皆さん、こんばんは。



父の旅立ちと共に



私のブログ名も

本来呼ばれてる名前:ぽん太に変えますニコニコ




レディ・ポポで親しんで下さった皆様


今後とも
宜しくお願いします。




※5月23日の空。
天使がいっぱい飛んでると思って撮ってました。





今日から出勤して




仕事も再開したきっかけに

ブログもそろそろ発信(龍発進)したいなと


書き始めました。





正直、まだ
心と身体の元気が十分とは言えないので



短めのブログを
細切れに配信させて下さいスライムキラキラ


6月17日、告別式前の空。



これから話す内容は


本当は、


私の自己紹介の続きで
書き留めたままの内容のものでした。



でも
父親が大好き過ぎるあまり



自己紹介と言うより

父の話しになってしまい。笑




途中で止めて


保存したままになっていた内容なんです。





ですが、今回は

やっぱり大好きだった
亡くなったから過去形。今も大好きよ。

自慢の父親の話しをしたいなと思います。




別れと向き合う
その自分と向き合った今






前向きに






私のかけがえのない時間




尊敬する父へ




感謝を書きたい。 


※おじいちゃんに見えますが、私の父です。
(当時)79歳、4年前の写真です。

こう見えて、胃瘻(いろう)してます。

以前、8年と書き間違えてしまいましたが
今年で丁度、介護生活10年でした。





私は、中~高一貫の
私立学校に入らせて頂きました。


教育に凄く恵まれた環境下にありながら
(私は勉強もせず落ちこぼれでした)


私が決めた進路は


大学へ行かずに
歯科技工士になると言う道でした。



そもそも


学生時代ずっと
勉強をしなかった私を


父は怒る事もしませんでした。




むしろ


この進学を

賛成してくれました。





父が事あるごとに
言う言葉は



決まって

"自分の得意な事"

"好きな事をしなさい"    でした。





     その代わり、人が出来ない様な事







  誰にも負けない 


1番の物を 



  たった1つでいいから   


  作りなさい  と    



  小さい頃から言われてました。







だから、


私の好きな事
やりたい事には 反対せずに


"やってみなさい"とニコニコ笑顔で
いつも言ってくれてました。


又、始めた事に対して
私がサボろうが、怠けようが。
怒らずに居たの凄いなーガーン


横から口を出したりする事もなく


暖かい目で
見守ってくれていました。




本当に、本当に
父は寛大でした。





父は、6人兄弟の長男


小学生の頃は戦時中で疎開してました。



戦後の世の中は貧しく



仕事をするために
進学を諦める事も普通の時代でした。




父もその一人で




父は、実家の仕事(木型)を手伝いながら
学校へ行きました。



高校も主席で卒業しましが


兄弟も多く
生活も厳しかったので


長男であった父は
家計を支える為に働かざるおえず


行きたかった大学を
諦めるのでした。




子供の頃から

(大好きな勉強や、将来の夢....)


やりたい事を我慢して




家族の為に
自分の事を捨ててきた父だから






自分の子供には


苦労させたくない



"好きな事を
好きなだけやらせてあげたい"  と言う




自身の人生体験から



不自由の無い暮らしを
与えてたいと育てくれた父でした。




でも、当時の私は

そんな 親の心子知らず
(20代は更に 破天荒が続きますガーン)


私は呑気、自由気ままに
育たせて頂きました。




本当


今となっては
感謝しかないです。





高等学校卒業後

父は木型の仕事をしつつ




木型の技術を応用した
別の製品作りの為に



仕事を終えてから
毎晩夜に



材料(=エポキシ樹脂)の研究を
15年間たった1人でしてきました




本当に


絶対真似出来ない


真面目で堅実な父なんです。





"樹脂"と言う材料


今では馴染みのある言葉ですが



当時、樹脂は日本にまだ無かったので
ドイツ(だったかな?)から輸入して



樹脂の性質について研究し

加工技術を初めて開発したのが父でした。




※その研究の一部の材料特許を取得し
そちらを主な仕事としていました。



この材質(=樹脂)は
世界的にも未知な材料であった為


研究結果はとても高く評価され



父の研究は


世界学会
2度発表されました。

英語が喋れない父に代わり
当時の発表を東大の教授が話してくれたそうです。



この研究結果をもとに開発されているのが

例)モノレールの導線のコーティングや
飛行機塗装、滑走路等....


現在も
ありとあらゆる樹脂関連で使われてます。

※父の遺影を選んでる時に出て来た写真。


こちらの写真は、

父の技術を欲しがった
ある国の大使に呼ばれた時の写真です。


つづく。。。