以前からよく広島の平和記念公園に足を運んだ事があるのだけども、その時は、平日のなんでもない日だったのだが、原爆ドームの周りには折り鶴が飾られている事が珍しく無い光景だった。不幸な事に、こうした折り鶴が焼かれてしまうという事件も嘗てあった…。毎年、夏が近づくと、ある日のニュースでは、決まって原爆の被害で亡くなられた原爆犠牲者の方達や、御遺族の方々の顔が流れるが、実はその数の分だけ、日本の核兵器に関する認識も薄れて行ってしまっているのではないだろうか? 核兵器に関する密約も、日本政府はあくまでも無かったというスタンスを崩して無いが、稍燃すると、非核三原則というパンドラの箱は実は幻想で、そんなものはとうの昔に鍵が壊れていた…もしくは存在さえも実は無く、総選挙になっても、自民党と民主党共にマニフェストにはこうした明記がいつも一切無いw。政府の核兵器への認識はいつも極めて薄く、核兵器の保有と言う事も現実味がある。これだけはいつの世でも超党派の間で聞かれ既成事実になりつつあり、そうした事に声を荒げて逆らう事が非国民とされる風潮になる空気が形成されつつある事がなんともいえない。毎年、原爆の日というものを、一体どう考えているのかを、国会議員の方々には問いたくなる。戦争というものに季節は無いと良く言われるが、8月いう時期だけは日本人であれば、人類にとっても大切な時期なのだから、世界遺産のドームを抱えた広島と長崎だけでも、二つの原爆が実戦で投下されという負の遺産を背負って、大本営跡地と共に生きて行って欲しい。そしてもう一つ8月の終戦記念日もあるのだから。