世の中の大抵の金儲けというものは、付焼き刃の知識があれば、起業し、ある程度の成功を収める事は誰にでも出来る。しかし、問題はその先の持続維持をどうやって続けていくかという事だろう。億単位の成功を収めた人物が、その後紆余曲折を経て倒産、借金に行ってしまうのは、洞察力が欠けているからなのだろう。

 関東連合や、反グレ的習性の気質的環境を経て猪突猛進の行動力と潔さ、そして横の人脈等や今の若者に欠け勝ちなコミュニケーション能力。これらが彼らの起業から成功までの勢いを支える原動力になるケースが多い。だが、そうした一匹狼的な気質は膨れ上がった企業を維持するには不向きであり、優秀な参謀的女房役を共につけていないそうした経営者は、多かれ少なかれ脱落する事になる。幸運にも支える形の妻や夫を副官に持っている経営者等は、そうした難を逃れる事が出来るかもしれないが、みんなの党の元代表である某渡辺夫人の様な人に尻に敷かれている様では、どんなに本人がある程度優秀でも、組織と集合体というものの中では、部下の評判と婦人会というものもあるので、先が思いやられるのである。

 天の時と地の利そして人の和。多くの成功者には最後の人の和を軽んじる人々が大変多く、使い捨て正義の錦の御旗が罷り通っているようである。

 学とは学歴ではない。世の中の動きと危機管理が出来るレベルの情報を収集し分析する事の出来るレベルの知識である。ある大富豪の華僑曰く、遺産を自分の子供に残すとしたら、何を残すかと問われた時に、とにかく自分が与えられる上での最高レベルの知識と勉強を教え込む事だと言う。形あるものは必ず失ったり崩れたりするが、自分の頭に植付けられた知識は、胴体から首が切り離されない限り、生きてこの世の中で何かしらの形で生き残って行けるからである。生きているのにも関わらず、死んだ方がマシと考える人々は、人間の気取りであって、余裕のある出し惜しみの人生を送っているからに他ならないのだ。