兵庫県神戸市付近はなかなかの確率で犯罪件数が多い。勿論、新聞社があるところにネタがありなわけで、日本津々浦々小ネタはゴロゴロ転がっている訳だが、幸か不幸か神戸新聞のお膝元、この地域では結構な犯罪が続発する。鉄鋼関連で働く労働者が多い性なのか、それとも日本最大の仁侠団体の総本山があるからなのか、その真意は明らかではない。だが、一つだけ言える事はそうしたニュースが伝えられた後の庶民の反応に共通するある一種の感覚である。それが、体感治安だ。

 残虐な事件がフューチャーされると、近年の犯罪率は悪化している様に感じてしまうものだ。メディアにより流布された情報を元に人々は仮想体験として、体感治安を感じ、そして妄想的に治安を悪化させてゆく。しかし、実際に街を出歩いてみれば、なんてこと無く普通に一日を過ごせるもので、強姦等に遭遇する確率はかなり低い。実際にはニュースにならないイザコザや、示談成立する殺人事件もあるのが今の世の中にあって、一々一喜一憂していては、メンタルが持たない。あくまでも社会を見るサンプル、氷山の一角でしかないのだ。昔は良かったとか良く言われるが、斬殺やバラバラが日常茶飯事に紙面を飾っていたあの輝かしい昭和30年代と比べるて、何を言っているのかが私には分からない。

 数字だけ見ても断然現在の方が犯罪件数は下がっているハズだ。これに人口増加の統計を加えると、やはり比率的にもさほど治安は悪くなっていないのである。だが、凶悪犯罪が連日報道されると、なんだか身の危険を感じてしまうのが、人間というものなのかもしれない。そしてその抑止としての死刑論がある事は、この際とりあえず置いておくとしても、犯罪は未然に防がなければならない事は万人の二言を待たない所だろう。また、そうでなければ社会は何の意味もない。にもかかわらず、暴力団とのいざこざには民事不介入で警察は基本取り合わない。物的証拠が無ければ、犯罪事件の予兆があるにも関わらず警察はほとんど動こうとしない。そうして、実際に人が亡くなってから、殺人事件として捜査を開始し、その後その犯人を死刑か否かで争いながら、挙げ句の果てには冤罪と言う言語道断の結末を迎える事があったりもする。起訴後の有罪率99%という異常な体質にどうこう言いたくも無いが、まずはこういう警察の体質を改善しなければ、市民の平和も糞も無いのでは無いだろうか?

 裁判員に対してグロ画像を法廷で流してまで裁判を簡略化しても、捜査や事件背景の裏付け捜査がマニュアル化され行てくのでは、なんとなくそして何処となく全てが不毛に感じてしまうのは、はたして気のせいなのであろうか?