(2024年2月のお話です)

 

 

術後1日目、母は腹痛と戦っていたようでした。

また、生理並みのひどい血尿も出ていたそうです。

 

 

両方とも、術後なのでそのような症状が出るのは術前に医師からも説明を受けていて痛み止めを服用すればなんとか治まるようでしたが、LINEで連絡をもらう限り辛そうな感じがしました。

 

 

医師からは当初、術後2日で退院ができるとのことでしたが、この腹痛と血尿の中、明日退院するの?と驚いた記憶があります。

 

 

 

 

コロナ禍のため、入院中の面会は一切禁止でしたが、私の従姉妹(母からしたら姪)がその病院で働いていたため、事務手続きがてら母の様子を見舞ってくれて何度かLINEをしてくれていました

 

 

姪の前では痛みはあったと思いますが、元気そうに振舞っていたようです。

 

 

また、手術を担当してくださった泌尿器の医師も、何度も母の病室を訪ねてきてくださったようで、母からは「その先生の笑顔にすごく救われるのよ」と嬉しそうなLINEが来ていました。

 

本当、母は人に恵まれているなぁとまた感じた瞬間でした。

 

 

 

 

 

そんなこんなで、予定の退院日、母に連絡を入れるとやはり「血尿がひどいから、退院やめたわ」と連絡がありました。

 

 

血尿は少し薄くはなっていたものの、腹痛も昨日よりは良くはなったものの、まだ腹痛があるためCTを撮ってステントの状態をその日は確認していたようでした。

 

結果、ステントはちゃんと入っており、問題はないとのことで、術後の回復が少し遅いのかもとのことでした。

 

 

 

夕方、再度血尿を診てもらうとこの程度であれば、大丈夫とのことで、翌日の退院が決まりました。

 

 

 

 この4泊5日の入院中、祖母と父が実家で2人暮らしでしたが、前回も書いたように妹たちや叔母たちがその間、実家を訪ねてくれていました。

 

 

また慣れないLINEで祖母が作った夜ご飯の写真を父が家族グループLINEに送信したりと、父なりに母へ心配をかけないようにしていたようにも感じました。

 

 

 

父は本当にスマートフォンに慣れていないので、誤字たくさんでしたが、それも御愛嬌で見ていて微笑ましかったです。

 

 

こんな感じで、なんか1文字違うとかよくあるけど、話は通じる(笑)
 

 

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで総合病院での入院生活と通院は退院とともに終了しました。

 

 

帰り際、主治医が両親と話してくださり「何かあればまたいつでも見ますからね」と言っていたそうです。

 

本当ここの総合病院でもたくさんお世話になり、感謝でした。

 

 

同じ福島県内なので、何かあればすぐかかれるところがあるというだけでも安心感があり、ありがたい限りです。

 

 

 

 

母の退院が決まり、その日に私は都内のセカンドオピニオンにて検査入院の予約を取りました。

 

 

私も付き添いたかったため、私が仕事休みの日にしてもらい、退院から1週間後に検査入院をすることが決まりました。

 

 

そして、その頃、先月妊娠が発覚した妹から、「心拍聞こえなかったから、今回は厳しいかもしれない」とLINEがありました。

 

真ん中の妹とその事実を聞いて「お母さんの生きる希望の一つだったのにね」と妹からLINEが来ましたが、私からしたら「じゃぁ、妹の孫がまたできて無事に生まれてくるまでまだまだ生きてもらわないとね」と前向きに転換!!!でした。

 

 

退院したばかりの母にも妹から直接伝えたようでしたが、私達の心配をよそに「残念だったけど、こればかりは仕方ないね、初期は珍しいことではないから」とあっさりだったようで、少し安心しました。

 

 

とはいえ、母の件があり、生と死というのを本当に身近に感じていたので、妹の件も私の中では結構こたえるものがあったので、母もきっと思うところがたくさんあったと思います。