うちのスタッフさんで
とっても自信がない方がおられます。
(※必要以上に 自信がないんです)
本当は、いろいろできることがあるのに
(たしかに、できないことも不器用なところもあります。
でも、みんな得意不得意ありますよね)
必要以上に、謙遜してみたり
へりくだってみたり、
もう、
拗ねている
ように見えてしまうこともあります。
「私なんて、主婦だし、バイトだし、できないですよー」
でもね、
彼女、挑戦したいと思っているんです。
すごく向上心もあるし、責任感もあるし。
(もちろん、不器用なところもありますが・・・) ←2回目
彼女の中心、魂は
「もっと挑戦したい、私はもっとできるんじゃないか!」
そう言っているのが、私にははっきりと聞こえるんです。
でも、表面上は「私なんて・・・」の繰り返し。
話を聞いてみると、
彼女は、家族に言われる評価をどうやら120%採用している様子。
旦那には、お前はいつも××だからなと言われる
お義母さんにも、あなたは××よねと言われる
息子にも、そういうところが××だといつも言われる などなど
そうゆうエピソードがすごく多いんです。
家族が仲が良いのかもしれないし、
愛しているからこそ家族の言うことを取り入れる、それも良いことだと思います。
でもね、なんか彼女の魂がすごく痛みを感じているのが見えるんですよね。
家族の言葉だからって、それが真実だとは限らないよ。
たとえそれが愛から生まれた言葉だったとしても あなたがそれを採用するかどうかの権利は貴女にあるよ。
言われた言葉に、力を与えるのは。貴女だよ
家族だからこそ心配で、そこから来る親切心や愛からのことばなのかもしれない。
(実際、彼女はそう受け取っているようです。)
でも、彼女の可能性や気持ちを萎ませるような方向に向かっているし、
あまり効果的なコミュニケーションに思えないのです。
実際に、私がご家族の方のことばを聞いている訳じゃないので(あくまで推測です)
たぶん、そういうコミュニケーションになってしまっているのは、
双方にそれによるメリットがあるから、長年かけてその関係性が築かれたと思うんですよね。
「私はできない人」と思うことで、彼女自身が挑戦しなくてよくなる。安定感を得られる
↓ ↑
「お前はできない人だ」と言うことで、家族はマウントをとって、彼女を支配下における
わわわーーーー、これは辛いよーーー。
羽根もがれて、羽ばたけないよー。 私だったら無理だよ、泣いちゃうよー。
家族の方も、輝いている奥さん、お母さん、お嫁さんが良くないですか?
(もう羽根をもがないであげて・・・)
外から見たら良くわかる話なんだよね・・・
家族の中のコミュニケーションって、役割が固定化されやすいですよね。
私がまずひとつコマをずらす、
パターンを壊す、
そうすることで小さな変化って起こせると思います。
今日は小さな変化を起こしませんか?
うちの職場では、
彼女の為にも、そして私たちの学びとしても
彼女が自信を持ってくれることを目指しています。
さて、今日のページは。
(傷つくならば、それは「愛」ではない
チャック・スペザーノ博士・著 大空夢湧子・訳より)
「ふれてみよう」
でした。
今日は、愛する人に触れてみましょうというシンプルなワーク。
えっと・・・(汗)
昨日届いたレイキの本。昨晩、読み始めたんですよ。
もしかして、私の本の購入履歴まで、知ってるのかしら?
タイミング良すぎです(笑)