小沢一郎氏の心中を察する報道で溢れかえっているが、事実上不信任決議案を単独で提出出来ない51割れは確実で、自民党の多党への領空侵犯に援護射撃された野田執行部と自ら育てた最後の小沢派の総選挙での生き残りを賭けたギリギリの折衝が独り暗中模索されている事だろうが、民主党のハトマネーである鳩山が離党に賛同せず、また執行部もこの石橋財閥の金鉱を手放したくも無いだろうから、北海道の選挙区は自民党との間でも擦り合わせが今後行われる可能性もあろう。さて、小沢一郎と言えば元々は木曜クラブ/田中派の流れを組む自民党の主流であり、自ら闇将軍と自認していた彼の元に使えていた政治家である。その後、竹下・金丸が起こした分裂抗争を経て、故竹下登元首相を中心とする竹下派が日本政治で権勢を振るう事になる。これが俗に言うカレー派閥、経世会である。その中で彼の側近達は7奉行と称され、彼等による政治主導の時代がしばらくの間日本の政治を動かし続けて来た。その後時は流れて、七奉行の内、小渕、梶山、竹下、橋本がこの世を去った。民主党に政権交代をされた今現在、旧7奉行で生き残っているのは小沢一郎、羽田孜、渡部恒三の三人である。当時社会党が連立離脱した事から政権維持不能に陥って、在任日数64日を記録した羽田元首相を除き、政治的野心に満ちているのは、事実上残りの小沢と渡部の2人だけであろう。今現在、小沢一郎は自分の所属議員の延命と自らのポリシー、二大政党制維持への信念で突き動いている。しかし、その道はいずれも政治生命を絶たれたに等しい、退路を絶たれた背水の陣だ。以前の自民党時代の小沢氏であれば、今回の採決の前にどれだけ自分に信念があって、今後どれだけの大志と政治展望を描いているかを、自分の身替わりになって熱弁して説得してまわってくれるような側近や秘書が大勢居た事だろうが、今回はその大多数を代議士に裂いての民主党総選挙大勝であった訳なのだから、騒然タコが自らの手足が削がれている状態に代わりは無く、加えて有罪判決を受けた秘書や、自らも掲示被告人であるアドバンテージも付きまとう。こうした中で、大々的に花火を打ち上げるには、やはり力不足だったと言わざるを得ない所があるだろう。彼の考えもマスコミや一般の人々から見れば、自己中心的なポピュリズムと映るであろう。そもそも、大将の流儀や主義主張それらにおける様々な目的の為に政権取り等の政治理念を掲げて、国会議員が団結し結成されるそれらは、田中派の旗揚げ精神そのもので、合議制や討論を目的とした国会の存在意義に対するある意味での挑戦であり、本会議等をパフォーマンスにすぎないと豪語するその培われた国会感覚の改革こそが、自民党野党も含めて、実は今一番日本の代議士と国民有権者に求められている課題なのである。この問題提起をよそに、大連立を前提とした小沢切りを野党から公然と注文をつけて来る等という、選挙や政党という意識感覚を完全無視した態度に何の批判も生じない今の状態は、正に政治麻痺と言っても過言ではない。野田/谷垣会談を話し合い解散密約と読み間違え、今後消費税における国論も差程活発に盛り上がらない上に、自らが自民党時代に推進してきた反原発では、逆に推進派の渡部のほうが、経済界のウケも良い。野党転落後の総選挙後には自由党時代以上の悲哀が待っている事だろうが、新党大地と共に、彼の地盤だけは磐石なので、そういう意味での政治生命は保たれるだろうが、今後表舞台に返り咲き政権を担うような立場に就く事は、渡部氏に比べて極めて低いであろう。そんな中にあって、これまでの民主党の全ての政策等においても、反小沢を掲げる事で主流派を維持し、現在も野田の後ろにへばりついて、その地位を保守している渡部恒三の方が、同じ田中派系の奉行ではあっても、自らの主義主張を突撃隊長的に押し進める小沢一郎よりも、田中の『キングメーカー』『闇将軍』的な要素を受け継ぎ、その手腕を如実に継承している意味での政治屋としては、実は一枚上手なのかもしれない。