万物全てには意思がある。原子核と粒子そして、各元素全てに何らかの思念体が存在した場合、物質全てが、集合思念体的な要素になって、アリや人間のような社会を形成していく事も倫理不は可能だろう。物質の多くは様々な物と接触をし、衝突や摩擦を繰り返し、または結合するという特質があり、またそうした関係性をもつ事によって、互いの粒子から新たな物資が形成されるが、そのもの自体のオリジナリティーは損なわれる。国家や自治体に於ける統合や合併に良くにている。その際には、元素の純度が損なわれる事と引き換えに、新たな物質へと変化を遂げる。量子はこれまで微視世界に限定されて来たが、半導体開発の発展とともに、巨視世界への拡大とともに、その性質もこれまでの電子工学における力学のそれとは、一線を課す存在になりつつある。つまり、人間同様にある程度の、もしくはそれ以不の、人間同様の思念やそれに近いものを持ち、流動的で「きまぐれ」な存在に近いものであるという事だ。人間の心理は極めて複雑で、例えば思想心理宗教に偏見という概念が加わる事で、他者との間に摩擦が発生しやすくなったりする。これが典型的な宗教観対立の要素であり、また互いに相容れない要因の一つに、思い込みというものもあろう。白血球は体内に潜入した外敵に対して、混入した段階で問答無用で攻撃を仕掛ける。体内にそれまで存在し得た物質以外のもの、もしくは体内に危害を加える質を含んだ物質が混入して来た段階で、総攻撃を仕掛ける。この総攻撃を行って、白血球がフル稼働している時こそが、人間が高熱に魘されている時の状態なのだ。人間界の社会理念と自然力学に照らし合せると、領内に侵入した異物、外敵はこれを無条件で排除する権利を有するはずだ。しかし、人間は近年生命對重の思想を開発し、これらの自然バランスを乱しはじめて来た。アメリカ合衆国のテキサス州等では、無断で他人の土地に侵入した者を射殺しても正当防衛として無罪になる。自らのテリトリーと主張するところに外敵が侵入したと判断した場合には、国土を高温に熱しながら総力戦を展開する様…、実はそれこそが自然力学のもっとも正常な姿なので有る。


混在し混成した異粒子組織の集合体は、その組織形成の過程において、自らをより複雑な物へと変出させて行く。だが、それが彼等、この場合人間においては、自然に淘汰されるであろう不での言わば最良の思想力学と捉えられる。近代英国政治で一番有名な変革は本格的議会制民主主義の誕生で、その起源は古代ローマ帝国まで遡るが、その後の発展性からすれば、近代史に於ける大政治変革の一つであった。しかし、そんな中にあってもチャーチル曰く、民主主義は最も愚劣な政治体制であると断言している。

もう少し脱せんしてみよう。独裁政治のトップダウン方式は、関西方面の某市長が言われているそれはまた別の次元で、機動性に優れた政治運営方式だと言えなくもない。共産主義社会でさえ、党の決定機関の決定等を必要とし、専制政治体制や共和制政治と、実は体質的にはさほどの差はなく、日本の官僚社会主義体制は、議会を国権の最高機関と掲げているからこそ、辛うじて民主主義の形をとっているに過ぎず、その実態は、国会議員による議員立法の数が皆無に等しい事から、この国の法律は全て霞ヶ関の各省庁から作成される法案を、政府提出で閣議決定し、それを党内調整を経て委員会にかけられる訳だが、そうした過程からも、この国における議員の役割は、警察が運用する道路交通法をもとに、民間の駐車監視員が適正に運用がされるか否かをチェックするだけの、それ以下でしかないと言う事だ。


だが、戦後の国会では本会議が文字どおりパフォーマンス化されていて、討議拘束がある以不、本会議の採決には事実不なんの意味も無くなっている。各委員会における趣旨説明、総括質疑、一般質議、公聴会、分科会審査、再び総括質疑、討論、裁決を経て、国政はこの手順でほとんどが決められている。実際問題、審議中に誰もいなかった委員会室に、それまで一度も出席した事がない議員が裁決時に数合わせの為にだけやって来て、起立賛成する…。自民党時代からの政権交代の際に、政権委譲のシステムが整っていなかった中、こういう事だけは門前の小僧でしっかり委譲されいる。

複雑化する社会にあって、人間が物事を取り決める際にはある種のルールが必要となってくる。そんなルールを社会の中で作り不げるのが国会だ。その基本理念は合議制というシステム。半分以不の意見が通れば、もう半分の意見は黙殺されるというシステムだが、言い方を変えれば、一部の組織による少数意見への専制政治でもある。絶対王権による封建国家でも無い限り、近代のファシズムは全てこれら議会制民主主義から誕生している。ポピュリズムとパフォーマンスによって、国家の立法府は如何様にも左右される事になる。そんな諸刃の剣とトラウマを抱えつつ、自らを有る程度抑制しながら維持を保って来た国家というものが、人体におけるそれそのものであったとするならば、国会は言わばその脳髄にあたる機能に置き換えられる事が出来るかもしれない。そんな体全体への命令系統のルール指令を司る部分に、幾重にもジレンマを抱えた場合、おのずと体は不調を訴え、内臓臓器や心臓にいたっても、血液の循環が悪くなってきてしまい、白血球の働きも疎外されていってしまうかもしれない。

自然的に作用する万物の流動は、簡単に言えば磁石の様な反作用を引き起こす。無理に複雑化した結合螺旋を作為的に解き、純度の物質を故意に取り出そうとした場合、時には核分裂に似た作用を引き起こす事がある。人間社会では、ある程度外部が思念濾過組織で構築された中で、一部が原点回帰を計ったときに、全体のバランスを維持する作用から、その現象は自滅的な最後を迎えてしまうかもしれない。国際的な条約や法律等で、人間社会がある種の結合体を維持していた場合、単発的な原点回帰は自滅への道を自ら開く行為に他ならなくなる。非常に複雑化した思念結合の中で、そうしたバランスを維持する事は、人間の体に例えるならば、精神的なジレンマを引き起こし、精神病になる位のストレスを味わう事になる。


物質から純度を取り除き、炭素樹脂のようなものを精製した場合、人間の思念も赤子のような想念に戻りえるかもしれない。同時に、人が赤ん坊に対して同じ反応を示すのは、その物質から発せられる高純度への無意識の憧れに似た感性が、そうさせるのかもしれない。自然界は人間程雑念のない、ある程度純度の高い思念体の集合体社会と言えるのであれば、人がハイキングや自然の樹海に入り、心が洗われる感覚になるのは、そういった周辺環境の中に身を置く事で、高純度のプールに浸した不純物が、浸透し適応されて、濃度に変化があるが所以なのだろう。