韓国人女性とちょっとでもつき合った事のある人なら、彼女達の整形に対する貪欲さには圧倒された思いがある事だろう。もし、男性としてそんな整形した彼女達と対面した場合、その反応に苦慮してしまう事もしばしばだ。なにしろ、プチ整形ならばお洒落の一貫として社交辞令的にも誉める事は吝かでは無いが、ジョージ高野が居なくなったと思ったら、コブラになっていたというそのツラを観て、綺麗になったねとでも言おうものなら、過去の顔がブスだったと言っているようなもので、本人を傷つけてしまいかねない。当人にそういった自覚がある程度を持っているから、整形をしているのだろうけども、これは同性同士でも厄介な問題である。

 韓国社会では一般的に、整形は通念的には積極的に行うべきだと言う考え方が、男女を共にそう認識されてしまっているようだ。そこには、ある種の個人のアイデンティティーであったり、はたまた親から貰った大事な先祖から受け継ぐ伝承や遺伝子の継承といった事はあまり考えないらしい。タテゥーを入れるのでさえ問題視される事もある社会感覚からすれば、そういった物に対する躊躇が全く無いのは、ある意味男性としてはうらやましい程に割り切りがハッキリしているのではないだろうか。皆が皆そうでは無いが、韓国人の男性の多くは自信家でナルシストが多い。最近の日本人男性もそうかもしれないが、韓国人男性の方が顕著である。誰も彼もが芸能人気取りになり、女性もそれに追従し自信を持つ手段に整形を選ぶらしい。しかし、その考え方が既に女性の立場と地位が男性よりも下である事を示している。韓国において売春業務がギャンブルと並んでビジネススタンダードになってしまうのも、女性達の肉体に対する割り切り感と男性に奉仕するものであるといった考え方が、一部にあるように思えてしまい、日本人女性に比べてそういった部分が明確という所もあり日本人男性の興味と意欲をそそるのも、それ所以なのかもしれない。

 韓国の女性の多くは、稼いだお金や入金に余裕ができると、若い女性はまず何よりも整形にお金を費やしてしまう。その度合いはプチ整形等のような可愛いものでは無く、もはや金銭の許す限り弄くり倒す、フルモデルチェンジだ。目の切開から二重、涙袋に鼻、そしてあごの削りに至る迄、その他にもいじれる所は何処だろうと弄り、体もくびれをさせる為ならろっ骨だって抜いてしまう。自分の体でも躊躇なくありとあらゆる所を弄くり倒せるその様は、彼等の食文化の下劣さにも通じるものがあるのか。韓国の整形外科医は人気菓子を作るパティシエのように、間違い無く上昇株の業種になっている事だろう。何処の医学会と広告代理店が何年前に火をつけたのか知らないが、もはやこの流れは止められない感じだ。そして、お金のあるものが、顔だけどんどん弄っていき、金のない物は、昔ながらの韓国人女性の遺伝子を受け継ぎ農村で生活していく事になるだろう。そうした貧富の差が、そのまま韓国人女性の顔の整形に表れてしまっている。韓国内で性差別や地域差別が常態化している社会に、新たな女性差別が生まれてくる事は確定的かもしれない。

 顔をいじって、新たな自分に生まれ変わり、嘘で固めた自信を身につけても、内面が変わらない事には人は本当には変われない。数カ月会わないと思った韓国人女性が、フルモデルチェンジして誰だか分らない迄に整形された顔で、マスクマンのように目の前に表れた時には、誰か勇気を持った藤波辰巳が「お前、平田だろ!」と言ってあげる必要がある。(笑)