レーシックの手術を受けて約20年、
年月の経過と共に忘れていく...
なんて事は全くない。
繰り返し込み上げてくる怒りと恨み。
あれからあの病院は?
私の事はどういう扱いになっているのか?
医療裁判は難しいと周囲に言われて諦め、
治療と生活を優先したけれど...
やはり納得がいかない!
手術自体の失敗が原因ではないにしろ、術前診察の不十分さと見誤った可能性はある。
更に不具合について私への対応。
とても真摯に向き合ってくれたとは思えない。
今後の為にも、この状況を認めて分析し、私の症例がデーターとして加えられるべきだと思う。
あの時の院長の態度からは、ごまかす、逃げる、保身、隠す...という言葉しか浮かばない。
誠意の欠片も無かった。
私が通院しなくなり、さぞホッとした事だろう。
どうすればいいか悩んでくれたのか?
いや、私の為にではなく自分の為にどうやって丸め込もうか頭が痛かったのでは?と、容易に想像出来る。
いつ又、来院するかとしばらく怯える日々を過ごしてくれていたことを願ってしまう。
心から心配し最善を尽くすという気持ちが少しでも感じられていたら...
こんな気持ちにはならなかったかも。
少しは苦しんでいて欲しいと思ってしまう。
生活が落ち着いた頃、何度か病院に電話してみようと思った事がある。
私の事覚えていますか?
先生、気付いていましたよね?
円錐角膜である事を。
希望に満ちていたはずがハンディを抱える人生になってしまったと。
どんな反応するのか?
私のカルテはもう無いかもしれないし、あってもとっくに手を加えられてるかもしれないな...
途中から勝手に通院しなくなったのだから、もう診察出来ないって言われても仕方がない。
手術には必ずリスクがある。
そういった同意書にサインもした訳だし。
10年以上経過した頃、ネットで検索してみた。
あの病院は今...
ちゃんときれいなホームページがあった。
場所は変わり、以前のように院長は全面に出ていない。
レーシックが一般的になり、後継者も居るだろう。
明らかに規模が拡大し、安泰な様子が何だかとても白々しく見えて仕方がない。
私のように陰で苦しんでいる患者を掻き消すように、そしてその上に成り立った虚栄にしか見えない...