以前盛り上がったこの有るこの話題をネタにちょっと一言書いてみる事にしようw。

 一般的に「長野県」というのを嫌う人が多い。そういう「長野県」というのを嫌いな人は、自分のことを「信州人」と言うらしいw。ではいっその廃藩置県の産物松代藩wは、朝敵藩から脱却するにあたり、悪くはない考えだとは思う人も少なくはないのではないだろうか。しかしながら、この名称が「信州県」となるといろいろやかましく騒ぐ輩が多いようだw。と言うのは、中国や韓国など漢字文化圏学者の方々からすれば州や県はまぎらわしく、万一の改称をするならば信濃県が良いと思いという意見が過半数のようだ。もともと語源的にも信濃の州を縮めて「信州」となったのだから、漢字の意味的にも「信」が「濃い」とは良い名であるという事らしい。ちなみに信濃とは、信濃の国で「科の木」が印象的だった事、あるいは名産だったから付いた名前という節もある。古式ゆかしい自然に親しんだ名前ということのようだ。



 もっとめんどくさい話をすれば、北信(長野県北部)の人々はこうした考えに反対が多く、中南信の方々には賛成が多い。何故か。いまだに北信VS中南信の構図は実は根底にはあるのだ。もっと言うと、長野県ではこれでもかという程「県歌」が歌われているw。日本中の都道府県でここまで執拗に歌われるのは埼玉(さいたまのそれは少し異なるがw)と唯一ここぐらいではないだろうかw。

 アメリカでは広大な領土と坩堝化してる宗教、民族、主義主張をアメリカ人と言うもので纏める際にEsprit de Corps(団体精神)を維持する方などと一緒で、「星条旗」や「国歌」がないと一体感を保てないというのと同じ理屈なのだ。それほどまでのこの信濃の山猿達の歪み合いは、根が深いと言うことだw。断っておくが自分自身信越本線の碓氷峠や軽井沢そして松本の情緒をこよなく愛する者である。そした見地から言うが、本当は「松本県」と「長野県」に分離した方が、地勢的には自然なのかも知れない。それはインドとパキスタンの分離の様なものだろう。「ふるさとは遠くにありて思うもの」とは県外にいる長野県民の為にある言葉であろうw。何故県庁所在地が嘗ての城下町松本市では無く、長野市の名前が県全体の名前なのか、非常に疑問に思う人も少なからず居るはずであるw。

 戊辰戦争と廃藩置県の腐乱した臓物を今に残しているのはほとほと宜しく無いw。いっそ改称して中野県庁もとい、県庁所在地を変えても良いのでは無いだろうかw? 各盆地間の交通の便が良くなく、これだけ大きい県なのに県庁所在地がドーンと北に偏っているw。長野県にご旅行に行かれた方なら分かると思うが、ローカルテレビ局の話題も北信の話題ばかりが多い、この県はダムよりももっと道を作るべきなのかもしれないw。また、県民の一体化ということなら、現実問題としては「山清路」「三才山峠」「和田峠」をもっと良い道にする (頂上付近のトンネルだけでなく、全線に渡って奈良の「千日道路(名阪国道)<当時の奈良県知事が「千日で完成させる」とブチ上げて、本当に完成させたという道路>」のように高規格道路に準ずるくらいにする等の改革案が具体的には良く聞かれるw。まあ、これだけでもかなり違ってくるような気もするが、こんな事を県外に話しも全く圏外扱いだろうw。最後に、つまり何を言っているかと言うと、ざっくばらんに言えば松本市・長野市・上田市・諏訪市・佐久市などを相互通勤可能圏域にすることなのだw。…どうも話がしつこくていけないw。

 「公共事業を元に戻せ!」
 「経済を官主導の公共事業で何とかしろ!」

 ところで、国民はもう政治には感心を示さないのだろうかwww?