昨日の話の続き、、、


私にとっては、
生活に支障をきたす「便失禁」の方が、「人工肛門」よりツラくなかったので、

「後遺症(便失禁)と共に生きる」

という選択をしました。


人工肛門で、残りの人生を生きるのは、「絶対イヤ」でした。


「絶対イヤ」というのも、人によって程度があるけど、私のこのイヤの程度は、


「そんな体(人工肛門)になってまで、生きていたくない」というレベル


絶対受け入れられない。



人工肛門になるぐらいなら、死んだ方がまし

どうして、そうした心情になるかというと、



どーでもいい、本当にくだらない
美意識
が、原因です。


友人の事を「美の追求者」と書いたけれど、その「美の追求者」と気が合うということは、

私も「美」に、かなり拘ってる人間だという事です。美醜にうるさい。


私にとって、「人工肛門」は美しくありませんでした。


お腹から腸が出てる
→美しくない

そこに蓄便袋(パウチ)を四六時中貼り付けて
→美しくない


だらだらと便が出て、その蓄便袋に溜まる
→美しくない


しかも、皮膚にパウチを貼り付けているから、皮膚が色素沈着をおこす
→美しくない


お腹に蓄便袋がついてるから、ウェスト周りはゆったりとした服着た方がいい
→ゆるゆるの服なんか、美しくない


美に拘りがある上に、潔癖症のきらいもあるので、人工肛門は、とても受け入れられませんでした。


潔癖症気味だから、

少しでも便が蓄便袋に溜まるのが我慢出来ません。いつも気になる。少しでも便が出てるとトイレに行って蓄便袋から便を出す。蓄便袋もキレイに拭かないと気がすまない。

蓄便袋の中に、便がついてるなんてあり得ないのだけど、キレイに拭き取るのは不可能です。耐えられない。

蓄便袋も透明だと便が見えるから、肌色の中が見えない蓄便袋のメーカーのしか使わない。


約2年間、人工肛門だったけれど、物凄いストレスでした。


何をツラいと感じるかは、本当に千差万別です。


私にとって、人工肛門は、便失禁よりツラい。
便失禁は、泣きたい時もあるけれど、人工肛門よりは耐えられる。

だから、人工肛門の方が便失禁より、生活のクオリティは数段上だとは思うけれど、

私は、便失禁と共に生きる選択をし、今後も便失禁と共に生き、人工肛門に戻すことはないと思います。

それが私の選択です。


1日1食、日中は一切固形物を食べないという徹底した節制

便失禁による行動の制約


後遺症を抱えたことで、制約ある生活ではあるけれど、その中で、楽しみ、笑って過ごしていきたいと思っています。


願わくば、もう少し、改善して欲しいけれどねウインク



(おまけ)

人工肛門で生きる選択をした方に対して思う事は、

もし、術後の抗がん剤治療を全て終えてから、ストマを閉じる手術をしていたならば、地獄の3ヶ月を耐えられたかもしれなかったという事。


何故、彼女の主治医は、抗がん剤治療の前に、ストマを閉じる手術をするかと聞いたのか?

ストマの方が、抗がん剤の下痢の時は、明らかに楽です。

便失禁の状態で、抗がん剤の下痢は、彼女の言うとおり、耐えられない。爛れて、痛くて、拷問です。



そして、

今は、一旦、小腸にストマを造設して(一時的な人工肛門)、抗がん剤治療をして、抗がん剤治療を終えてから、再度ストマを閉じるという選択もあると思うけれど、


今、永久人工肛門にするという結論を出さなくともと思うけれど、


ただ、知らなければ、どんなツライ事も乗り切れるけど、一度知った地獄の便失禁を、またやれというのは、無理かな。


痛みは、思考を止めるので、人間をダメにします。痛い、痛い、それだけで何も考えられなくなる。

痛みの感じ方も、人によります。
痛みに強い人もいれば、弱い人もいます。


どんな選択をするにしろ、一度きりの限りある命、後悔のないように生きていきたいですね。