子育てをするとき、

 

その時の私の思う最善を、

 

と思ってきました。

 

 

ただ、最近気が付いたんですよねー

 

私の思う『最善』などというのは、

 

私の満足でしかなかったなーってこと。

 

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長男は、小さい頃から私とお出かけするより、

 

お友達と遊ぶことに夢中だったので、

 

彼の想いを優先してきました。

 

 

問題は次男です。

 

彼は、とにかく、小さい頃から私が

 

大好きで、週末はお友達と約束を

 

してきませんでした。

 

 

そこで私は、彼にいろんな世界を見せたい、

 

そう思って、私のできる範囲で、

 

さまざまな場所へ連れていきました。

 

博物館へ行き、

 

美術館へ行き、

 

実験教室にも行ったし、

 

JAXAにも行ったっけ爆  笑

 

塾にも行き、

 

部活もやり、

 

教育を付けることで、

 

彼の未来に、一つでも多くの

 

選択肢を増やしてあげたい、

 

なんて思ってきましたし・・・

 

 

その中で、

 

あぁ、一貫教育受けさせてあげたかったな

 

とか、

 

こんな習い事させたかったな

 

とか、

 

経済的に不可能な部分に、

 

自分のふがいなさを思ったこともありました。

 

 

それでも、

 

いま、この時しかできないことを

 

いま、思い切りやれるように

 

してあげたいと思ってきました。

 

 

で。

 

最近彼と話してて思ったんですよね。

 

 

彼とたくさんの時間を過ごしてきました。

 

振り返って、一緒に行動をして、

 

『彼の将来のために

 

 あれはよかったわ~』と思うことって、

 

ないんですよね爆  笑

 

 

でも、たった一つ。

 

あれだけはよかった!と思うことが一つ。

 

『友達との遊びを制限しなかった』

 

これ。

 

 

私が関知しない時間ですね笑い泣き

 

 

小学生の頃、放課後

 

毎日毎日、まーーー、よく遊んでました。

 

DSをもって、集合して、

 

『ダンボール戦機』という

 

ソフトの話ばかりしてたっけ爆  笑

 

夏休みには大きな水鉄砲で、

 

公園でサバゲーして、

 

毎日、びしゃびしゃ、ドロドロの服が、

 

洗濯機にひっかかってたっけ爆  笑

 

これに関しては、同級生の母親から、

 

クレームもついたっけ凝視

 

 

もう、あんなにゲームできないし、

 

水鉄砲持って、

 

泥だらけになって朝から夕方まで

 

遊ぶなんて無理。

 

というか、毎日外で遊ぶ、なんて

 

絶対無理。

 

あの頃、時間って永遠に感じたし、

 

あの時間の経験を今しようと思っても、

 

大人の今、それを感じるのって無理。

 

友達との関係も、

 

どうやって遊ぼうかと思った時間も、

 

学んだ事ってたくさんある。

 

あの経験は、自分の人生にとって

 

かけがえのない時間だった。

 

 

と話しています。

 

 

あぁ、そうだなーって、つくづく思うんです。

 

小さい頃しか体感できない時間の中で、

 

大きな声で叫ぶこと、

 

泥だらけになること、

 

明日は何をして遊ぼうか?とということで

 

頭がいっぱいになること、

 

毎日、思い切り友達と遊ぶこと。

 

彼にその時間があってよかったー!と。

 

 

もちろん。

 

受験して一貫教育を受けることや、

 

附属で、なんてことも

 

身をそこに置いていたら、

 

良い部分もいっぱいあると思います。

 

 

でも。

 

彼にとっては、

 

これが良かったんだな。

 

私にもっと経済力があったら、とか、

 

思わなくていいんだな。

 

あの遊んだ時間が、最良だった。

 

あの時間が彼にあってよかった。

 

そんなふうに思います。

 

 

ついつい、私は、

 

なんでも、『親が与える』ことベースに

 

発想してしまいますけど、

 

その子にとって大事なことは、

 

子ども自身が掴んでくるものですね。