薬物依存症からの復活人生
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自由人・快楽主義・好奇心

私は、物凄く自由人、
勧められたら
やりたい事はやる
知らない事はやる
やるか、やらないか、なら
ほぼやる!を選ぶ
だからこんな人生なんだけどね、

やって最高の物を得られるかもしれない

やらずに得られる物を逃してしまう

そう思っていつも何でもやってた

良い事悪い事関係なく気持ちで

貪欲ですね(笑)

でもね、
正直、馬鹿なんですよ!
後先考えずに突っ走ってつまずいて

やらずに後悔よりやって後悔のが知恵が出ると言うけど、

世の中には知らない事だらけで、恐ろしい事も沢山あるんです!

もちろん、最高な物もありますよ!

でもね、幸せや満足感は、追求するものではなく、その時、どんな時でも感じられるかなんですよね

本当に世の中恐ろしい事も酷い人もいるんです。

もう、嫌な思い、酷い人、酷いことされたり、言われたりする事にいい加減疲れてしまいます。

招くのは自分ですが

もちろん、傷ついた分、人の暖かみ、優しさ、最高に心にしみります。
大事な人達の存在の大きさ
出会えた感謝、すごく思います。
感謝したくても、感謝しきれなくて、
申し訳なくなるぐらい。

結構その無力感もすごいです。

そうゆう、プラスとマイナスの激しさに凄く振り回されて、たまに心が大きく乱れます。

人に傷つけられ 助けられ
人に振り回され 振り回して
人に奪われ 与えられ

結局プラスとマイナスは比例している

そうゆうのに、疲れて、静かに過ごす

それで始めた仕事がリラクゼーション業

リラクゼーションは全て心が手にでます。

身体と心が手に

手からお客様の身体に伝わります。

今、5年ぶりに水商売の仕事もしだして
沢山の人達と関り、付き合う仕事

心が乱れないようにしっかりしないと

冒険しすぎるのも
好奇心で行動するのも
心が乱れて、取り返しの付かない事になり、人に迷惑をかけない程度ですね

まとまりのないブログになりました。

後悔できない内容でしたので、ニュアンスを変えて書いたらイマイチになってしまいました…

また内容はいつか明かせたいと思います。









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父との会話

さっきのブログの続き

父に送ったメール

ぱぱもバクチみたいな仕事して
お金無くして
自分の首絞めやんようにね!
そんなんで死んだらズルいんやで!

死ぬ選択肢しかないんやったら
死ぬぐらい普通に働いてよ!
そしたらママも優しくなるに

死んだら全部無しになるとか
借金無くなるとか、
楽になるとか言う死に方、
親として見せやんといてよ!
そんな生き方教えやんでよ!
頑張って!信じとるで!

ってショートメールで送った

そしたらぱぱから電話

心配せんでもあんたの子供と遊ぶまで死なへんで大丈夫やで

私は泣きそうになって喋れなくなった

頑張ってとだけ話したらパパはすぐに電話を切った

涙と鼻水が出て止まらなかった

私、子供の思い少しはわかってくれたかな…

小さい時から私の思い、家族の気持ち、全然届いてなかったけど

これだけは守ってほしい…

どうか精一杯生きてほしい

英雄のように誇れる生き方

悔いのない生き方をして欲しい

最期は最高の人生だったと言えるように

私は、絶対にそう生きる

負けたくない

自分自身にも負けたくない

みんなそんなそんな死に方したら許さないんだから!

あの世に行ってか来世でまた会ったら

ぜってー殴ってやっからなー

覚えとけよー!



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父親への支援

今日父親から一本の電話

内容は一緒に仕事をしていた人が自殺をしたとの話

私はこの2人の仕事を支援していた。

何故なら彼達の懐はほとんどなかったからだ。
父親にかける最後の投資、最後に信じてみようと、いろんな思いで資金を貸した。

困って首を吊らないように。

父はいつも、切羽詰まっているからだ。

どこで、どんな生活、生き方をしているのかは知らない。

でも娘としては、どこかで孤独死など、して欲しくはない。

だから、いろんな意味で資金を提供した。

老後にと蓄えた100万近くのお金を。

それは母にも誰にも言わずに、

父は昔からお金をそこら中で借りたり

家族からも平気で借りる

借りるというか、返ってこない事も多いが

そんな、父親でもやはり、ただ1人の父親

幼い頃から一緒には住んだら記憶がないが

私はいつでも父親に会いたい

一緒に住んでみたい

ドラマのような家族に憧れていた

実際にはそんないいものじゃないかもしれないが

父親の愛情を味わってみたかった

ずーっと

10数年ほど前に家族で沖縄に行った

私はついた途端高熱が出た。

それを父は気遣ってくれた。

初めての父からの気遣いで私はベットの中で泣いた。

その嬉しさ、父からの気持ちをまたいつか感じられたらなと

またいつか…

どうかお父さん頑張って…!

そして、私はもう二度と戻ることはないであろうと思っていた夜の錦の仕事に、
結婚間近にして
5年ぶりに働くことになったのである…

でも諦めない

幸せになるんだ

別に不幸とも思っていないが

もうちょっと踏ん張らんとな…






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