保守が改憲を訴え、革新が護憲を叫ぶと言うパラドキシカルな日本の国論w。今後小沢氏が再び民主党の党首に返り咲いた場合、憲法に関しては今後も重要な課題になる。旧社会党派閥の管とは異なり、彼による大連立時には、改正に乗っかるかもしれません。一般国民の意識は別にして、現段階の国会に於いて憲法九条死守の言っているのは、社共の2党だけだからです。小沢氏もハト派では無く、以前は原発を使って日本も核保有をすべき的な事を言っていたお方である。国民の意識と乖離しても「国会議員の常識は、世間の非常識」が常識であるw。社共以外の賛成多数で憲法改正が発議された場合、テレビなどのメディアで大キャンペーンを行えば、流されやすい日本人は簡単に「九条改正、自衛隊国軍化、天皇元首化」を国民投票で通しそうであるw。そうなれば中曽根氏などは滂沱して「長生きした甲斐があった」「全人生を賭した大業は成った」と一晩中号泣するか夜通し大宴会しそうな感じかもしれない。なにしろ55年体制における自民党結党の党綱領はとにかくアメリカ押しつけの憲法改正を1丁目一番地に据えていたはずであった、それがいつのまにか政官談合共産社会主義政党に成り下がってしまったのである。

 ところで、「日本は神の国」「選挙の時に国民は寝ていてくれれば助かる」発言でおなじみの森喜朗さんだが、福田氏も安部氏も森派なのだw。いまだしぶとく前首相の地位にしがみつき、未だ議席を保持するこの老害は、いまだ「静脈せいみゃく型社会」(施政方針演説の原稿を「じょうみゃく」と読めなかった。自分で書いたのならこんなことは絶対無いのだが・・・)をめざす森喜朗氏。あれでよく派閥の親分なんか
やってられると感心するが、結局のところ何が言いたいのかと言うと、ズバリ55年体制以後から、日本の国会に於ける大半の政治家には元々政治力等必要なく、政治力というよりは面倒見だけは良いオジキ的な輩が跋扈していただけなのである。

 憲法を改正するならば、思い切った案も軍歌一般公募の如く幅広く集めて頂きたい。中には「天皇制廃止」「大統領制導入」「自衛隊を初めとする一切の軍備の放棄」このぐらい思い切った対案を出さなければ、憲法改正面白く無いのである。 …ただ、保守派が恐れるのは、今の若者世論に国民投票を委ねた場合、次の皇太子の時代に於いて、天皇制廃止に異議を唱える一般世論がどの程度存命しているかという事だろうw。なぜなら、軍隊の保持には賛成でも、天皇制の維持には反対という世論がかなり多いからだw。