自分がこんな目に遭うと思ってなかった。

 

それが今の私の素直な思いです。

 

仲の良い家族、安定した仕事、優しい彼、

私を取り巻く色々なものは、いつも当たり前のようにあったはずなのに、

気づけば手の中から滑り落ちてしまっていた。

そんな感覚

 

 

私は首都圏の平凡なサラリーマンの家庭に生まれました。

優しい母と、真面目な父と、可愛い妹、厳しい祖母、

当たり前のように毎晩家族と食卓を囲み、生活していました。

 

そうして大学生になった頃。

母は度々愚痴をこぼすようになりました。

「結婚したくなかったのに結婚した」

「まだ子どもは欲しくなかった、自分の時間が欲しかったのに」

 

 

そんな言葉を何度も浴びた私は、ついに言ってはいけない、

母へトドメを刺しました。

 

「産みたくないなら産んでくれなくてよかった!」

 

 

 

放った言葉は消えない。

どんなに後悔し、謝り、生まれてきたことを感謝する言葉を伝えても、

一度放ってしまった言葉、つけた傷は消えないんだ。

 

その後、何年も、今も、きっと死ぬまで、

この言葉を発したことを、後悔して生きていくんだと思いました。

 

 

 

この言葉を放った日から、

少しずつ我が家は崩壊していきました。

 

 

父はもともと仕事人間で、母や私たち家族の心のケアをするような人ではありません。

そんな両親はどんどん溝を深めていくことになります。

 

ついに母は自暴自棄になり、家を出ていってしまいました。

母は自分の居場所を確立しようと、新しく始めたビジネスにお金を注ぎ込み借金。

自分の体や心、生活を犠牲にし、

家族とはほとんど連絡をとっていません。

 

 

父はそんな母を見て嘆き、表情は消えていきます。

 

 

家庭の崩壊は、必然だったかもしれない。

それでも、私の一言がトリガになったのは言うまでもありません。

 

長女として、そのきっかけを作った立場として、

家族を立て直そうと、父の話を聞き、母に働きかけ、祖母のケアをして、

そうして34歳になりました。

家庭が崩壊していく中で、私は結婚に希望を持てずにいましたが、

それでも「この人なら」と思う人に出会い、婚約をしました。

 

彼はアメリカで生活をしていました。

アメリカ生活に慣れるため、入籍前に1ヶ月同棲してみようということになり、

私は仕事をやめ、家族や友達と離れてアメリカに旅立ちました。

 

アメリカの、ほとんど外に出られない田舎街。

それでも彼と一緒に暮らせることを楽しみに、過ごしていました。

 

しかし婚約をした後から少しずつ、彼の態度が変わっていきました。

亭主関白でモラハラ気質な言動が日に日に増え、

私は心も体もボロボロになってしまいました。

 

結局婚約を破棄。

日本に帰国しました。

 

 

そして今日、去年は彼とアメリカで過ごしたクリスマスを迎えました。

 

大切な彼、

大切な家族、

大好きな仕事。

 

私はどこでボタンを掛け違えたんだろう。

 

神様がいるのなら。

この全てを糧として、進みなさいということであれば。

 

婚約破棄

両親の離婚と家族の崩壊

母親の借金
祖母の介護

仕事

 

この壁はとてもとても高いけれど。

 

私は乗り越える努力をやめたくない。

家族を幸せにしたい。

大切なパートナーを持って、その人を幸せにしたい。

そしてもっともっと多くの人を幸せにできる自分になりたい。

 

そのためには、

諦めないこと。努力すること。

自分を愛すための努力もすること。

 

 

私にもう少し、頑張る力をください。

 

そして今、何か辛いことを抱えている全ての人に、

立ち上がる勇気をください。

絶対に私はここから這い上がって見せる。

 

頑張りましょうね。

負けないで。