皆さん こんにちは。


今日は

父親が入院してるため

面会で
東○大学病院へ来てます。

こちらは、
JRでは上野駅が最寄り駅です。

私自身も

耳の手術と
扁桃腺、アデノイド摘出の時等
度々入院してお世話になってる病院です。

母も癌の時
こちらに通院し、

また
息を引き取った場所です。


上野駅へは
実家から20分~30分あれば
着くのもあって

母親のお見舞いは
小学校から帰ってきて

父親と一緒に
向かったのを覚えてます。


上野駅を下りて➡️
上野公園➡️不忍池➡️
病院の裏口に着きます。

地下鉄の駅からのが近いですが
こちらのルートを選んで歩いてます。



※不忍池から見る 弁天堂



それはと言うと


母が(卵巣癌➡️摘出➡️大腸癌転移➡️ストマ{お腹から腸が出てて便が常に出てる状態の}生活をしていて)腹痛で、病院まで歩くのが辛かった時の事

こちらの弁財天様神社にお参りしたら

痛みが消えた
と言っていたのを聞いて

それ以来

病院へ向かう前に
お参りするのがルーチンです。
(当時 10歳頃)


今日は桜も満開桜

朝8時の上野公園は
この時期の日曜日でも
静かに歩けました。

昔は手水舎の天井に
綺麗な龍神様の絵があったのですが
劣化が激しかったからか

場所が移動し
建て替えを機に

無くなってしまったみたいです。。。


こちらのお堂は
誰でも自由に上がらせて頂けるので

お参りは上がった所で行ってます。

時間が合えば
一緒に

お経も読ませて頂けます。


実は

そこの天井に描かれている
龍神様が
ものすごい大迫力で

自分の負の部分と言いますか、、、

拝見すると
いつも モヤモヤか何かが
吹っ切れる様な感じになるんです。


実はこちらの天井の龍神様

お母さんのお見舞いの時は
存在も知らず 
(お堂へ上がった事が無かったので)

存じ上げたのは
9年前の

父親が
危篤状態で入院してた時でした。
(当時 27歳頃)

やはり
こちらで手を合わせてから
病院へ向かうルーチン。


初めてお堂に上がった時
美しい場所でしたので

これからのお参りは

上に上がって手を合わせようと決めました。


それから、、、
何度目だったか覚えてませんが

正座して
深く、深く(床に頭が着く位の姿勢で)
拝んでたもんで、、、、


身体に力が入り過ぎて

首を伸ばそうと頭を上げた時

私の目に飛び込んで来たのが

天井いっぱいの

大きな(金色の)龍神様でした

そして、希望(金文字)
と書かれた文字が添えられてて。




それは、それは
頭を射貫かれた様な衝撃でした。

父の状態に
(心配停止10分経過後搬送
意識不明で人工呼吸機を付けICUで2ヶ月、
搬送先の病院で手術は出来ないと言われ、
こちらの病院へ転院した状態)

1日。1日が。
一瞬、一瞬が貴重な時間で。

明日は逢えるのかな。。。。

明日も
この温もり
感じられるのかな。。。

この面会が最後かな。。。

この声が
最後にかける言葉になるのかな。。。

毎時間、気を緩めたら

居なくなっちゃうんじゃないかと

生きた心地のしない


絶望的な毎日を送ってたので


龍神様のお姿と
希望    と言う文字を
見た時

涙が出ました。

まだ、希望

持てるかな。

、、、持てるんだ。 と。。。



「辛くても
    下ばかり うつ向いてないで


  上を向いて

     顔を上げなさいと」


言われてる様でした。



それから暫くして

父の人工呼吸機が外れる程に回復。

難しい手術も
受ける事が出来て

しかも、
手足、脳 など
身体に

何の異常も無く


退院できたのです!!



医療者なら分かるかもしれませんが
これは本当に

あり得ない奇跡

としか言い様のない
不思議な回復だったんです。


心配停止 3分で
生存率は50% ここからは脳細胞も損傷して回復不可能な状態が進んでいくんです。


龍神様が  なのか
神様が   なのか

ただ、
その存在
奇跡のお力を
感じた出来事でした。


私の記憶のルーツでは

龍神様を
初めて感じられたのは

この時からなのかもしれません。




~今日お出迎えしてくれた子達のご紹介~


亀が2匹 

何処からともなく
泳いで  上がってきましたカメラブラブ




写真撮ってカメラ
言わんばかりに

この子だけ 私に懐っこかったので。

鳩さんも。


最後まで読んで頂きありがとうございます。