答えてください。
娘を殺したのは私でしょうか。

東野圭吾作家デビュー30周年記念作品
『人魚の眠る家』


娘の小学校受験が終わったら離婚する。
そう約束した仮面夫婦の二人。
彼等に悲報が届いたのは、面接試験の予行演習の直前。
娘がプールで溺れたー。
病院に駆けつけた二人を待っていたのは残酷な現実。
そして医師からは、思いもよらない選択を迫られる。

過酷な運命に苦悩する母親。その愛と狂気は成就するのか。
愛する人を持つすべての人へ。感涙の東野ミステリ。

こんな物語を自分が書いていいのか?
今も悩み続けています。   東野圭吾

 

 

*********************

 

子供だけではなく、大切な誰かが

 

同じ状況になり、

 

この選択肢があった時、

 

『私ならどうしただろうか』

 

と、考えてしまうのではないでしょうか。

 

 

『脳死状態』『脳死判定』

 

 

脳波がない場合、『脳死状態』になり、

 

この状態で延命措置か、臓器提供かという

 

大きな難しい選択肢が与えられます。

 

これは、あくまでも『状態』であり、

 

ドナーを決断して初めて、

 

脳死判定をしてもらえるということを

 

初めて知りました。

 

日本のこのシステムは、世界でも稀有だと

 

映画の中で医師が話していました。

 

 

 

心臓が動いて、温かい身体を目の前にして、

 

『ドナーになる』と決断する。

 

言い換えると、

 

自分の決断で、動いている心臓を止める

 

選択をする。

 

 

脳死、心臓死、どちらをもって『死』とするのか。

 

 

これは、とても重たく、

 

もっと議論がなされるべき

 

命の選択だと思いました。

 

 

また、子供に対する、

 

父性と母性の違いも感じられる、

 

いろんな意味で、考えさせられる映画でした。

 

 

 

 

ここからは

 

なるだけ内容にはふれないようにするけど

 

ネタバレもあるので、

 

まっさらな気持ちで楽しみたい方は、

 

絶対、読まないでね。

 

言ったからねパー

 

********************

 

まず。

 

子供の演技が、素晴らしかった。

 

題名の人魚姫である、脳死状態になる長女。

 

身動き一つしない、目を瞑っている役だけど、

 

本当にお人形みたいに、

 

触れられたり、

 

話しかけられたり、

 

周りでお芝居している中で、

 

身体どころか、眼球ひとつ動かさない。

 

 

学生の頃、極道の妻たちがテレビでやってて、

 

萩原健一が死体の役だったんだけど、

 

女性がすがって泣くシーンで、

 

眼球動くし、目も開いたかな・・

 

とにかく、それが面白すぎた記憶がある。

 

そりゃー、女優さんがあんなに錯乱状態になったら、

 

眼球、動いちゃうよねーって。

 

 

死体を演じるって難しいんだな・・って

 

その時思ったんだけど、

 

彼女は、素晴らしかった。

 

お母さんが、錯乱状態になっても、

 

微動だにしなかったもんなー。

 

天才。

 

*********************

 

そして、弟役の子。

 

 

学校に入り、社会とのつながりが広がる中で、

 

家で起きていることと、

 

周りのずれを感じていく

 

心の変化と、寂しさの子供らしい表現が

 

素晴らしいと思いました。

 

極めつけは、

 

お母さんの狂気が頂点に達したときの

 

彼の涙の演技。

 

 

あれ、もはや演技の域、越えてます。

 

それをみた私が、ヤバかった。

 

映画館で観なくて、良かったです。

 

 

ただ、演者全ての演技が

 

素晴らしすぎただけに、

 

最後出てきたおばさんのたった一言の

 

下手が際立っていて

 

その演技でこの映画終わるのかーと

 

微妙に残念。

 

私が監督なら、あの女優さんに

 

セリフ言わせない。

 

****************

 

そしてここからは余談。

 

 

小説では、最後、彼らは離婚して、

 

この『人魚の眠る家』は更地になったと思います。

 

 

映画では、何の説明もなく、

 

更地が映ります。

 

 

私は、小説よりも、好きな終わり方だなと

 

感じました。

 

この夫婦がどうなり、

 

家族、親戚がどうなったかはわからないけれど、

 

『前』に歩きだしたんだなと。

 

 

でもさ。

 

この『更地』に、なにをさしてる??と

 

腑に落ちない人がいるってことが、

 

面白いなーと思ったんですよね。

 

 

*この更地はどういうことを意図するのか?

 

*離婚したのか?説明なく更地だった

 

*離婚したなら、子供はどっちが引き取ったか?

 

*あの家にしては、更地が広すぎないか?

 

 

で、知らない誰かが、回答して

 

『スッキリしました』と返信してる。

 

 

えーーーーー!!!

 

それでいいの?!

 

もし、正解があるとするなら、

 

それ、東野圭吾か、堤幸彦しか

 

知らないと思うけどなー

 

 

世の中には、

 

とりあえずでいいから『白黒』つけたい人が

 

いるんだなーって

 

興味深く思いました。

 

 

余白を楽しむ。

 

行間を読む。

 

 

その余白を、想像する、

 

いろんな可能性を考える、

 

正解のない問いに、身を置いてみる。

 

 

白黒派も、中間派も、

 

どちらも、正解不正解はないと思います。

 

が。

 

この『人魚の眠る家』は、

 

正解不正解がない、

 

『いつ人は死ぬのか』という

 

白黒つけられないことが主題なので、

 

ソコ気になるんかーーーい!?と

 

突っ込みたくなったわたしでした。

 

 

 

心に残る映画でした。