ぶっちゃけ現代病の代表格に癌という病気があるのではないだろうか? その人そのものの心の病なのではないかと思うほどだ。それを克服するかしないかで、その人のそれまでの人生と、周りの家族ないし関わった人々の今後とこれからがどうなるかというとても大事な分岐点だとおもう。理想的なのは、家族が皆で患者を見舞ってあげて、一生懸命に介護してあげる事なのかもしれない。同じ病名でも、毎日病院に介護と御見舞いに来る黒人の家族と、誰一人見舞いに来ない白人の家族が病気が回復する比率に面白い開きがあるのは単なる偶然なのだろうか?今の医学で解明されてないだけで、この癌と言う病気は人間のメンタルと心の絆に反応する原子核細胞やクォークレベルで、治してゆかなくては行けない人間の精神を試す異次元レベルの病なのではないかと思う。
そんな中、果たして国の福祉とはいったい何処にあるのだろうか。言うまでもなく無く政治にとって社会福祉は偽善事業では有り得ない。政府が国民に三大義務を課すように、国家の義務は臣民への福祉厚生でもある。その相互関係が壊れた時、時の権力は必ず崩壊をして来た。官僚は国民に福祉の自己負担を要求し、自分達は財政削減に邁進努力を怠らないと耳にたこができる答弁を壊れたFDから流れるモノラル音声の如く聞かされる。だが、これまでの小さな政府改革の先頭には、常に福祉削減が掲げられているのが現状だった。全てにおいて自己判断を仰がせたり、個人主義を押し進めるのは、元気なIT経済及び弱肉強食と個人主義でのみ成り立ち、そうした経済競争の中で、徹底的に年少期から自己責任と自己判断を育まれた人種にとっては適切かもしれないが、不幸な事に今の日本人はそういったバックグラウンドが養われていない。しかし、一方でそうした習慣に馴染めない人達も未だに大勢いたのである。自民党の起こした郵政民営化の信任投票で圧勝したが、4年後の選挙では大敗を記した。地方組織と中央との間に生じた亀裂修正と、中央集権の強化が、改革を進めた末に地方から出て来る様々な不満を押しつぶすだけの体制が整っていなかったのである。翻って現在はどうか。弱肉強食に疲弊した国民が反旗を翻して出来上がった政府も、ある程度の中央政権を維持した上での組織官僚体制を画一した結果、先の参院選ではその部分に見事にお灸が据えられた。次回の衆議院選挙ではそうした所が、焦点となりそうな気もするが、官僚と呉越同舟と化している管政権、実は意外と長続きしそうであるw。
さてさて、古来より鎌倉幕府がご家人達への福祉を怠り、幕府は一味散々という年表からでも解る簡単な歴史の教訓だ。神奈川県民でもあられる小泉前首相は、戦国マニアでもあり、自らを織田信長と呼称していた程なのだから、当然これは御存じだとは思うが、歴史を侮る者は歴史に泣くのが世の常である。運命のアカシックレコードを信じるかどうかは別だが、先人への感謝の念…乳母捨て山の日本社会には無縁なのか、多くは語らない事にしても、靖国参拝と英霊軍人への崇拝がブーム化される社会風潮になった場合、戦後に負傷兵がバイオリン片手に物乞いした光景とて、今ではすっかり歪曲され後、光眩しい英雄伝になっているから驚きである。化石の兜蟹も生きてる間は、味噌まで食いつくす…ってこの感覚、これは本当に先進国なのだろうか?(汗)
若者のみならず、お年寄りもその老後の扱い方にも「差」があるようで、病院のベットで手足縛られたまま老人の御臨終も、福祉費用の一部と言えば、削減対象の意見が出るのもやむを得ない感じがするが、弱肉強食の勝ち残り競争社会では、我が身の末は六本木ヒルズか、それとも上野公園のベンチの上か、そんな時代さえも懐かしいけふこの頃である。ブラックジャックでは無いが、幸福な老後を迎えられるお年寄りの陰には、常にその何倍もの不幸な方々がいるのだ。屍の上に聳え立つ牙城はその脆さを鑑みないから、末恐ろしいのである。
そんな中、果たして国の福祉とはいったい何処にあるのだろうか。言うまでもなく無く政治にとって社会福祉は偽善事業では有り得ない。政府が国民に三大義務を課すように、国家の義務は臣民への福祉厚生でもある。その相互関係が壊れた時、時の権力は必ず崩壊をして来た。官僚は国民に福祉の自己負担を要求し、自分達は財政削減に邁進努力を怠らないと耳にたこができる答弁を壊れたFDから流れるモノラル音声の如く聞かされる。だが、これまでの小さな政府改革の先頭には、常に福祉削減が掲げられているのが現状だった。全てにおいて自己判断を仰がせたり、個人主義を押し進めるのは、元気なIT経済及び弱肉強食と個人主義でのみ成り立ち、そうした経済競争の中で、徹底的に年少期から自己責任と自己判断を育まれた人種にとっては適切かもしれないが、不幸な事に今の日本人はそういったバックグラウンドが養われていない。しかし、一方でそうした習慣に馴染めない人達も未だに大勢いたのである。自民党の起こした郵政民営化の信任投票で圧勝したが、4年後の選挙では大敗を記した。地方組織と中央との間に生じた亀裂修正と、中央集権の強化が、改革を進めた末に地方から出て来る様々な不満を押しつぶすだけの体制が整っていなかったのである。翻って現在はどうか。弱肉強食に疲弊した国民が反旗を翻して出来上がった政府も、ある程度の中央政権を維持した上での組織官僚体制を画一した結果、先の参院選ではその部分に見事にお灸が据えられた。次回の衆議院選挙ではそうした所が、焦点となりそうな気もするが、官僚と呉越同舟と化している管政権、実は意外と長続きしそうであるw。
さてさて、古来より鎌倉幕府がご家人達への福祉を怠り、幕府は一味散々という年表からでも解る簡単な歴史の教訓だ。神奈川県民でもあられる小泉前首相は、戦国マニアでもあり、自らを織田信長と呼称していた程なのだから、当然これは御存じだとは思うが、歴史を侮る者は歴史に泣くのが世の常である。運命のアカシックレコードを信じるかどうかは別だが、先人への感謝の念…乳母捨て山の日本社会には無縁なのか、多くは語らない事にしても、靖国参拝と英霊軍人への崇拝がブーム化される社会風潮になった場合、戦後に負傷兵がバイオリン片手に物乞いした光景とて、今ではすっかり歪曲され後、光眩しい英雄伝になっているから驚きである。化石の兜蟹も生きてる間は、味噌まで食いつくす…ってこの感覚、これは本当に先進国なのだろうか?(汗)
若者のみならず、お年寄りもその老後の扱い方にも「差」があるようで、病院のベットで手足縛られたまま老人の御臨終も、福祉費用の一部と言えば、削減対象の意見が出るのもやむを得ない感じがするが、弱肉強食の勝ち残り競争社会では、我が身の末は六本木ヒルズか、それとも上野公園のベンチの上か、そんな時代さえも懐かしいけふこの頃である。ブラックジャックでは無いが、幸福な老後を迎えられるお年寄りの陰には、常にその何倍もの不幸な方々がいるのだ。屍の上に聳え立つ牙城はその脆さを鑑みないから、末恐ろしいのである。