ホシノシロ☆ガーデン

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お久しぶりです☆

ここ最近再びネパール行ってきました。

とにかく山が素晴らしかった。。

またすぐにでも行きたい。

 

ブログはなかなか書けないここ数年ですが、インスタは最近ようやくちょっとやり始め。。。ちょこちょこ投稿してます。

ネパールの写真もたくさん出してみました。

https://www.instagram.com/yukari8877

 

とりあえずちょっとでも時間作って絵を描きたいなー。

そんな師走です。

 

3年ぶりの更新です;;
アメブロのパスワードも忘れてしまってなかなかログインできなかったという始末。
生きてます。



チョリもなんと来月から年中さん;;早い早すぎる、もう成人するんじゃないか?という早さなんですけど。
あまりに怒涛の日々で、目の前のことをこなしていくだけで精一杯でした。


そんな日々ですけど、今日があの日から8年目ということで、、、朝から涙腺崩壊。
やはりこの日の集合意識はいつもいつも悲しい。
言葉として出さないと消化不良をおこしそうで。


色んな想いが交錯しすぎてまとまらないけど、
どうか子ども達の笑顔であふれますように
どうか地球が緑であふれますように


目に見えるのは悲惨な現状の地球だけれど、あの日犠牲になった方々、今でも辛い思いをしている方々の心が踏みにじられることのないように、、、


明るい未来へみんなでシフトしましょう。

ものすごーくお久しぶりです。


育児しながら家で仕事するってことを超超超甘くみていた。
寝てる時間しか出来ないから、ブログ書いたり本読んだりという邪魔されずに出来る自分の時間は皆無なのでハッと気がつけば3ヶ月ぶりの更新です。

 

でも起きてる時間は遊びまわってます。
お花見は毎日のように行った。
近所の桜の名所。
超穴場。

 

 


そしてこんなのも作ってみた。
私の自信作です。

ままごとキッチン!


最近の女の子の必須おもちゃらしいんだけど、買うと高いので作った。
土台以外はほぼ100均。

 

どうやらダンボールですべり台も作れるらしいんだよね。
次はそれを。。。と思っているけど、場所取るからちょっと悩み中。

やっぱり何かを創作するってのは楽しいなーー。

 

んで、GW中の今はネパールの親戚が日本に来ているのでうちにお泊り。

ぜひうちに泊まれうちに泊まれというたくさんのオファー、争奪戦の上、他の人の家よりちょっと広め&親戚関係が近いってことで、我が家に泊まることになりました。

でも近い親戚関係つっても、私からみたら「旦那のお姉さんの旦那のいとこ」なんだよ。

GW中毎日どこかへ連れて行かなきゃいけないのかなと思ってたけど、そういう感じで毎日争奪戦のようにして誰かが観光へ連れて行ってくれてるので、私は楽だった。

親戚か~。。日本だったら叔父叔母とかでもホテルに泊まるかもなぁ。

 

そんなここ最近でした。

実は2,3回ブログも途中まで書いたんだけど、残りを書こうと思ったら何週間もすぎて、もう書く気になれなかったり古くなったりで、お蔵入り。

次回はチョリ大人になってるかもしれない(笑)
ということでのんびりすぎる更新になりそうですが、どうぞ宜しく。

 

 

前回書いた彼のお墓参りに行ってきました。
墓石を見て知ったんですが、ちょうど月命日だったようです。

みんなで彼の思い出話なんかしつつ、、亡くなってからわかる彼の意外な一面がボロボロと出てきて、みんなで驚いたり面白がったり。やっぱりみんなその人の側面しか知らないよね。その側面を見て誰それはこうだと決め付けたりね。

親御さんが一番彼の仕事や日常のことを何も知らなかったりしていて、ビックリしていました。

 

やはり闘病の最後のほうは変わり果てた姿だったみたいで、友達にも知らせてほしくなかったみたい。

 


命はもちろん有限で、長生きが素晴らしく短命がよくないわけでもなく、長い長い魂から見たらホンの数十年の違い。
しかもこの世のほうが辛いんなら早く逝っちゃった方が楽なんじゃないの?なんて思ってたけど、でもやはり長生きに越したことはないと彼の死で改めて思いました。


なぜなら死ぬ側にとっても残される側にとっても、若くして死ぬということはとてつもない悲しみの感情、とてつもない執着を伴うから。。
それはやはり高齢になってから死ぬ時の比ではないよね。

 

死ぬ時のそのエネルギーは死後も厚く魂を覆ってなかなか抜け出れない。。

 

ゆっくりと年を重ねながら死を少しづつ感じて、死を受け入れていくのとは全然違う。
うちのじぃなんていつ死んでもいいと何年も言い続け、何の執着も苦しみもなかったから、大したこともしてないのに;;さっさと成仏しちゃったし。
まぁ魂の成長としてはどうだかわからないけど。

 

そしてやはり何が大事って、状況じゃなくて心境ということ。
わかっちゃいるけど、改めて感じました。

 

生きていた頃の思いのまま死後ストップモーションのようにそこに囚われてしまう。


貧乏人がみんな不幸せなわけでもなく、金持ちがみんな幸せでもなく、仕事が上手くいってるとか上手くいってないとか、既婚だ未婚だ、等々、それは地球人が定義づけした価値観によって左右されるだけであって、、彼よりもパッと見の状況は悲惨な人はもっといるだろうけど、安らかに亡くなっていく人ももっともっといるし。


どういう状況であってもそこで満ち足りた心であること。。みなさまご存知(なはずの)バシャールがいつも言うよね、すべての出来事に意味づけしているのは自分であって、起きている出来事はすべて中立。

 

ちょいちょい遭遇する無念な感じの霊さん達も、現実的な状況がどうだったかとかは関係なく、ただ残っているのは感情。

 

そう考えた時、自分が今この瞬間に死んだらどうなるだろう?と考えて見ると興味深いかも。

 

生きている間にスピリチュアルを学ぶということはやっぱり大事なことだなとつくづく思いました。
学んだらすべての出来事が上手くいくかといったらそうでないんだけど(ここでいう上手くいくっていうのは現実的に見た時の状況です)。
日々起きる出来事に対して一方的な被害者だと思わなくてよくなる。
そして死がただの絶望ではなくなる。。。

 

とは言え、例えば自分なら、、、そう考えたとき、今死ぬとなると執着だらけ。
でも、人を恨んで妬んで死ぬようなことはないはず。


改めて生と死について色々と考えたここ最近でした。
悔いなく生きよう、大事なことはキチンと伝えよう、この普通の一日がどれほど大事なのかっていうこと。。

死を見ることで生を見る。
彼が残してくれた悲しいギフトでした。



 

新年2つ目がこういう話ってのはなんだか悲しいんですけど、イラスト仲間の友達が亡くなりました。


かれこれ15年前ぐらいからの友達(男)で、年に1,2度みんなで会うような感じの間柄。
体調が悪いというのは聞いていたけど、まさかそこまでとは思っていませんでした。
まさか、、だけど、でもなんだかすごく気になって、体調の具合を聞いていいのか、、メールする手を何度もやめて結局年賀状をだしたんだけど、、そのお返しとしてお父さんから送られてきたハガキで今回知らされました。
亡くなったのは結構前だったようです。
確か一人息子だった気がする。。ご両親の気持ちを思うと苦しいです。


元々頻繁に連絡を取ったりしてるわけでもなかったし、彼の性格(自分のことはほとんど話さない)と、そこまでの間柄でもないので、あまりくわしく聞いちゃいけない気もしてたけど、でももっと声掛けでも出来なかっただろうか、、と言う思いばかりが残ります。



そして彼の冥福を祈ってたんですが、、、
がっつり繋がってしまいました。。。


彼は全く癒されてはおらず。。


闘病の凄まじさが伝わってきて、ズドーンと心が重くなるほどボロボロの状態で、体育座りをしてひたすら文句を言っていました。


オレが一体何をしたわけ!?と。


もしこれが友達でなかったなら、ヤバイ関わらないほうがいいと逃げたかもしれません。
そしてまだ亡くなってからそこまで年数経っていないからなのか、妙に生々しい。
地上とまだコードが繋がってそうなぐらいに。


彼から伝わるのは、、、生きていた頃、彼が表面に出していなかったとてつもない屈辱と劣等感と絶望。。
どう考えても死を受け入れてこの世を後にしたエネルギーではありませんでした。

その悔しさは攻撃のエネルギーも生み出していて。。


友達だけど、ごめんなさい、ちょっとこれはヤバイのでと一旦仕切りなおして、ちゃんとガード&光で自分を包んでから再び彼と繋がりました。(この辺のプロテクトがいつも甘い私です。。)


そして彼の魂が癒されるようガイドにお願いすると、弥勒菩薩が現れて彼を包みました。
そうだ、弥勒菩薩。。
なぜかわからないけど、そうだよね○○君は弥勒菩薩だよね、と思ってる自分がいて。



そして弥勒菩薩は彼にこう言いました。

「いかがでした?」と。



いかがでした?



もうその一言で深い深いところからの癒しがおこった感覚がこちらにも伝わってきて、さすが神様、、深い、、と感動した私。
まるで「はっ」と何かを思い出したかのように、ボロボロだった彼は全く別の姿に変わっていました。
次元を落とす前の姿に。


そして上がっていく前に彼は両親の元へ行きました。


死ぬ前に、この世から消えていく自分、この世への未練、忘れないでほしいというような両親に向かっていたエネルギーはまた両親を悲しみの中から抜けれなくしていた感覚でした。


よく生きてる者が死んだ者をずっと悲しんでいると成仏出来ないと言うけど、その逆もあるんだなと。
両方のエネルギーが両者をがんじがらめにしていたような、、そんな感覚。


上がる前に彼は自分のその思いをプツンと切った感じでした。



私の中での出来事かもしれない。
でも繋がってからずっと重い重い空気だった部屋と体感がスッキリ。。


やっぱり死んだ人は光になるのも早いけど、、残された者はなかなか、、、改めて彼の魂の安らぎとご家族の苦しみが少しでも和らぎますように。。お祈りいたします。