この記事


の続き、
というか
本題!です


決めるとそうなるよ、
決めてなければ、なにも実現しないよ、

ってよく言われる
魔法のような
決めるって行為は何なの?

ってこと書こうと思ってー。



で、私はアレクサンダーの学校で教えてるのですが、
もう
しみじみ思うのは、


教師になりたいなら、
まずは
自分は教師だ、っていうことにする。

これがものすごく大事だなーと思う。



どう大事か、というと。。

ある時、
ハッキリ見えたのですが、

自分は教師だ。
すでに教師だ、って思うことで
器ができるのです。


そしたら、
いろんなワークや学びや、努力や何やかや。
とにかく教師になるためのコトが、
その器に溜まっていく。


でも、その器がないと、
なにをしても、
どんなに努力しても
溜まらないの。
流れていって、なんの変化も起こさないの。



やってもやっても、
何にもならないの。。。

😱モッタイナイ😱よね!!





自分は教師だ、って
言語化してなくても、
どこかで
自分が教師になることを決定事項として捉えている、ってことも同じ効果です。

ゆくゆくは教師になるんだな、ワタシは。。みたいな。

これに疑いが無いと、ゆくゆくは、って未来のことを思っているようだけど、
すでにこの場に教師であることが、存在している。


これと、

私が◯◯になったら、教師になれる。。。

資格を取ったら、
先生からOKもらったら、
◯◯ができるようになったら。。

っていう思いは

教師が、常に未来に固定されていて
自分が進んでも進んでも、教師という未来も
同じだけ自分から離れていって、
いつになっても辿り着けない!

ココ、繊細な違いだねー。



わたしは、そのうち先生になるんだな、って
いうのは
今の自分のままでも、
そのうち、自動的に先生になる。


それと違って、
◯◯があったら、◯◯ができたら、先生になる、ってのは自動的じゃない。
今の自分ではダメって宣言してること。。
未来に設定しているものは
ずーっと未来。
未来は今にはならんからね。。




今、
すでに
このままで
自分=教師という


でも
教師なんてムリ、とか
◯◯ができたら教師
って思いは
今の自分は教師ではないって
キッパリと宣言しちゃってるんだなー。。


そうすると器が無いから。
なにをしても
どんなに頑張っても
流れていっちゃう。。


じゃあ!
どうすれば
自分はすでに教師である、って思えるか?
次に書くよん。