詰まる所、現在の日本において行われ、また叫ばれている改憲の必要性議論なるものは、その底辺に流れる物が全て戦前の日本に是が非でも戻したいと欲する一部の王政派とも言うべき右翼的な価値観の物に集合されている様に左様に感じざるを得ないところがある。日本の改憲を叫ぶ時にその必要性の具合を是非とせず、あくまでも自身らの欲する改憲に行き着くか否かを指軸として解釈が行われている。その例えば極端な事を言えば、曰く皇室の廃止、曰く自衛隊等の組織の完全廃棄、曰く官僚組織の完全なる解体を主眼とする様な文言を並べた改憲の発議は、売国奴という文字を持ってして、粉砕されるを余儀なくされるものである。故に私利私欲とも言うべき己の欲する道、その方向性をのみにして、一方通行の改憲のみが許可されるという極めて非民主的なプロセスと目的がその改憲という文字の背後には常にある事。
口を開けば壊れた蓄音機の如く米国によって作られた押付けの憲法であると言い、常にその改憲を唱えて来た歴史を持つ改憲論者達は、全く現在の文章と同文の憲法の再可決と決議で本当に満足し、それで日本国民が改めて決めたと言えるのかと言えば、それはあくまでも詭弁に用いてるのみである。
しかし、本当に米国は九条を欲していたのか。今、日本に9条が無くなれば、中東でイランの革命防衛隊の代わりに行かせられる地上軍はどこの軍隊になるのか。中国との緊張の中で、実動部隊を出し、米国の代理戦争をさせられる軍隊をそんなにまで現代で持ちたいと欲するのか。日本国内に米軍の基地を保有し、そのシステム運用のブラックボックスを米軍に抑えられている今、米国との同盟関係が切れない中で、自主独立を詠ったその未来にあるのは、9条という防波堤が崩れて襲いかかる進撃の巨人で無いと言い切れる保障は、今の政治家には無いであろう事は明々白々である。
口を開けば壊れた蓄音機の如く米国によって作られた押付けの憲法であると言い、常にその改憲を唱えて来た歴史を持つ改憲論者達は、全く現在の文章と同文の憲法の再可決と決議で本当に満足し、それで日本国民が改めて決めたと言えるのかと言えば、それはあくまでも詭弁に用いてるのみである。
しかし、本当に米国は九条を欲していたのか。今、日本に9条が無くなれば、中東でイランの革命防衛隊の代わりに行かせられる地上軍はどこの軍隊になるのか。中国との緊張の中で、実動部隊を出し、米国の代理戦争をさせられる軍隊をそんなにまで現代で持ちたいと欲するのか。日本国内に米軍の基地を保有し、そのシステム運用のブラックボックスを米軍に抑えられている今、米国との同盟関係が切れない中で、自主独立を詠ったその未来にあるのは、9条という防波堤が崩れて襲いかかる進撃の巨人で無いと言い切れる保障は、今の政治家には無いであろう事は明々白々である。