春です。
太陽の光が暖かく降り注ぎ、
畑には菜の花が咲き、その周りを蝶が飛び
陽気としては、最高に気持ちの良い日です。
ですが、こんな陽気の時なのに
私は何だか調子が悪いことがあるのです・・・
そんな日は何をしてもどうしてもアンニュイな気分なんですよ、
何故なんでしょうね。
きっと、
こんなに気もちの良い日なのだから
ゆっくりお昼寝でもして、休みなさいよ
と、そういういうことなんでしょう笑
そんな風に言い聞かせて、
静かに目を閉じて、うつらうつらしてみたりする午後です。
今日も、開いたページのメッセージから
自分の思いを書いてみたいと思います。
「すべての怒りは、信頼の欠如と過去の傷からくる」
(傷つくならば、それは「愛」ではない
チャック・スペザーノ博士・著 大空夢湧子・訳より)
今日は、怒りについてでした。
最近、自分自身の中の
男性性と女性性について考える時間が多いのですが
昨日、たまたま目にした
秦由佳(はたゆか)さんという方の(同じyuka繋がりのご縁も感じて)
noteの文章を
私は、何度も頷きながら読みました。
女性性の開花の為には、
自分を大切に。自分が心から喜ぶことをしてあげて・・・
のような記述が多く(多分99%以上!ーyuka調べー)あるのですが、
私にはどうもしっくりこない。何故なんだろうと思っていたんです。
秦さんがおっしゃるには。
自分の中の男性性が必要とされる為に、
「傷ついた、守られる必要があるような女性性」を仕立て上げる
ということなんだそうです。
女性性自体は、
本当は求めるものはなく、
表現の自由や存在の非固定化(=変わり続けること)を望んでいるのだそうで。
秦さん、もっともっといろいろ上手に説明して書いておられます。
(興味ある方は是非、読んでいただければ!)
とにもかくにも、
私は
しっくりきました!
理由はわからないけれど、
この内容を読んだ時に私の魂は、激しく同意していました。
(赤べこのように、首を何度も上下させていました笑)
たしかに私が(表面的に)怒りの感情でいる時には、
女性性が怒っている訳ではないんです。
権威や他者からの評価に重きを置いている
男性性がただただ認められたくて
評価されたくて
叫んで、怒っているんです。
なんでボクを見てくれないのーーーー!!!!
こっちを見てよーーーーーー!!!!
ーそうね、あなたはよくやっているわ。
母親や女性からの眼差しや評価が欲しい。
そんな叫びのような気がします。