ざっちんのブログ-匿名
消費税法案裁決の最中に財務省の改竄を行うシンクロニシティーと霞ヶ浦を誤爆した事による二次元世界での話題性作り…、どこまでが偶然かは憶測の域を出ないが、それにしても良く出来た話である…。むっあせる


爆弾まず今回のアノニマスの事件を振返り、個人的に思う所を考えてみる事にしよう。まず、"批判"あってこそのジャーナリズムであり、耳の痛い言葉を遠ざけたら、それは亡国の道への特急列車だ。その前にノそもそも論だが、彼等が今回槍玉に上げているのは違法ダウンロードの罰則に関する法律についてであろう。日本は実は欧米に比べてあまりこの著作権と言う認識は薄く、万国著作権条約やベルヌ条約に辛うじて加盟している程度で、実際問題著作隣接権の保護期間が長い事国際水準以下であり、米国の強い要望でこれが延長される等の歴史もあったくらいだ。では、何故現在ではこれほど迄にガチガチに規制しまくろうとしているのだろうか? 第一にウィキリークスによる外交機密文書の流失である。これは日米間でも問題になったテーマだが、公文書を公然と破棄するような感覚の外務省であるから、民間に機密文章が垂れ流しになる等と言いう事は言語道断であり、むしろ民間に漏れた機密文書の原板が存在しない状態に近いのだから、既にこの世に存在しないゾンビ文章の乱発生は是が非でも避けなければならない所であろう。次に金銭と利権が絡む問題だが、いわゆるジャスラックという外核団体がどこの天下り先とはまでは言わないが、音源や権利の売り上げから数%の上前を跳ねている東電の電気料金と同じ仕組み構造に仕立て上げているのは、全てここに帰結している。ガソリンもそうだが、彼等がそうした余計な物を加算しなければもっと市場価格も下がり、オリジナルの販売価格が向上するとは夢にも考えないのだから、困ったものだ。さて、そんな彼等が守っている1万強ヘルツの周波数で切れてしまうCD等の音源は、所詮レコードのアナログに適うものでは無いし、Youtubeから落される音源も所詮はiTunesから手に入れるmp3よりも格段に劣る。末端の消費者に良い音質のを手に入れたいと思わせる程の物を作るのが生産者の義務であるし、ある程度のもので妥協して、それでヨシと思われるならば、所詮その商品はその程度のものだったという事だろう。


一方でこれが話がジャーナリズムや報道に関わって来ると、話は複雑になってくる。いわゆるメディアが仕入れた情報には編集者作物としての著作は保護されるが、その原板はその限りでは無いはずだ。既存のメディアがその情報源をウィキリークスに頼り、映像をYoutubeに投稿される一般の映像を使用した場合、その後に発生する編集作物権のみを請求するのは甚だおかしな話なのだ。日本にはそれでも規制しようという個人情報保護法なんてものが存在する。言い方は保護だが、「退却」を「転進」と言い換えた国での産物である。やましいことがある時こそ、逆さの名を用いて本質をごまかすという、国民の知らない所で管理されるのも個人情報であると言う事は、誰しもが肝に止めておいた方が良い事だ。そんなものは、もはや逆説的に言ってしまえば個人情報の秘密などは存在しないとも言える。プライバシーという考え方は長く見積もって200年ぐらいであるし、著作権でさえ国際基準では50年が保護期限だ。雑魚寝の時代にプライバシーは皆無で、概念もはっきりしていなかったが、身体の自由などの権利に付随して表現されるようになってきたのではないだろうか。勿論だからと言っておろそかにして良い訳ではないが、完璧に守られるというのは幻想に他ならず、基本的には守れないと思っているべきだろう。壁に耳あり障子に目あり。真に他人に秘密にしておけるのは自分の心の中だけなのかもしれないが、様々な違法薬物が蔓延している昨今に心の中は闇で被われてしまっているのだろうか? 普段の努力で少しでも守れるようにしなければいけないが、基本的に古今東西あらゆる国家は個人の情報に介入したがる性質を持っているものである。個人から個人情報の秘匿を奪い国家による一元管理に今の国民は消費税しょうがない論と共にあきらめにも似た受け入れムードが漂っている。それが国家の防衛と言う大義名分を得た時程強いものは無い。個人の情報を得ていれば国民を統制するのが楽であるのは他の野蛮国家を見てみれば一目瞭然である。


彼等は今の日本人に何を期待しているのか? 先日のフジテレビ抗議デモのような集会を呼び掛けているのだろうか? 日本人の文化には、元来は上申を命がけで行うという文化がある。その訴えが認められても御上に楯突いた時点で切腹は免れないが、しかしながらも命を賭してでも自分の大儀を貫くというものがそれである。神風特攻をそれと誤認するケースがあるが、言うなれば、最初の海軍士官の特攻とその後の命令による自殺行為は分けて考えなければならない。上からの命令により機械化した精神と魂に個人の大義は失われ、ただ何かあえてそこに死に花を咲かせようとする、一種の三島由紀夫の精神にも似たそれに強引に持っていかされるに至るだけなのだ。真の例を言うなれば、それは織田信長に対する平手政秀のような、気骨な精神の人間ほど、そうしたものを持ち合わせている日本人の行いの多くが、それに当てはまるのでは無いだろうか? 諸説あるが、自爆テロとは日本赤軍が教えたものと言われているが、そういったものがイスラム教徒の人のジハード精神や殉教精神と良くない形で結びついてしまった人類の負の遺産の一つである事は街間違い無い。日本赤軍にせよ連合赤軍にせよ、屈折した潜在意識と集団的精神の規制と弾圧によるそれらは、社会的には諸悪の根源と具現化したカオスの産物に他ならない陳腐で愚劣なもの以外の何ものでもないだろう。テロリストもクーデターも明治維新も勝てば官軍である。後世に伝えられるテロリズムによる悪の枢軸の首謀者と大義を貫いた正義のヒーローとの差は、文字どおり紙一重と言えるであろう。

さて、彼等のメッセージでは現実の世界で行動を起こせと国民に決起を促している。…だが、実際問題そんな事を態々しなくても、日本の売国企業達はジャンジャン海外に技術を流出させ、本拠地をも海外に移転する勢いだ。 余談だが、これの隠れた原動力の一つは、ツタヤを始めとするAV業界の圧力では無いだろうかと思っていたりする。違法ダウンロードで、体をボロボロにする低賃金でAV女優と男優達を働かせて製作されたAVは、原板が売れなければ制作者の首が飛ぶ非常に過酷な市場の一つだ。無論メインサーバーを海外に置いてストリーミング配信のみにすれば、違法性は問題無いのだろうが、今の時代海外サイトからのダウンロードを規制するというのは、中国にも勝る天晴れな鎖国精神となるが、正直言えば今更一国の日本国内の法律ごときで、著作権を縛ろうとしても、もはやなんの意味もない事なのではなかろうかと思われるので、ハッキリ言えば…大丈夫であろうw。