なんて左翼的なタイトルだ!そう思うかもしれないが、実際に日本軍の創設を熱望しているのは、実は中国国内の民主勢力であるのではないだろうか? 事実上現代の歴史はそのお起きが過去の歴史から学ぶことが多く、その中にあるある種のループがデオキシリボ核酸的な螺旋構造要素を持って発展しているとも見られる。米国史が創立以降は中期に確立した二大政党制がそうした人間社会の主要要素を構築し、その流動に即した歴史学こそがあるべき姿とまで言われている。さて、話を日本に移すが、現代の国際社会で戦前のように宣戦布告が可能になる軍隊を日本が創設する意味を考えてみたい。アメリカの従属国である日本に於ける独立性のある軍隊の創設は、短期的に見れば極東アジアの安全保障を日本に押し付け、自国の国防予算を削減できる最高の材料に成り得るわけで、そうしたブームを利用し、日本に戦前のような統帥権をも拡大せんと欲する一派がいるのかもしれないが、まあそれはそれで勝手に原爆のきのこ雲を何個でも日本上空に発生させれば良いだけの事なのだが、問題は中東である。

日本の憲法9条は無用の長物に見えて、海外に進出する日系貿易業者にとってはある意味では恩恵にあずかっていたところもある。というのも、日本外交の伝家の宝刀、玉虫色が通じつるからである。反米感情が強い地域であれ、親米的な地域であれ、そうした国際情勢にさほど左右されずに、日本商社は石油や資源等の貿易利権を冷戦中も含めて、両陣営の中から少しずつ得られてきた歴史がある。仮に、交戦権を保持した軍隊を持った日本になった時に、イランと米国が交戦状態になった場合、これまでの後方支援という隠れ蓑は取り払われ、日本人の血の流れる量がミリリットルからリットル尺に変化し、死者の数も敵味方を合わせて2桁では収まらなくなるだろう。そんな時に、本格的にサイバーテロに無防備な日本が、原理主義者のようなオウム的な国際組織に対し、どれほどの抵抗力があるのか、疑問に思う。

自衛隊には情報保全隊もあり、一定の憲兵的役割を担わせることは可能だが、最終的には戦前のように、何かと熱しやすく冷めやすい、自由を履き違えた日本国民を恐怖の専制政治でねじ伏せるような、反民主主義的戦前のような封建的な国家体制に戻さない限り、日本人はそういったものの中では何も出来ないのではないだろうか?

近代に入り、産業革命が起こると、アメリカ大陸で発見された石油が、その後の戦争を生んできた。そして、その石油を支配する者達の手の中で、世界戦争は計画的に繰り広げられてきたのである。大東亜共栄権も欧州の手からアジア利権を捥ぎ取る為に利用されたに過ぎず、日本の対米開戦も、日本から米国のオイル会社へ数年分の備蓄石油が発注された時点で、日本から現在の自衛隊機のようにふっかけられた値段の状態で膨大な量の石油が日本へ渡り、その石油で日本軍は米軍と戦ったのである。つまり、日米開戦が叫ばれていた最中に、本気で開戦を阻止する気なら、日本への石油転売など言語道断なのだが、アメリカはそれを国策として遂行した。

エネルギー資源に枯渇すると、平和が乱れ殺し合いが始まる今の世の中。日本は早急にメタンハイドレートとオーランチキオキトリウムや榎本藻の開発と実用化を急ぐべきである。

余談だが、北方領土の解決とロシアとの平和条約は、ベーリング海峡を挟んで領土を接している米国にとって、日露の接近は好ましくないという事だけは覚えておこう。