記憶療法の可能性
昨日、ためしてガッテンで記憶についてやっていた。
正確には『記憶脳を刺激する!最新科学ワザ』というタイトルで、主に高齢者の「物忘れ」「ど忘れ」という現象に焦点をあてている。が、記憶のメカニズムはヒトである以上老若男女同じなので、子供だろうと大人だろうと関係なく同じことが言えるのだろう。
さて、この番組を見ていて思い出したのが記憶療法だった。
大まかにいえば記憶術や記憶法を使い、脳(記憶機能)のリハビリと、自己評価の向上・精神の安定を得るのが目的の心理療法だ。
※抑圧され忘れていた記憶を取り戻す類のものとは、名称が似ているがかなり性質を異にする
私がどんな経緯でこれを知ったのかよく覚えていないが、時系列で考えると、自分なりに当時の状況から抜け出したくて調べたのかもしれない。
それはともかく、今調べても記憶療法についてはこの勝俣氏しかヒットせず、氏の消息はともかく現在記憶療法そのものがどうなっているのかはよくわからない。恐らく“脳トレ”ブームに吸収されたのだろうと思うが、これはただの憶測である。
何故突然『記憶療法』を思い出したのかと言うと、ガッテンの“記憶力を取り戻した”という人々の顔が、本当に嬉しそうで晴れやかだったからだ。
憶えておきたいことを憶え、思い出したいものを思い出す。
ただそれだけで人生に光が差すということは、確かにあるのかもしれない。
私も現在この方のblog記事や本を読んだり記憶法セミナーを受講したり、他色々な書物に手を出したり、自身で試行錯誤して下手すると勉強そのものよりも『記憶とは何か』に触れているが、『勉強する』行為そのものではなく『アタマの使い方を知り、使う』という行為がいかに快体験なのかを、身をもって実感している。
私は“アタマがいい”という現象を(何故現象と呼ぶかはここではおいておく)、以前は“元からアタマを使える”ということだと、思い込んでいた。
私自身はIQテストなどでは比較的高数値を出していたが、“アタマがいい”と自分のことを思ったことは一度もなく、どちらかといえば、愚鈍で無知蒙昧な底辺の人間だというセルフイメージが強かったのである。
おかげで、稀に「君はアタマが良いから」と言われると、“お前はアタマがおかしくて理解できない”と拒絶されたようでいたく傷ついたものだ(要するに、皮肉に聞こえていた)。何というか、これこそアタマの悪い話である。
さすがに今現在は、「まあ、マシなほうだろう」ぐらいにはなっている。少なくとも学力に関してはある程度の自信(ポテンシャルに対するものだが)を持ち、アタマの良い悪いは考えもしなくなった。
今はどちらかと言えば、アタマの使い方について考える日々だ。
アタマの“使い方”に必要なのはテクニックであり、ツールなのだと思う。
そのうちの一つが(あるいはかなりの領域をカバーしているのが)“記憶”の分野だろう。
先の記憶療法で、一番効果が出るのは恐らく『自分は頭が悪い』といったような自己評価の低い人で、後は努力するしかないと悲壮な覚悟により頑張り過ぎて疲弊したり、あるいは色々と諦めてしまった人なのかもしれない。
『記憶』し『テスト』する。点数はあくまでも結果だが、思い出せた!ということそのものが成功体験なのだから、日常的に積み重ねやすい。成功体験を積み重ねることで自己評価は上がり、それは自信と安定に繋がるだろう。
塾や学校で同じような効果を結果として得る事もあるかもしれないが、通う人(通わせる親)はそれだけを求めているわけではあるまい。
その効果のみを求め、“療法”として確立することに何らかの可能性を感じている。
……それにしても、このガッテン、たまに見ているしHPもチェックすることが多いものの、進行がどうしても“タルい”ので集中して見るのが少し辛い。バラエティとしての体裁と、幅広い層に合わせてある作りなのだから仕方ないが。
まあ還暦の母や90近い祖母すら早回しで見ていることが多いので、ひょっとしたらただじっと座って見ていられない血筋なだけかもしれないが……。
正確には『記憶脳を刺激する!最新科学ワザ』というタイトルで、主に高齢者の「物忘れ」「ど忘れ」という現象に焦点をあてている。が、記憶のメカニズムはヒトである以上老若男女同じなので、子供だろうと大人だろうと関係なく同じことが言えるのだろう。
さて、この番組を見ていて思い出したのが記憶療法だった。
大まかにいえば記憶術や記憶法を使い、脳(記憶機能)のリハビリと、自己評価の向上・精神の安定を得るのが目的の心理療法だ。
※抑圧され忘れていた記憶を取り戻す類のものとは、名称が似ているがかなり性質を異にする
私がどんな経緯でこれを知ったのかよく覚えていないが、時系列で考えると、自分なりに当時の状況から抜け出したくて調べたのかもしれない。
それはともかく、今調べても記憶療法についてはこの勝俣氏しかヒットせず、氏の消息はともかく現在記憶療法そのものがどうなっているのかはよくわからない。恐らく“脳トレ”ブームに吸収されたのだろうと思うが、これはただの憶測である。
何故突然『記憶療法』を思い出したのかと言うと、ガッテンの“記憶力を取り戻した”という人々の顔が、本当に嬉しそうで晴れやかだったからだ。
憶えておきたいことを憶え、思い出したいものを思い出す。
ただそれだけで人生に光が差すということは、確かにあるのかもしれない。
私も現在この方のblog記事や本を読んだり記憶法セミナーを受講したり、他色々な書物に手を出したり、自身で試行錯誤して下手すると勉強そのものよりも『記憶とは何か』に触れているが、『勉強する』行為そのものではなく『アタマの使い方を知り、使う』という行為がいかに快体験なのかを、身をもって実感している。
私は“アタマがいい”という現象を(何故現象と呼ぶかはここではおいておく)、以前は“元からアタマを使える”ということだと、思い込んでいた。
私自身はIQテストなどでは比較的高数値を出していたが、“アタマがいい”と自分のことを思ったことは一度もなく、どちらかといえば、愚鈍で無知蒙昧な底辺の人間だというセルフイメージが強かったのである。
おかげで、稀に「君はアタマが良いから」と言われると、“お前はアタマがおかしくて理解できない”と拒絶されたようでいたく傷ついたものだ(要するに、皮肉に聞こえていた)。何というか、これこそアタマの悪い話である。
さすがに今現在は、「まあ、マシなほうだろう」ぐらいにはなっている。少なくとも学力に関してはある程度の自信(ポテンシャルに対するものだが)を持ち、アタマの良い悪いは考えもしなくなった。
今はどちらかと言えば、アタマの使い方について考える日々だ。
アタマの“使い方”に必要なのはテクニックであり、ツールなのだと思う。
そのうちの一つが(あるいはかなりの領域をカバーしているのが)“記憶”の分野だろう。
先の記憶療法で、一番効果が出るのは恐らく『自分は頭が悪い』といったような自己評価の低い人で、後は努力するしかないと悲壮な覚悟により頑張り過ぎて疲弊したり、あるいは色々と諦めてしまった人なのかもしれない。
『記憶』し『テスト』する。点数はあくまでも結果だが、思い出せた!ということそのものが成功体験なのだから、日常的に積み重ねやすい。成功体験を積み重ねることで自己評価は上がり、それは自信と安定に繋がるだろう。
塾や学校で同じような効果を結果として得る事もあるかもしれないが、通う人(通わせる親)はそれだけを求めているわけではあるまい。
その効果のみを求め、“療法”として確立することに何らかの可能性を感じている。
……それにしても、このガッテン、たまに見ているしHPもチェックすることが多いものの、進行がどうしても“タルい”ので集中して見るのが少し辛い。バラエティとしての体裁と、幅広い層に合わせてある作りなのだから仕方ないが。
まあ還暦の母や90近い祖母すら早回しで見ていることが多いので、ひょっとしたらただじっと座って見ていられない血筋なだけかもしれないが……。