そして最後。

 

『自立』を口にするようになったこと爆  笑

 

 

今までは、

 

自分が働いたら、

 

にーにと一緒に頑張るから、

 

お母さんは、働かなくても

 

良いようにするからね。

 

ご飯だけ、作ってハート

 

 

 

なんて言っていたのが・・・

 

段々、

 

 

一人暮らしは絶対に嫌。

 

洗濯も掃除も自分でするとか、無理。

 

シェアハウスだな。

 

 

と変化。

 

誰かにやってもらう気満々。

 

こんな人、シェアハウスにいたら、超迷惑。

 

 

そして今。

 

『やっぱり、社会人になったら、

 

 自立しないとイタイよね。

 

 いつまでも実家暮らしって、

 

 それ、ダメな気がする』

 

と。

 

 

ホホーーーゥ。

 

 

些か寂しい気もするけれど、

 

私がトイレのドアを閉めて

 

姿が見えなくなっただけで、

 

この世の終わりかって程、絶叫大号泣していた

 

甘えっ子でも、ちゃんと

 

成長していくんだな~

 

母から巣立っていくんだな~

 

と、感動もしています。

 

 

 

やっぱ、ヨチヨチ育てても、

 

ちゃんと、独り立ちする!じゃん爆  笑

 

 

****************

 

そう言えば、先日、その息子が、

 

『自立』について、面白い事を言っていました。

 

 

 

その日、お友達と公園で

 

ピクニックシートを敷いて、楽しんでいた時。

 

そこに、突如、所謂宗教2世と思われる

 

幼い少女がやってきて、

 

『話していいですか?!』と聞きながらも、

 

断る余地も与えない勢いで、

 

『神様』や『罪』などについて

 

息もつかずに、話し始める、ということがありました。

 

 

 

言葉の意味を噛みしめて伝える

 

と言うのではなく、

 

国語の教科書を『丸暗記』して、

 

暗記を忘れないように超特急で

 

みんなの前で朗読する子がいましたが、

 

まさに、あんな感じ。

 

 

だから、こちらが、少し質問しても、

 

それにはしっかり応えず、

 

伝えることを全部言う

 

というミッションを果たすためなんだな

 

印象を受けました。

 

 

 

一方的に言いたいことだけを、

 

一気に話し終わると、

 

『おめでとうございます!』と言って、

 

遠くにいた母親らしき

 

女性の元に走っていきました。

 

 

 

おそらく彼女自身は、

 

達成感に溢れて、母に報告したんでしょうけど、

 

突如、教えを説かれ、勝手に祈られ、

 

取り残された私たち。

 

彼女に祈ってもらった私たちは、

 

天国に行けるらしいので、

 

本来なら喜ばしいはずが、

 

なんとも言えない、悲しいというか、

 

切ないというか、

 

ものすごくモヤモヤした

 

表現しがたい気持ちだけが残りました。

 

 

 

その話を息子に報告。

 

 

 

それについての彼の返答は、

 

『みーなんかは、

 

 それ覚えるなら、英単語のひとつでも

 

 覚えた方がいいのにって思っちゃうけど、

 

 単一の教えに依存する、

 

 それも、ひとつの生き方だよね。

 

 色々自分で考えなくて済む。

 

 神様が全部正解を持ってるんでしょ?

 

 そこでは。

 

 神様に依存するのも、まぁ、

 

 そういう生き方もあるよね。』

 

と。

 

 

 

『それで思い出したんだけど、

 

 面白い事を言ってる人がいてさ。

 

 自立するってどういうことかって

 

 話なんだけど。

 

 自立って、

 

 依存先を増やすことなんだって。

 

 面白くない?

 

 自立の反対が依存だと思わなかった?

 

 実は違うんだよね。』

 

 

 

・・・と、この内容について、

 

ふたりで大いに盛り上がりました。

 

次男の読んだ本や、内容は、こちら↓

 

 

 

今までの思考パターンを覆されるというか、

希望も絶望の対義語ではないという話に、

目から鱗。

興味ある方はぜひ読んでみておねがい

 

 

 

 

こちらも、

とても参考になる意見が書かれています。

正解ではなく、一つの提案・・

こんなふうに子育てしなおしたい。

 

 

 

 

依存って、病的だったり、

 

悪い意味として捉えられるけど、

 

*他に頼って存在、または生活すること

 

本来の意味で言えば、

 

みんな、そうやって生きてるんですよね。

 

でも、

 

集合意識の中で、

 

なにか一つに頼っているという狭義的な意味で

 

捉えられ、

 

『依存』=病んでる人

 

という言葉になってしまっているんだな、と

 

気付かされました。

 

 

 

因みに、この熊谷先生、

 

『依存症』とは、

 

何かに依存する病気ではなく、

 

依存先が得られない病

 

と記されています。

 

 

この言葉、突き刺さりますね。

 

*******************

 

 

こんなふうに、自立について、

 

ふたりで語り合ったり、

 

また、友達や一人で、

 

いろんなことを考えたりしながら、

 

飛び立つ準備をしてるんだなーと思うと、

 

人の成長する姿って、

 

頼もしく、

 

清々しいなぁ・・・と

 

心熱くなるものがあります。