私がアメリカに行って一番いちばん考えたこと。。。それは第二次世界大戦についての歴史です。これは、私の人との出会いの中から、話を聞いたり、本を読んだりして一番考えさせられたことです。。。アメリカ帰国前のESL論文、プレゼンテーションはこの戦争について、マレーシアンチャイニーズである彼らの祖母の話、私の祖母の原爆の体験談、実際に日本兵で満州(中国)に行かれた方の話、アメリカによる文献(中立の立場での描写)を元にして作りました。日本にいるときには、歴史は一番嫌いな科目と避けていましたが、日本をでて、私は彼らとも出会いがたまたまあって、、、、本当に1人の日本人として考えさせられました。


マレーシアの旅行の話をする前にかこうと思います。


まず、アメリカの1000以上ある中で違う大学でありながら、たまたま彼らと会えたことにも感謝です。


楽しい旅行なんですが、まず戦争の歴史が日本とアジアの諸国にあることは忘れてはいけないと思いと思います。戦争の歴史というものは、1つの戦争のことによっての国によってさまざまです。


まず、私が会いにきた兄弟は、人種は中国人、生まれも育ちもマレーシアのマレーシア人です。マレーシアは原住民などの部族をあわせて、、、22?くらいのことなった文化を持つ人々がすんでいるそうです。マレーシアには主に、マレー人、中国人、インド系 の方が多くいます。私の友達兄弟は英語、中国語、マレー語を生活のなかで使い分けます。


戦争の話を普通はするのはタブーと思われますが、私たちは喧嘩もしながら、お互い理解を深めてきました。


彼らのおばあさんは中国の海南出身。若いころに日本軍に家を壊され、殺されそうになっています。そして、(家族は殺されたのかもしれません) 結婚後、すぐに生まれたばかりの息子と戦火を逃れるために、マレーシアのほうに、着の身着のままやってこられ、夫である彼らのおじいさんは中国兵として戦火にいたので、10年間妻と息子にあうことができずにいました。10年後、兵隊を逃れ、手紙だけを頼りにマレーシアに妻と子を探しにやってきたそうです。そして、彼らのお母さんがマレーシアで生まれられたそうです。。。表面的な説明だけすると感動的な話ですが、と同士に想像を絶する苦労をされています。

日本兵は子供も女も中国では殺しています。Sino Japanese War II (日中戦争)の満州大事件などを否定される記事などもあります。私は歴史学者ではないのでわかりませんが、その事実がない限りあの、むごたらしい写真、中国人の方の悲惨な体験談はないとわたしは思います。



第二次世界大戦中(WWII)、私の祖父祖母も戦争を長崎、福岡で体験しています。聞くと私の祖母の父は、戦時中、マレーシアの近くのビルマ(現在のミャンマー)に兵士としていっていたそうです。私はどれだけ、祖父、祖母が苦労してきたのか幼いころから、そして今でも話を聞いています。食べ物がなく、親戚家族(祖母のいとこの小、中学生を含め)が一瞬で原子爆弾で丸こげになってしまったこと。。。祖母は8人のしたの兄弟の世話で学校にはいかず、また、小学校6年生のころから 街に1人で住み込みで働きにでていました。料理をつくり、毎日掃除をし、お金は全部家に送るという生活をしていたのです。今私たち日本人は、戦争の恐怖では過ごしていません。(残念ながらまだ世界の国々では戦争が続いていますが)それは、私たちの祖父、祖母世代の大変な苦労、努力の上にあることを忘れてはいけません。


私たちは、太平洋戦争について、小、中、高と学校でも勉強する機会がありますが、、、どうでしょうか?アメリカと日本の間のことを中心に学びます。終戦記念日、原爆投下 広島、長崎の日、誰もが知っていると重います。黙祷をしたりもします。 では、私たちは同じように、太平洋戦争中、アジア諸国に日本が攻めて行きそこで何があったのかしっているでしょうか?毎年黙祷をささげているのでしょうか?知っておられたり、されている方もおられると思いますが、、、私の周りではそういった同い年の人は見てないですし、小さいころから平和学習といったら、アメリカ日本間のことをやってきました。若い私たちは、何が靖国問題か、どうしてアジア諸国の方が今でも反日感情を持っているか、ほとんどの人が詳しく知らないと思います。ただ、年号や事件の名前は知っていると思いますが。。。言い方は悪いですが、、、世界中どのくにでも、被害を受けたことはより勉強します。でもしたことはそれ以上は知らないと思います。


海外にでて、その歴史を知らないことが すごく恥ずかしいことなんだと思わされました。はじめは、”そんなん歴史なのに、わたしに言われたって、、、何号と教科書で呼んだくらいしかしらんし。”と思っていましたが、何も知らなかったから ”いやみ”やんっと思っていたんだと思います。今でも、戦争の話をしたりすることもありますし、映像なんかを見たりすることもありますが、ただただ、国は違いますが今は”もうこんな戦争ないようにね。。。”と、自分たちがアメリカにいたこと、中国人の彼らの祖父母、日本人である私の祖父母のことも思いながら話しています。兵隊になっていかれたかたも、たくさんの方がなくなり、「誰も死ぬときに天皇万歳なんていう人はおらんとよ。お母さん、お母さんっていって逝かれたとよ」と祖母は言います。私が日本のその歴史について説明し、違うところはこうだっと説明することもできます。もう歴史を変えることはできまでんが、知るそして認めるということはしなければいけないと思います。


ほんとうに、歴史を知って、認めることが、海外に出てるからとかそういったことではなく ひとつ日本人としての義務なんだと思います。外国人の人と話す機会がないとか、そんなことではなくて、自分のことを思い返しても、”知らない、関係ない”っていったことが罪であり、恥なんだって思います。日本がひどいことをしたことは、正直見たくないですが、”そんなの歴史なのに。”などといっていることが、戦争体験者のかたの苛立ちをもっと高めてしまうことになっているのです。実際、向こうの方からは”日本人は何も知らない”と思われていることは事実です。(国によって戦争の見方が違うのでむずかしいですが。。。)


マレーシアで彼らのとこに泊めてもらいますが、戦争のことで”日本人は”ということはいわれません。向こうの両親も私個人としてみてくれます。”its history. you didnt do anything and we treat people individually"と気にしていたらいわれました。でも、その事実を私が知っていることで、娘って呼んでもらえるようなもっと深いとこまで打ち溶けられるんだと思います。そして、日本ではも私の戦争体験者の祖父母に彼らの体験などを話すことで”国とか関係なく、これからは平和が続かないとね”と強く願えるんだと思います。




2週間、Malaysia trip です:)

ClosefriendとBoyfriendに会いにいきますはーと



福岡→Thai,(Bangkok) → Malaysia(Kuala Lumpur) → Malaysia(Miri)と1日かけての飛行機での移動でした。乗り継ぎしたりして、13時間くらい。



たまたま、Thai(Bangkok)→Malaysia(Kuala Lumpur)で、隣の席になった、マレーシアン チャイニーズの女の子と仲良くなりました。彼女は台湾の方に中国語教師になるための研修に行っていたそうです

すぐ、仲良くなって帰国してからも連絡を取り続けていますメール


夜中0時ごろMiriについたのですが、空港に家族そろってお迎えにきていてくれました!

Thank u so mush笑顔


2週間、楽しい日々のStartですハイビスカスサマーやしの木









今日は大学がイースターの次の日でおやすみ。


いつも、10時から授業で、、、夜2時とか3時に寝ちゃうから、おきるのは9時とかおそくなっちゃう。。。


だけど、今日は7時前にはおきて、Breakfastとりにいってきましたトースト



曇りの一日になっちゃうみたい。朝の気持ちがいい景色を写真におさめたくて

愛用のカメラさんを朝ごはんにつれていきましたカメラ



でも大学の写真をちょっととりました。。。なんか写真のサイズの関係で調節しないと載せれない、、、


ので、今度Blog書くときに、Floridaの写真なんかといっしょにのせますsei




日本帰国まであと26日(?)帰国と同時に20歳になるので。。。

さいごの10代はアメリカで、、、アメリカUSA


精一杯今日できることをするのみです、、、


本日はOld Englishの本のBook Reviewと、Toeflのべんきょー、あとバイオリンの練習かな、、、今度コンサートだからちょこっとかじんなきゃ、。、。バイオリン2ってとこです。




日本にいるみんなは新学期が始まったばっかなのかな??

毎日、Positiveに一緒にがんばろーーーね星