薬物依存症からの復活人生 -3ページ目

15歳の出来事の続き

前のブログにも少し書いていましたが、

私は薬物依存症でした。

初めての薬物体験は中学1年生13歳からでした。

中学に入り友達も増え、
行動範囲も増え、
悪い事して、大人になった気分で、
興味を持ったものや、面白そうなこと、
スリリングなこと、恋愛、
学校にも行かず
思うがままに過ごした。
最高に楽しかった。
最高に気持ちよかった。
恋愛も沢山した
馬鹿みたいにモテてると勘違いして
8人同時に付き合ったり

そんな中学生活でした
でも、それだけではない

初恋から失恋

中1の冬、
私は当時すごい格好よくてモテてた男と付き合った。
初めてすごく好きになり、初めて独占欲や、不安彼の事ばかり気にしだした。
ある日、私は彼の気持ちなどの不安に負けて、自分ばっか好きになりすぎて、
耐えられなくなり、別れを告げた

初めての後悔

自分で決めたのに、こんなに好きだったとは知らなかった。

人生の中で、初めて苦しいと思いでした。
恋愛、人を好きになるってこんなに、心が痛くなるの?

別れてから1年半引きずった。

もちろん、彼には何度も戻りたいとも言った、むしろ、言い過ぎて彼も呆れるぐらい

着信拒否されるほどだったと思う

今思えば当時の恋は盲目ですね

何をしても、何を話しても戻れることはなかった。

彼は新しい彼女ができて、
ついには結婚すると言われた

私は楽しみや遊び、快楽に使っていた薬を、失恋の麻酔薬みたいに吸引し、記憶を飛ばした

麻痺させて現実逃避をしだした。

ずっと泣いていた。
哀れで、どうしようもないもどかしさで

その辺から、おかしくなり、自分の心のコントロールができなくなった。

元々片親でどこか愛情に飢えていたのもあるのか、わからないが

心の感情や痛みが苦痛で、痛すぎて

ついにリストカットをし始めた

カッター、ガラス、石、尖ったものを見つけては傷つけてた

私は中学の学校の薄い窓ガラスを割っては、そのガラスで切ったり

学校の中、街を歩きながら、薬したり、非行ばかりしていた

体を傷つければ、その痛みで、心の傷、痛みを忘れられた、

一瞬だけなのに、何故かリストカットさえ快楽になっていた

色んな薬をしだして、快楽を増やして、ここで、彼をだんだんと、吹っ切れるようになった

その頃に、私はここまで好きになれた
この思いを、閉じ込めるように、いや忘れないように、や感謝、色んな思いや、終止符を打つなど、新たなスタートを踏む為に
身体に彼の名前を入れ墨した。

未練とかではなく、

なぜか清々しかった

それから新しくまた、恋をしたり出来るようになった。

そしてその間に私は中学3年の年になる

相変わらず薬はしていて、むしろ、より危険な薬をするまで、バージョンアップしていた。

悪友も増え、ヤ○ザとも言われる人達とも付き合い出していた。

クラブ(踊る所)にも頻繁に遊びに行って、知り合った男達とコンパをした、

初めてのコンパ(合コン)

大学生と県外で3対3で遊んだ。
いきなり大学生の家でお酒を宅飲み
めちゃくちゃ飲まされて、ベロベロに…

王様ゲームとかしだした、

やばい、私の友達に手出される!
そろそろ、帰ろうってことで、
送ってってもらうように頼んだ

彼らは何故か一人一人別の車で送ってくと言い出した。

それも怖いので拒否した。
みんな乗せて!
でも彼らは、車乗れないからと言うので、
しぶしぶ、せめて友達はペアで乗せてもらい、私は1人で乗った

私たちは何か危険な匂いをいていたので、
連絡を取り合っていた

そしたら友達は中々返してもらえなかったから、コンビニ行った隙に走って逃げたとメールが来た

ホッとした

そしたら男達から連絡があり、私は帰してもらえなかった。

部屋に連れ込まれた

最初男1人だったけどあとから2人の男も部屋に来た

そしたら彼らは、私に薬を、進めてきた
うわ!きたっ
「しないっ」
って言った。
次は彼らは、私に身体を触らせようとした。
「嫌だっ!」
って言った。

彼らはだんだん私に寄ってきて男2人で押さえつけだした。

必死に抵抗した

服を破られ、犯され、叫ぶ私を、彼らは笑っていた。

抵抗すればする程彼らは燃えだし笑った

こいつら死んでる

悔しくて涙が出た、泣くのも悔しかったから必死に涙が出ないようにしたが

ついに私は無駄な抵抗をやめた

そしたら奴らは、面白くなくなったのか

手を離してくれた

しばらく彼らの隙を見て、私は家を出る事にした、

何処なのかわからない場所で

電話で友達に助けを求めた

道に詳しい友達だったので周りの看板などを頼りに説明した、

友達は仕事を休んで迎えにきてくれた

家に帰り1日部屋で呆然とした

怒りと悲しみでいっぱいだった

奴らに仕返しをしたかった。

私の親戚に有名な悪い世界の権力者がいた。

私はいつか親戚が何かあったら頼ってこいよ!と言っていたのを思い出した。

親戚に話した。

助けて!奴らを見付けて、仕返しをして!

と頼んだ。

そしたら親戚は言った。

お前も悪いんだがや、

そっか、悔しかったけど、私は考えた

そうなった始まりは自分なんだと

フラフラ遊び回って、調子こいた結果なんだ。
自らの行動なんだ

この時、私は自分の行動が良い事も悪い事も引き起こすのだと、深く知った。

その数日後、身体の様子が悪くなり、息ができない出来ないぐらいの腹痛で夜病院へ行った。

血液検査の結果盲腸並の数値が出て、入院することになった。

数日、点滴と、絶食、検査

結果は子宮に炎症を起こしていた

医者がもうすぐで子供が産めなくなってたよ。

もう出る言葉なかった。

私は、この頃からか、

人は、人、他人は他人って
何処か冷めた考えになった

それからも、いろんな人と付き合って、首を絞めたり少しSっ気(サディスティック)な性癖の奴でも、びっくりしたり、動じることはなかった。

むしろ、冷めた目で笑う態度すらしていた。

だからなに?やってみろよ!みたいな

SEXで愛とか感じるとかよくわからなかった。

だからいろんな人と付き合い、SEXも沢山した。

きっと、どこかに自分を変えてくれる
愛してくれる、感じさせてくれる
人が居ると探すかのように……















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過去15歳の出来事

今日は事情があって家から出れなかったせいか、急に落ち込みました…

過去を思い出したので少し書きます

私は過去に近所の2つ年上の幼馴染と
私の当時の一回り年上の元彼に仕組まれ、殺されかけました。

当時15歳
私は薬物中毒で幼馴染のAと悪友で薬物や悪い事ばかりしてました。

私は別れてからもずっと離れてくれなかった元彼との関係をAに相談していました。

当時若かったし悪口なども沢山言いまくってました。

ついに元彼に私は薬物中毒だと告白したら、彼は僕も君の気持ちにを理解したいからと薬物を体験すると言い、本気で止めたが、数日後彼は薬物に走りました。

それをキッカケに彼は一緒にやろうと、私やAと薬物をするようになりました。

彼らは仲良くなり、私が学校や、私がいない時でも会うようになりました、

それから数日後、いつものように、車で3人で暗い川沿いの堤防で薬をしに行きました。

彼とAは、前で私は後部座席

彼とAは私の薬を作ってくれました。

受け取った私は量を確かめたらいつもの3倍の量でした。

きっと水を入れすぎたのだろうと、疑わずに私は使用しました。

そしたら意識が遠くなり、身体の力や感覚がなくなって行きました。

やばいと思ってしばらくして意識が少し戻りだした頃、

Aは帰り彼は私に言った、

今日ホントは殺そうと思ってたんだ…

えっ!何それ…

ショックすぎてか薬のせいかそれから何を話していたかは、覚えていない

彼は謝っていた

僕は致死量を入れる計画だったけど、怖くなって量を減らしたんだ

私はそんな事よりショックすぎて人がなんなのか、自分はなんなのかわからなくなっていた、

それ以降Aにも確かめたくて、普通に会いに行ったが、彼女は何もないふり

それから彼らとは、会う事はなくなった。

それから、私は人も自分もなんなのか、分からない日々が続いた

毎日心から笑うことすら出来なかった

高校生になり、友達が出来て、プリクラや写真をとっても、私の目は死んだ魚の目のようだった

それでも身体は薬を求めてウズウズとして、学校にも持ち込んで使用していた


家族を悲しませて、何度も兄には殴られて、私は罪悪感に押しつぶされた

私はついに生きる意味がわからなくなっていた。

家族を傷つけて、自分の心も痛んで、耐えられなくて、ある日母に言った

ママ本当どうしようもない娘でごめんね
私、友達にも殺されかけて、
ママや家族にも心配や迷惑ばっかかけて、
泣かせて何しとるんやろ…
いっそうのこと殺されて死んだ方がよかったのかな?ってぐらい苦しい
何しに生きてるんやろ

そしたら、母は、
あんたが死んだらままも死ぬ
やで、ままの為に生きてと

私は、その日以来、すべての原因となったであろう薬をやめようと決心した

それからの未来は天国と地獄かのように180度変わりました…

今日はこの辺で








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