【女帝ストーリー】私が自己肯定感を上げるまで
今の私のまま、幸せを選べる私になれる、
姐さんカウンセラーのゆかです。
明日から始められる
「私が私を幸せにするプロジェクト」を
ご提案型カウンセリングにてお届けしております。
5月に、お弟子講座4期のお手伝いをした際、私が自己肯定感が低かった頃の話が聞きたいと言ってくださる方がいたので、自分ストーリーはあまり開示してこなかったからそろそろしたいなと思っていたこともあり、これから書いてみようかなと思います。
私は父親の溺愛&期待に押しつぶされそうになりながらも、なんとか末っ子力で生き延びたのですが、反動で「優等生(いい子)であること」と、「どれだけやっても認められない」という無価値感を抱いた10代でした。
片方では愛されているけれど、片方ではもっとできるだろうと期待されるわけです。
期待は、された側がどれだけ与えても、期待した側が満たされることがありません。
もっといけるはず!もっといけるはず!だって今までの期待を越えてきたんだから!
と、膨らんじゃうんですね。
恋愛で例えると、
コーヒー買ってよー!
パスタ食べたいから奢ってよー!
ホテルのアフターヌーンティーが食べたいから連れて行ってよ!
そのホテルに泊まりたいから、お部屋とってよ!
次はホテルのもう少し広いお部屋がいい!
今度は沖縄の同系列のホテルに泊まりたい!もちろんオーシャンビューで!
沖縄の次は海外のリゾートがいいわ!
という感じで、最初はコーヒーご馳走してくれたら嬉しかったのに、最後は「え?!シーズンだから、バリ島が高い?でもいいシーズンに行かないと意味ないじゃない!」と要求が高くなるわけです。
これが親子間で起こるとなかなかぐったりするのはお分かりでしょうか…?
それでも子供は親の期待に応えたい!とばかりに頑張ってしまうんですよね!
だけど、それで親が喜ぶのは一瞬だけ(の、ように感じる)。
なので、子供の私は「愛されてはいる、でも私は父に何もしてあげられないのかもしれない。もうこれ以上構ってほしくない。しんどい。どこまで頑張ればいいんだろう。」と自分のやっていることのゴールがわからなくなっていました。
自分はどれだけ頑張っても、次のゴールが用意される。
私はあと、どれだけ頑張ればいいんだろう。
そんな気持ちが強かったので、自信がつくはずもありません。
「やった!できた!」と喜んだ次には、また難関に立ち向かうわけなので、振り返る、自分を褒める、という時間があまりにもありませんでした。
もちろん毎回うまくいくケースばかりではないので、そうすると「なんでできないんだ?お父さんが学生の頃は…」なんて話が出てくるんですね。
●やっぱり私はダメなんだ
●お父さんを喜ばせることができない
●私は頭が悪いんだ
●私は要領が悪いんだ
●私なんていても意味ないかもしれない
●もっと他の子が欲しかったのかもしれない
と不安な気持ちと、
●それでも私を必要としてくれている
●私はお父さんの望む子にならなくちゃ
●できないことはできるところでカバーしなくちゃ
と、愛されている部分ではさらに愛されようとその分野でのミスのないように、と思っていました。
しかし、重いんです。
愛情も期待も。
なので反抗期は強かったと思います。
癒着を切りたい、私は私として認めて欲しい!そんな気持ちがありつつ、どこかで父は私をどんな時も好きでいてくれているはず!という思いもありました。
複雑ですよね。きっと。
こう言った経緯があるから、私は一つの感情だけが心を支配するケースが少ないというのを実体験として理解しているのかもしれません。
大好きだけど大っ嫌い。
そんな状態を知っているし、それをみている自分もいる。
そんな感じでした。