの愛 と、 他者や自分、すべての人は 誰も傷つけずに完璧に生きることは不可能だから、 戒めるよりも、すべての”にんげん”を許す というような愛でした。 それは、 わたしが自分を許すと =自動的に他者を許せる という図式がありました! ということは、 自分が完璧であったら得られない愛の状態でした 自分が未熟であり それを認めゆるすから、こそ 得られる、 次元のちがう感覚の愛の状態 を体験したのです。 わたしが生まれながらに完璧であったら、 まちがいなく、 許せる人や愛せる人の数は少なかったと 今書いていて気づきを得ました!!!! つづきはこちら↓↓ //自己紹介は①〜③まで続くよ〜🎵\\ | ||||||||
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つづく | ||||||||
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