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つくづく思うの。
自己犠牲って、誰のためにもならないんだよね。
そのときは「これでいい」って思っていても、
自分がすり減っていくと、
優しさも、余裕も、あたたかさも、
どこかで薄くなってしまう。
自己犠牲って、
最初から「自分を犠牲にしよう」と思って始まるわけじゃなくて、
たいていは “足りない私”を埋めようとする気持ち から始まるんだと思う。
誰かに喜んでもらえたら、
必要としてもらえたら、
認めてもらえたら、
その“足りない”が埋まる気がしてしまう。
でもね、
その優しさはどこかで苦しくなる。
だって、自分を削っているから。
本当の優しさって、
自分が満ちているときにしか生まれない。
満ちているときの優しさは、減らない。
与えても疲れないし、
見返りを求めないし、
相手の反応で揺れない。
それは、
“与えよう”としているんじゃなくて、
溢れたものが自然に流れているだけ だから。
じゃあ、どうやって満ちていくのかというと、
特別なことをする必要はなくて、
ただ、
自分の小さな声を無視しないことなんだよね。
疲れたら休む。
嫌なものは嫌と言う。
小さな違和感を見逃さない。
本心の声を否定しない。
安心できる瞬間をちゃんと味わう。
こういう“当たり前のこと”を当たり前にすると、
エネルギーは外に漏れずに、
ゆっくり内側に戻ってくる。
戻ってきたエネルギーが胸の奥で静かに循環し始めると、
人は自然と満ちていく。
満ちてくると、優しさがふわっと溢れる。
それは、
誰かのために頑張る優しさじゃなくて、
自分が満ちているからこそ生まれる、減らない優しさ。
そして気づくの。
ああ、優しさって、
こんなに軽くて、
こんなに自然で、
こんなにあたたかいものだったんだって。
結局ね、
私たちがいちばん欲しかったのって、
大きな成功でも、特別な何かでもなくて、
ただ“ほっとできる場所”だったんだと思う。
誰かのために頑張らなくてもいいし、
自分を大きく見せなくてもいいし、
足りない自分を埋めようとしなくてもいい。
胸の奥がふわっとゆるんで、
「このままでいいんだよ」って
自分に言ってあげられる瞬間。
その小さな安心が、
私たちを満たしてくれる。
そしてその安心がやさしさになって光になって、
自然と外に流れていく。
ほっとするって、
それだけで十分なんだよね♡
もちろん私、いつもいつも満ちてるわけじゃないよ、カラッカラになる時もある。
でも、それも感じていいんだよな、って思わない?^^
カラカラなら水を飲めばいいし、
何かやりたいことがあるならしたらいいし。
小さな願いは馬鹿にできない◎
その一つ一つがあるということが幸せなんだもん♪