米国は今日911より10年を迎えた。歴史を齧った者なら承知の事だろうが、アメリカ合衆国最初の首都はニューヨークである。それは1789年からわずか1年という短い時期ではあったが、ジョージ・ワシントンが米英講和条約締結、憲法の採択を経て13邦の連邦国家の大統領として就任したのもこの土地である。ちなみに、1ドル紙幣に13の数字が意味深長に施されているのも偶然ではなく、当時ハミルトン、マディソンやベンジャミン達所謂ジェントルマンの人々がフリーメイソンとの関わりがあった事等も含めて、現在の米1ドル紙幣には彼らにとって重要なシンボルである石によるピラミッドが13段描かれている。以後この土地は東欧からの大量の移民を受け入れる移民の玄関口となり、世界の軍事バランスを一変させた原爆開発の計画名は、マンハッタンと明記される。とにもかくにも、その後の世界はアメリカ経済及び国連本部を初めとして、ウォール街をも抱えてNYは世界の中心として、今も存在し続けているのである。
当時ブッシュ政権は日本の管政権が外国献金を国会の予算員会で追求されるまさにその日のタイミングで東北震災が起きたのに類似する程、恐ろしくシンクロニシティに恵まれていた超幸運な政権だった。その息子ブッシュは前日の今日に記念演説を行ったようだが、嘗てブッシュドクトリンと言われた核による先制攻撃論と小型核兵器の開発は、以後のオバマ大統領の所謂プラハ宣言以後は鳴りを潜めてしまい、議会も乖離的な態度な現在は、ペンタゴンは今後通常兵器による戦略的見直しを余儀なくされる事になりそうだ。最もそれは戦争が無くなる訳では決して無く、通常兵器による先制攻撃をむしろ正当化する議論へと発展して行きかねないのである。
イラク戦争勃発前のある時期、ネオコンの牙城であるAEIをはじめ日本への核武装論を促す趣旨の論文も公然と出回った時期もあったが、幸か不幸かこのFUKUSHIMA原発事故を境に日本の原子力に対するアレルギーはますます加速してしまったに違いない。今現在アメリカ太平洋艦隊の盲腸は、日本の軍港に原子力艦船の寄港さえもままなら無くなる自体だ。これまで配備されて来た日本国内の核兵器は日本の外務省がひた隠しに守って来たが、表立って海上を航行する空母や潜水艦はそういう訳には行かない。日本への原発関連の売り込みキャンペーンも文科省と経済産業省が揃ってこうもヘタレの現状では、おちおち営業活動も出来たものではないだろう。TPP関連と並んで日本国内で消費されるエネルギー需要はアメリカのみならず、世界中のマーケットの注目の的だ。災害関連の事変的な事は万事誤魔化せても、国民が皆見えるところでの対応となるとその無策ぶりが誤魔化せ
なくなるのは、何処の国のトップも同じのようだ。アメリカで2人の国家元首が統治した時期に、日本国内では自民・民主合わせて7人もの首相がコロコロ変るのが日本の政治の有り様だ。ここは素直に日本の行政はいっその事霞ヶ関の良吏達に一任してみたいものだw。
話を911関連に戻そう。当時の馬鹿息子はイェール大学閥の陰謀か、運の巡り合わせか、神のいたずらか、はたまたフリーメイソンの陰謀まで囁かれ、又一部には、ビン・ラディンとブッシュはグルであり、米国の「敵」「脅威」を作るためにワザとテロを演出したというファンタジーまで語られた。特にペンタゴンに突っ込んだのは旅客機ではなくて巡航ミサイルであり、国防省も一枚かんでいるとさえ言われた。その証拠に、重要人物は無事であり、ハード面での損失も比較的少なく済んだのは明らかに意図的であるというのだ。また突っ込んだ瞬間の防犯カメラ等の映像が公開されなかった事等も、当時は波紋を呼んだ。当時不思議な偶然の一つに、馬鹿息子の経営した石油会社は皆赤字で、買い取ったのはビン・ラディンの一族の者だという事実は、当時からあまり表に出ず、特に話題にもならなかったのは、マトモなジャーナリズムが存在していた国であるならば、ほぼ奇跡に近い事だろう。そして9.11直後の厳戒態勢の中、大統領経験者ですら空港で足止めされた最中に、ビン・ラディンの一族はビン・ラディンが容疑者として取沙汰されていたにも関わらず、悠々とアメリカからサウジアラビアに出国していた等の事が後々になって「華氏911」等にようやくそうした話の一部が出て居たが、その多くは本人が死亡したという事実のもと、平均的な公文書機密指定年数を経てようやくお目見えする事があるかもしれない。もっとも、ウィキリークスの存在自体が機密文書の指定を解除する事に乖離的な一派が仕組んだ自作自演という説も捨てきれないが、事実アメリカではこうした事が引き金になり、公文書の機密指定解除を見直す動きが今後ティーパーティー系の議員等とネオコンの間で加速して行くのは間違い無いだろう。
良くも悪くもアメリカはニューヨークの発展と共に成長を遂げて来た。ブロードウェーの発展と活性化、そしてアメリカの民主主義議会選挙制度等も、全てニューヨークにおける政治基盤の発達と共に歩んで来た経緯がある。例えば、知事と大統領選挙人を選ぶ選挙を投票によって初めて行ったのもこの場所からなのだ。今でこそ選挙に於いてNYは民主党の独壇場だが、嘗てはフェデラリストに対する共和党の牙城であった。それはつまり、ニューヨークという土地が移民の坩堝と言われるのと比例し、その時その時代に於いて、全米中の筆舌に尽くし難い膨張する自由への胸裏エネルギーの受け皿として、常に存在していたと言う自由を渇望するアメリカンEsprit de Corps、所謂アメリカンドリームバイタリティーの代名詞でもあるが所以だろう。いずれにせよ、今後グランド・ゼロは世界にとって大きな意味を持つ事になるだろう。そして、願わくば、次の10年(Decade)はもう少しマシな世界になっていて欲しいと切望するものである。
当時ブッシュ政権は日本の管政権が外国献金を国会の予算員会で追求されるまさにその日のタイミングで東北震災が起きたのに類似する程、恐ろしくシンクロニシティに恵まれていた超幸運な政権だった。その息子ブッシュは前日の今日に記念演説を行ったようだが、嘗てブッシュドクトリンと言われた核による先制攻撃論と小型核兵器の開発は、以後のオバマ大統領の所謂プラハ宣言以後は鳴りを潜めてしまい、議会も乖離的な態度な現在は、ペンタゴンは今後通常兵器による戦略的見直しを余儀なくされる事になりそうだ。最もそれは戦争が無くなる訳では決して無く、通常兵器による先制攻撃をむしろ正当化する議論へと発展して行きかねないのである。
イラク戦争勃発前のある時期、ネオコンの牙城であるAEIをはじめ日本への核武装論を促す趣旨の論文も公然と出回った時期もあったが、幸か不幸かこのFUKUSHIMA原発事故を境に日本の原子力に対するアレルギーはますます加速してしまったに違いない。今現在アメリカ太平洋艦隊の盲腸は、日本の軍港に原子力艦船の寄港さえもままなら無くなる自体だ。これまで配備されて来た日本国内の核兵器は日本の外務省がひた隠しに守って来たが、表立って海上を航行する空母や潜水艦はそういう訳には行かない。日本への原発関連の売り込みキャンペーンも文科省と経済産業省が揃ってこうもヘタレの現状では、おちおち営業活動も出来たものではないだろう。TPP関連と並んで日本国内で消費されるエネルギー需要はアメリカのみならず、世界中のマーケットの注目の的だ。災害関連の事変的な事は万事誤魔化せても、国民が皆見えるところでの対応となるとその無策ぶりが誤魔化せ
なくなるのは、何処の国のトップも同じのようだ。アメリカで2人の国家元首が統治した時期に、日本国内では自民・民主合わせて7人もの首相がコロコロ変るのが日本の政治の有り様だ。ここは素直に日本の行政はいっその事霞ヶ関の良吏達に一任してみたいものだw。
話を911関連に戻そう。当時の馬鹿息子はイェール大学閥の陰謀か、運の巡り合わせか、神のいたずらか、はたまたフリーメイソンの陰謀まで囁かれ、又一部には、ビン・ラディンとブッシュはグルであり、米国の「敵」「脅威」を作るためにワザとテロを演出したというファンタジーまで語られた。特にペンタゴンに突っ込んだのは旅客機ではなくて巡航ミサイルであり、国防省も一枚かんでいるとさえ言われた。その証拠に、重要人物は無事であり、ハード面での損失も比較的少なく済んだのは明らかに意図的であるというのだ。また突っ込んだ瞬間の防犯カメラ等の映像が公開されなかった事等も、当時は波紋を呼んだ。当時不思議な偶然の一つに、馬鹿息子の経営した石油会社は皆赤字で、買い取ったのはビン・ラディンの一族の者だという事実は、当時からあまり表に出ず、特に話題にもならなかったのは、マトモなジャーナリズムが存在していた国であるならば、ほぼ奇跡に近い事だろう。そして9.11直後の厳戒態勢の中、大統領経験者ですら空港で足止めされた最中に、ビン・ラディンの一族はビン・ラディンが容疑者として取沙汰されていたにも関わらず、悠々とアメリカからサウジアラビアに出国していた等の事が後々になって「華氏911」等にようやくそうした話の一部が出て居たが、その多くは本人が死亡したという事実のもと、平均的な公文書機密指定年数を経てようやくお目見えする事があるかもしれない。もっとも、ウィキリークスの存在自体が機密文書の指定を解除する事に乖離的な一派が仕組んだ自作自演という説も捨てきれないが、事実アメリカではこうした事が引き金になり、公文書の機密指定解除を見直す動きが今後ティーパーティー系の議員等とネオコンの間で加速して行くのは間違い無いだろう。
良くも悪くもアメリカはニューヨークの発展と共に成長を遂げて来た。ブロードウェーの発展と活性化、そしてアメリカの民主主義議会選挙制度等も、全てニューヨークにおける政治基盤の発達と共に歩んで来た経緯がある。例えば、知事と大統領選挙人を選ぶ選挙を投票によって初めて行ったのもこの場所からなのだ。今でこそ選挙に於いてNYは民主党の独壇場だが、嘗てはフェデラリストに対する共和党の牙城であった。それはつまり、ニューヨークという土地が移民の坩堝と言われるのと比例し、その時その時代に於いて、全米中の筆舌に尽くし難い膨張する自由への胸裏エネルギーの受け皿として、常に存在していたと言う自由を渇望するアメリカンEsprit de Corps、所謂アメリカンドリームバイタリティーの代名詞でもあるが所以だろう。いずれにせよ、今後グランド・ゼロは世界にとって大きな意味を持つ事になるだろう。そして、願わくば、次の10年(Decade)はもう少しマシな世界になっていて欲しいと切望するものである。