おはようございます🤓





ブログにお寄りいただき


ありがとうございます😌🍵






どんなことにも


成されるタイミング


成されないタイミング


というのがあるのだといいますよね





何でも習得して


からだも自由がきいて


シャキシャキと動けていた


という年代を過ぎ




自分の身に


普通に出来ていたはずのことが


ちょっとずつ出来なくなっている


という変化を感じる時



元気をなくさないでいてほしい




それまでは考えてもなかった新しいことに


興味を持てるようになるチャンスが来てる


と思って その機会を拾い上げてもらいたいし





動ける時代にも


個々人の事情や特性のため


あまり充分には出来なかった


思い通りにならなかった


という人達のその時の胸の内も理解できる


チャンスだったりもすると思います





この世には


何でもやれば一通り上手に出来てしまう人


というのは一定数いらっしゃると思うのですが


要領やポイントを掴むのが速いのだと思われます




そして


その全く逆という人々も


結構な割合でいると思っていて

(マスターに時間がかかるタイプ←正に主コレ)





ササッとできる方からしたら


そうできないことは冴えないことに


映ることが多いんじゃないのかな


なんて思うんですよね




なんで出来ないのかな とか


気が短いタイプの人だと


威圧さえしてしまってたりとか


おそらくあるのではと感じるのです

(そうでない方も勿論いらっしゃるとは思います)





でも自分がかつてのように出来なくなっていって


そのタイミングで初めて


自分とは真反対の胸の内を味わうことになります




以前の何でも出来た自分を覚えているから


受け入れ難いことなのかもしれませんが



様々な胸の内を体験する


という人間の一生という尺で感じてみると


命の計画の一部でありタイミングである


と考えることもできるんではないのかな


と思うんです





そして真反対の


元々マスターに時間をかけるタイプだと


自分を責めたりしがちだったところを通過して



どんなことにも暗い明るい下手上手があるのなら


明るい方を探したらいいじゃない


と心の向きが少しは早めに定まるという


優位点があります



自分責めを通過してきているだけに


その後の自他に


わりと気は長くなれてる気がしますしね







どっちにしろ


人の一生の尺で考えて


経験したり感じたりのタイミングがちがうだけで




その人にとって


より幅広い豊かなものになるように


なっているんだと思います😌








今なぜこのような記事になったかというと




身近に



若い頃は馬力も心の勢いもあったけれど


からだの変化を感じていきながら


現在の自分の身を


なかなか受け入れられずに


もどかしくて気持ちがままならない


という人を二人ほど見て知っているためです






かつてのように歩けない 走れないということが


作り上げてきた自信やプライドみたいなもの?を


刺激しているようで自分に苛立っているみたい




だけどゆっくり受け入れてほしい



ずっとずっと前からそのもどかしさを味わって


同じように苛立って過ごした人がいることも


いつか感じる日が来ることを願っているし





前みたいに自由がきかなくなった


今でしか味わえない面白そうなことを


拾い上げて楽しむ毎日にしてもらえたらな


と心から願っているし祈っているのです🙂













本日


お立ち寄り


お読みいただき


ありがとうございました🤓