久しぶりに、ニギハヤヒの事でいっぱいの一日でした。
饒速日命がとても気になり、いろいろ探索したのは数年前。

ニギハヤヒのお墓といわれているのは、この生駒などに5箇所くらいあるそうですが、本当の場所…というところ?に六人でお参りさせていただきました。

Oさんの指示で、大阪から来る途中、Oさん、Nさん、Wさんで枚岡神社の出雲井の御神水を取りに行き、
石切劔箭神社の奥宮へお参り。私はここから合流しました。
上の社は凛とした空気で気持ち良かったです。
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石切劔箭(つるぎや)神社のご祭神は
饒速日尊、その御子可美真手命(うましまでのみこと)の二柱

饒速日尊が十種の神宝を授かり、天磐船で天下った時、既に勢力をもって治めている先住の民がおり、尊はその一族の長、長髄彦の妹、登美夜毘売(三炊屋媛みかしやひめ)と結婚、可美真手命が生まれました。

今回気になったのは、登美霊社
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丸みを帯びた綺麗な社が建てられていて、
中には火が灯され祀られてました。
何故かとても感じるものがあり、見入ってしまいました。
神職の方に伺うと、ニギハヤヒの奥様である登美夜毘売がお祭りされてるとの事。

ここからは、地元である私の先導で白庭台駅へ。こちらから神社の神職の方など二名が合流しました。今日はついたちで、神社では祭式があったのですね。

こちらからすぐの総合公園内のニギハヤヒ墳墓へ向かいました。
数年前、一人で探しに来ましたが、あまりに寂しげな所で、すぐたどり着くかと思っていたのに迷いそう…と、途中で帰ってきた事がありました。
なので、初めてです。
こちらは、大正三年に発足した鳥見の地元の人による金鵄会により建立されたものと思われます。
先代旧事本紀には、天の羽弓矢、羽々矢複、神衣帯手貫の三つを登美の白庭邑に埋めて墓とした、とあり、
確かにここのすぐ北側には長髄彦の本拠地と伝わる場所もあります。
もの寂しい林の中に、ぽつんと石柱がありました。
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饒速日命なのに、なんて質素な墳墓でしょう。
後ろに敷き詰められた割石に神籬の枝をたて、祈らせていただきました。
ニギハヤヒの陵墓は三輪山で、そこを御神体として大神神社で祀られていた、という説もありますが、そうであってほしいとも思いました。
702年頃、記紀の記述が改竄されてる事の指摘を恐れたのか、大神神社の大神朝臣も石上神宮の石上朝臣も左遷されてます。
いろいろ隠されているのでしょうね。

さて、その後、Nさんがおっしゃるには本当のニギハヤヒの墓、という場所に行きました。
そこは私の友達の家の近くでもあり、以前も参らせていただいた事がありますが、ニギハヤヒ関連の場所とは知らずに行きました。とても不思議な、異次元の様な感じがしました。
Nさんがそこを管理している方に伺ったところ、昔の時代に、官人から、ニギハヤヒの史蹟である事を伏せるように言われたとか…?
だいぶ以前に、滝沢泰平さんが、天下泰平で書かれていたのもここだと思います。
『一般には一切公表されてないニギハヤヒの墓と呼ばれる場所は…竹やぶと16個のストーンサークルに囲まれた幻想的な空間の中央に巨大な磐座として鎮座されていました』(以上転載)

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忌部氏の紋章⁈

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磐座は恐れ多くて写せませんでした。
鎮魂の気持ちで祝詞等あげさせていただきました。
近くの神社を参拝、直会をして帰りましたが、一緒に廻る事となった5名の方々との御神縁にも感謝した一日でした。