今日はきょうちゃんのお誕生日
まみちゃんによるバースデーyogaを楽しんだ後、富雄川沿いから少し入った所にある、ラ・カーサ ミーアにランチしにいきました。
いつものランチより、お値段は少しあがりますが、私とともちゃんからのプレゼントです
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このお店から歩いて少しの所に、天之忍穂耳神社がありますが、誰も行った事がないという話になり、急に行くことになりました。
近い割りには、車を置くところもなく、寄る機会がなかったので、私が一番喜びました
富雄川沿いを北上すると、横に入る切れ目があり、看板があります。
生駒市上町4712
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神武天皇聖蹟鵄邑顕彰碑

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皇紀2600年記念事業の時建てられたようです。
石碑の裏には、金鵄の瑞兆により、この地が鵄邑と呼ばれるようになったことが書かれています。
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金のトビのお話しはこんな感じ…

紀元前663年(神武即位前3年)、磐余彦尊の軍はついに長髄彦を討つこととなる。
金色の不思議な鵄(とび)が飛んできて磐余彦尊の弓先に止まった。
鵄は光輝いて雷光のようであった。
このため長髄彦の兵達は惑わされ、力を出せなくなった。
この鵄にちなみ、この一帯を鵄邑(とびむら)と呼ぶようになった。

そこから鳥見、登美、富雄などの地名が派生したとされています。
地元では、金鵄米などの米のブランドや、鳥見の人々が伝承保存を目的に発足させた金鵄会という会の名前にも使われています。
でも、その名前の由来は勝者によるすり替えなのに…とついつい思ってしまいます。

河内、大和一帯は神武以前から鳥見(登美)の里としてトミ一族が平和に治めていた場所だったという文献も多く残ります。(消されてはいますが)
長髄彦も、トミノナガスネヒコです。
出雲のトミ(富)一族ですが、大和一帯には出雲と同じ地名、トミのつく地名が多くありました。
消されてしまった温和であったろう民族の鎮魂と
これからの本当の調和を祈りたいと思います。


石碑から天之忍穂耳神社へは、竹やぶなどの中を少し歩いたところにありました。
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天之忍穂耳は、先日行った勝手神社の御祭神でもあります。
一番思い出すのは滋賀県東近江市の阿賀神社、太郎坊宮です。素敵な巨石がありました。
短い期間にご縁が続くのは不思議です。
天之忍穂耳命は、アマテラスオオミカミとスサノオノミコトの誓約の際、アマテラスの勾玉から生まれた五皇子の長男で、稲穂の神。
弟にアメノホヒなど。
ニギハヤヒと言われる天之火明命の父であります。
古事記などの表記は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命。(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみ)変名に天忍骨命(アメノオシホネノミコト)
天之忍穂耳命と万幡秋津師姫(タカミムスヒノカミの娘、ヨロヅハタトヨアキツヒメ)の間に生まれたのが天之火明命とニニギノミコトですが、
天之火明命をニギハヤヒとして、十種神宝を持ってニニギより早く天降ったとすると、長髄彦の妹の美炊屋姫を娶ったニギハヤヒとは年代的にも別です。
オシホミミの息子か、スサノオの皇子か、瀬織津姫と対かと思われるニギハヤヒと長髄彦の妹を娶ったニギハヤヒ、もしかして二人か三人?が同じニギハヤヒで呼ばれている?と考えなくては難しいのだけど、この生駒には数人のニギハヤヒの遺跡?が残るからややこしいのです。

そうなるとオシホミミの父でもあるスサノオと、長髄彦の時代のスサノオも別ですね。古代史はややこしい❗️