羊の休み時間  No.4


キヨコさんのこと


久しぶりに並木道を散歩すると、枯れているような細い枝から小さな芽が吹き出していた。一本の木に枯れてしまった枝と命を宿している新芽が同居している。命の不思議さと、生死が隣り合わせにあることを改めて思う。何の木だったろうか、枝にふくらんだ白く綿毛に包まれたような小さな芽の息吹を見ると、私は思わず胸がいっぱいになった。

キヨコさんと私が出会ったのは35年前、互いにまだ20代だった。1年間だけだったけれど、私がドイツのケルンで間借りしていた笙子先生のお宅に、家事のヘルパーとして週に一、二度通っていたキヨコさん。ケルン大学に留学していた彼女は私と歳も同じで、私たちはすぐに打ち解けて友達になった。キヨコさんは理数系の人でメカに強く、化粧もせず身なりも気にせず、ドイツ女性に勝るとも劣らない強さを持っていた。

彼女と知り合ってすぐのこと、日本から私の父が心臓発作で入院の知らせが入った。かなり危険な状態だから帰ってくるようにと言われて気が動転している私の横で、キヨコさんはずっと私をなぐさめてくれた。父は小康を得て落ち着いたものの、心臓の手術を受けることになり、それから2ヶ月後の7月半ばに私は一旦帰国した。術後10日目、麻酔から目覚めることなく亡くなってしまった父の葬儀を済ませて私がケルンに戻ったのは、9月半ばだった。毎週、通って来るキヨコさんを、私は待ちわびるようにして辛い胸の内を打ち明けた。

しばらくして、男性になど興味なしと言わんばかりだったキヨ子さんは突然、70歳近い男性と同棲するようになった。大きなヨットを持っているそのドイツ人男性と彼女は、とても気が合っていたようで、いつも嬉しそうにヨットで出かけた旅の話などしていた。

私がケルンから戻り、静岡の家で元の生活に戻って二年目のころだったろうか、キヨコさんが静岡の家まで訪ねて来てくれた時、今度は私が彼女を慰める番だった。同棲相手の男性は突然、交通事故で亡くなってしまった。彼には二人の先妻がいて、キヨコさんよりずっと年上の子どももいたようだった。その子どもたちがキヨ子さんに対し、随分に無礼な方法で家から追い出したのだ。この世で一番好きだった人との突然の別れに加えて、虫けらのように扱われて住居からつまみ出された彼女の心の傷は大きくて、ポロポロと大粒の涙を流し、しゃくり上げながら話すキヨコさんに、私はひたすら寄り添って話を聞いた。

そうして互いに色々なことがありながら、幸運にも優しい伴侶と出会うことができ、キヨコさんは二人の女の子の母親になり、私も2年遅れて一人の娘を授かった。

キヨコさんのご主人は和弓が趣味のドイツ人。今度はキヨコさんよりちょっと年下でウヴェという名前の大男。静岡に来た時は二人のアツアツぶりに私たち夫婦も目のやり場に困ったほど。でも、幸せそうなキヨ子さんを見て私はとても嬉しかったのを覚えている。

 その後も私たちは家族で交流した。一緒に伊豆に旅行したり、藤枝の山でキャンプしたり、私たちがドイツに行ったときは彼らがロマンティック街道を案内してくれた。

 昨年のお正月はキヨコさんからの誘いで、私たちは川越までの小旅行をした。久しぶりに会ったキヨコさんはいつになく顔色が悪かった。このところ体調がすぐれないという。いつもウヴェを叱り飛ばしていた元気なキヨコさんではなかった。でも、「お互いに歳だから体にもいろいろと出てくるよね」などと、私はさほど気にも留めずに一日中あちこちを歩き回った。

ご両親が亡くなり、空き家になっていた埼玉の実家をお兄さんが処分してしまったことにキヨコさんは随分がっかりしていたようで、どこかにマンションを買って、いつでも日本に帰って来られるようにしたいと話していた。ドイツ語が堪能ですっかりドイツに馴染んでいるように見えたキヨコさんも、やはり故郷の日本がいいのだなあと思ったものだった。「また日本かドイツで会おうね」、そう再会を約束して私たちは別れた。

 ウヴェから突然のメールが届いたのは2月下旬のことだった、2月16日にキヨコさんが亡くなったと知らされて、私は本当に信じられない思いだった。キヨコさんが死んでしまうなんて考えてもみなかった。実は2010年に発症した癌を、彼女はウヴェ以外の誰にも告げず、今まで通りの生活を続けようとしていたようだった。亡くなる前の数ヶ月、彼女はウヴェに何度も何度も「私は幸せだった」とくり返したという。ウヴェも深い失意の中で、彼女のその言葉が大事な宝物になっていると書かれていた。

ちょっと威張りん棒の姉さん女房だったキヨコさん、人生の最期にあたって、愛する人に感謝の言葉を十分に伝えて天国に行けたのは、本当によかったと思う。

 ウヴェからのメールの最後には、こう記されていた。

「朝の光は、新しい世界を照らす」

長い闘病生活を共に生きた彼の、精一杯の言葉だったに違いない。

「キヨ子さん、安らかにお休みください。あなたが私にくれた友情を、私はずっと心に刻んでいます」合掌。