幸せの定義も不幸の定義も人それぞれ。

チョコレートひとかけら食べて幸せを感じる人もいるし、1000万円の宝くじが当たっても不幸な人はいる。



結局は自分がどの側面にフォーカスをかけて生きているか?だけの違い。



人と比べることにばかりフォーカスをかければ、

永遠に人と比べて生きていくことになる。

その苦しさを選択しているのは誰か?




自分の心は幸せですか?




ある日、小林正観さんの2万5000回のありがとうに挑戦してみた。

感情は入れなくていい、ただ【ありがとう】を2万5000回唱える。


そうすると、バスタオルが必要になるくらい涙が溢れ出すというお話。



別に泣きたいわけではない。

ただ、やってみたその先の感覚を知りたくて挑戦してみた。



1時間に6,000回くらい唱える。

4時間過ぎたあたりで、みぞおちあたりからグワっと熱いものが込み上げてきた。



ありがとうと発したくても、感謝が込み上げてきてうまく唱えることができない。

そうすると、自然と涙が溢れてきた。


【ありがとう】ってこんな風にみぞおち辺りから込み上げてくる感覚なんだ・・・と。



そうして、あと3回で2万5000回というタイミンごで大きなことに氣づき身体中の細胞が震えた。





私が今いる場所には2万5000の感謝が溢れている





こんなメッセージが降りてきた



今、この瞬間に存在していれば、私たちはそれだけの感謝の中にいること。


過去や未来にばかりフォーカスをかけて生きていると、そのことに氣づけない。


今ここに存在するということの価値がそこにあり、今ここから外れればいとも簡単に断絶できる。


いつだって私たちは感謝という場所に身をおける。

目に見える物ばかりに囚われていると、その場所にいくのは困難だ。




幸せも不幸せも自分で選択している。


今、この瞬間も。




シンプルがゆえにスルーされてしまうけれど、

今のこの瞬間に25,000の感謝に包まれている自分を選択していったほうが人生は楽しい。


その選択をしたいと思う。


バスタオルがびしょ濡れになるような涙を流すことはなかったけれど、壮大な氣づきを得た。



全ては自分次第

全てうまくいっている

全てシナリオ通り


今日も私を通してこの地球を遊び尽くす。



先日、福島で開催中の香取慎吾さんの個展を観に行ってきました。

私は【自画像】と【2022】に心を奪われました。

絵を見る時は心で観る。感じる。自分との共鳴を楽しむ。

とても素晴らしい個展でした。



自分に還ろう かえる🐸