入院生活と回復(?)が長引き
更新が遅くなってしまいましたが
無事12月に女の子を出産致しました。
色々ありましたので
出産までのお話を、少し
妊婦検診では、妊娠初期頃から
病院ではかると血圧が高めに出ていたので
妊娠中は毎日血圧をはかり記録するよう指示を受けていました。
家では全く問題ない数値だったので(むしろ低い時も)、
病院で緊張して血圧が上がっているのでしょうと先生に言われていました。
しかし臨月に入り、自宅での血圧も130を越えるようになってしまいました。
病院に電話→受診→これくらいなら大丈夫と医師に言われ帰宅、を何度か繰り返し…
37wに入ったある日、里帰り先の実家で夜の血圧をはかると上が150を越えていました
翌日、午後一で産院に行くと、たまたま院長先生が診察してくださったのですが尿蛋白が出ていました。
妊娠高血圧症候群になっていました。
自分が思っているよりも事は重大で、院長先生によるとこのままでは母子ともに負担がかかり私に脳出血や痙攣の恐れがあるとのことで、37wに入っているしこのまま出産準備に入りましょうということでその場でバルーンを入れてそのまま家に戻ることなく緊急入院となりました。
今まで何故問題ないと帰らせていたのか、と院長先生が話しているのが聞こえました…
妊娠高血圧症候群は、赤ちゃんを出してあげることが1番の治療、ということで今日はバルーン、翌日から促進剤を入れていく計画です。
この時点で子宮口の開きは1cm。
バルーンの処置自体は全く痛みはありませんでしたが、夕方から徐々に生理痛のような痛みが出てきました。(まだ全然耐えられる)
21時頃、夜の回診で血圧を測ってもらうと、なんと上が190近い値を叩き出してしまい、測定してくれた看護師さんの顔は真っ青に…。
言われてみれば、くらくらするような、視界に花火のようなものが見えるような…
そして、あっという間に緊急帝王切開が決まりました。
心の準備が一切出来ないまま術前処理がすすんでいるからか、高血圧のせいからか、どちらのせいかはわかりませんが頭がぼーっとしていました。
あれをしたから?
これをしたからよくなかった?
もっとお腹にいたかったよね、ごめんねという気持ちでいっぱいでした。
手術の同意書のサインのため両親を呼んでもらったり(里帰り出産、県外の距離なので夫を待っていたら間に合わない)看護師さんたちがバタバタと手続きをしている中、病室で一人泣きました。
血管確保のための点滴をつけてもらう時に、なかなか血管に刺さらず、皮膚の中で針をグリグリされ、
看護師さんに「本当にごめんね!すごく痛いよね!」と言われましたが、ヘパリンのうちどころが悪かった時の方がよほど痛かったです
笑
笑両親が来て、緊急扱いということもありすぐに手術の時間はやってきました。
体を切るのは初めてだったので、手術台に上がると強い恐怖が襲ってきましたが次第にもうすぐ会えるんだというドキドキ感に変わりました。
背骨のところに麻酔をうつときに、どれくらい痛いですか?と聞くと先程の看護師さんが「さっきの点滴の針グリグリのほうがよほど痛かったと思いますよ
」とのことで一安心
」とのことで一安心手術が始まってからは勿論麻酔が効いていましたしお腹のところで目隠しがされていたのでいまどの段階にいるのかわからず…
体を切ることへの恐怖からなのか麻酔の副作用なのかわかりませんが途中猛烈な吐き気に襲われたりもしました
急な展開で戸惑いが大きいでしょう、と先生や助産師さんが私のことをとても気遣ってくださりたくさん話しかけたりアナ雪の音楽をかけてくださいました。
緊張しながら待っていると助産師さんの
「赤ちゃん出ます!」
の声とともに大きな泣き声が聞こえました。
そしてすぐ顔の横に連れてきてくれたときは
胸がいっぱいで涙が溢れて溢れて止まりませんでした。
(深夜の緊急帝王切開となり、夫は立ち会えませんでしたが翌日面会開始時間すぐに駆けつけてくれ、無事に赤ちゃんと私と会うことができました)
術後は後陣痛や傷の痛み(緊急帝王切開だったため予定帝王切開の人とは切り方も閉じ方も違ったそうで…しかも術後は長時間放っておかれて麻酔や痛み止めの薬も無しでしたw)で本当にキツい思いをすることになるのですが、過ぎてしまえばその記憶も薄れてくるもので…。
集団授乳指導のなか、自分だけうまくいかなくて病室でひとり号泣したこともありましたが
今は母子ともに健康で実家で母に甘えまくりながらゆっくり過ごしています
さて、リプロで陽性判定を貰ってからは
わたしは無事に産めるだろうかという不安と
自分が付けるマタニティマークで、いつかの自分がそうだったようにそれを見た誰かが胸を痛めてしまうのでは、とか
それに関連して、つわりや様々な身体症状が出ても「つらい」などと口にしてはいけないのではないかという、
過去の自分に対してなのか…よくわからない罪悪感と常に戦っている状態でした。
ですが羊水検査の結果が出てからは
結果が陰性だったことに対してでは無く
妊娠そのものに対して肝が据わったような、精神的に折り合いがついたようなそんな気持ちになっていき
そこから出産まで今までの期間を取り戻すように穏やかな日々を過ごすことができました。
最後は妊娠高血圧症候群によりバタバタとした出産となってしまいましたが、このかけがえのない宝物と会わせてくれたリプロには心から感謝しています。
無精子症と診断されたとき…無精子症という言葉が持つ絶望感や虚無感は、とても私一人で抱えきれるものではありませんでした。
一時は精神的に底の底まで追い詰められました。
愛する人と一緒にいたいという思い、家庭を持つ夢、そして傷ついた夫に自分は何ができるのか、何も出来ないのではないか…自分の存在意義さえ問うたこともありました。
私は精神的な痛みにも、肉体的な痛みにも、
自分でも情けなくなるほどに本当に本当に弱い人間です。
幸運にもteseで精子は見つかったものの、リプロでの治療成績は、(初期胚凍結以外は)受精卵の全滅ばかり。なので胚盤胞にたどり着けたこともなく、飛んでいくお金と時間、友達の妊娠出産報告を心から喜べない罪悪感、全く先が見えない不安に押し潰されそうな日々…
この子を授かれたことは奇跡だと今でも思っておりますが(リプロの技術力はもちろん)、こんなにも弱い私が、夫婦2人で無精子症と向き合えたのはそこまで二人で出会ってから積み重ねてきたもの全部が私たちを支えてくれたから、というのが大きいと思っています。
よく目にする「こういう経験が当たり前(家族や健康だったり)の大切さをおしえてくれた」というようなフレーズ。
今までピンときていなかったのですが、今はよくわかります。
無精子症で良かったとは、思えません。
でも無精子症が、この経験が、夫という大切な人を私にとってもっともっとかけがえのない存在にしてくれました。夫のことを、心から大切だと、大好きだと思うこと、気付くことができました。
teseを受ける…病気を治すためなどではなく、他ではない私との子どもを授かるために産まれて始めて自ら手術台に上がってくれた夫の強さを、優しさを、知ることが出来ました。こんなにも弱い私が度々の採卵や自己注射の決意ができた、そんな相手と出会えた自分の人生に、自信と誇りを持つことができました。
この子もいつかきょうだいがほしかったと言うのかなとか、妊娠中知り合ったママさんに当たり前かのように第二子を作るタイミングを聞かれりすると少し胸がチクッとすることもあります。
少し前の自分ならこれをなんて贅沢な悩みだと言っていたことでしょうね。
私はその分この子には愛情を注いでいきたいと心から思いますし、まだリプロには少しの精子と初期胚が残っていますが、お金と、子供を抱えた転勤族の遠方治療との兼ね合いもありますので諦めるかチャレンジかはゆっくり考えていきたいと思います。(できればどんなに望みが薄くとも全て迎えに行ってあげたいのですが…)
つわり中リプロに向かう道すがら、我慢できず思いっきりリバースしてしまい服が汚れてパニックになったこととか、今ではいい思い出です
今はとにかく慣れない子育てに追われる中で、勿論喜びもありますが大なり小なり子育ての悩みや心配事は本当につきません。
でも、私がブログを始めた経緯と目的を考えるとそれをここに書き綴っていくのは違うと思いますのでこのブログはここで終わりにしたいと思います。
無精子症は、きっと一昔前ならそう診断された時点で問答無用で妊娠は諦めなければならなかったことを思うと現代医学に感謝と、全てのひとの妊娠出産が叶いますようその更なる発展を願ってやみません。
一時は孤独感に苛まれ押し潰されそうな気持ちの中、同じ悩みを抱えている人の声を聞けたのも、共有し励まし合うことができたのも、リプロの存在を知れたのも、全てこのブログを通してでした。何度救われたかわかりません。
関わってくださった全ての皆様に、お礼を申し上げます。
本当に本当にありがとうございました。
※少しでも同じ境遇の方の参考になればと思いますので個人的な記事以外は全体公開に変更しておきます。

