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(*´∇`)ノ    Yu-ju    &

るっちゃん です ♡ ฅ^._.^ฅ 


今日も奇跡のコースの学びと

ホーリースピリットからの

メッセージ&オラクルカードを

お届けします♡


今日もご覧いただき

ありがとうございます💖


この情報を必要とされるかたへ

届けられることを意図しております



今日のオラクルカード


私たち集合意識全体が今

受け取る必要があるメッセージを意図して

カードを引いています



クレヨンを使う時間


左脳ばかりに頼って、物事を正しくしようとして時間を使いすぎることがあると思いますが、自分の創造性や芸術性にも目を向けましょう。エゴにとらわれず、内なる芸術家を解き放ちましょう!想像力を働かせて楽しいことを見つけてみてください。絵を描いたり、歌ったり、ダンスをしたり、新しいことに挑戦したりしてみましょう。ただ頭で考えるのではなく、心を表現することが大切です。あなたのハートの奥深くにあるワクワクに気づいてください。

今、あなたは、考えすぎ、分析しすぎ、そして左脳に偏りすぎているかもしれません。より高次の波動、自由なスピリットに基づいた第六感型の生活に気づいてください。インスピレーションが何であっても構わないし、創作したものがどんな出来栄えでも構いませんから、とにかく、あなたが自分の芸術的な魂を表現しあなた自身を気持ち良い波動の流れにしっかりと戻すことが大切です。あなたはもっと自由で良いのです。



奇跡のコースについて

『奇跡のコース』(ACIM ・A course in miracles)は40年以上にわたり、悩みや問題にとらわれずに真の自分の人生を生きるための心のトレーニングとして、宗教や文化を超え、世界27か国以上に翻訳され、学ばれています。

エックハルト・トール、ディーパック・チョプラ、ジェラルド・ジャンポルスキー、ニール・ドナルド・ウォルシュ、など名だたるスピリチュアルリーダーたちが引用しそれを伝えています。

このコースは、かつて無神論者であったニューヨーク、コロンビア大学臨床心理学教授ヘレン・シャックマンが「イエス・キリストの声」を聞き取り、7年にわたりまとめ上げたものです。

奇跡のコースは自習書であり、テキストとワークブックを通じて奇跡の思考体系を理解し、具体的に毎日その思考を当てはめていく365の心のトレーニングがあります。


ワークブックを中心としたブログはよくお見かけするので、ここではテキストを中心に掲載して行こうと思っています。

以前のテキストは、2024年1月7日からのブログに掲載しています。


テキストは難解だと言われていますが

意味が理解できなくても

ただ受け取ることだけを意図して

読み進めていってください。とのことです。



テキスト第三章 無垢なる知覚
Ⅵ 裁きと権威の問題


テキスト第三章 無垢なる知覚

Ⅵ 価値判断と権威の問題(大内版)


1、私たちは最後の審判について既に話し合いましたが、詳細については十分に話し合いませんでした。最後の審判の後には価値判断はなくなります。知覚を超越したところには、価値判断(ジャッジ)は存在しないが、ゆえに、価値判断は象徴的なものです。聖書に、"人に価値判断を下すなかれ。あなた方も価値判断されないようにするためである"とありますが、その意味は、もしも他人の実在に価値判断を下すならば、自分自身の実在に価値判断を下すことを避けられないということです。


2、知るよりも、価値判断する選択をすることが安らぎの喪失の原因です。価値判断は、知識ではなく、知覚が依拠する過程です。私はこのことについて前に知覚の選択性と言う観点から論じましたが、評価が知覚の明白な前提条件であることも指摘しました。価値判断には常に拒絶が伴います。価値判断は、あなたが対象であれ、他人が対象であれ、価値判断されているものの、肯定的な側面だけを強調するということは決してありません。知覚され拒絶されたもの、あるいは価値判断されて欠けたところがあるとみなされたものは、知覚されたが故に、あなたのマインドに残ります。あなたが苦しんでいる幻想の1つは、否定的に価値判断したものは、いかなる影響力ももたないと言う信念です。否定的に価値判断したものが存在していないと信じているのでなければ、これは真実ではありません。あなたがこれを信じていない事は明らかです。さもなければ、それを否定的に価値判断することはしなかったはずです。最終的には、あなたの価値判断が正しいか、間違っているかは問題ではありません。いずれにしても、あなたの信念を実在しないものに置いているのです。これはいかなる様式の価値判断においても避けることはできません。なぜなら、それは実在とはあなたが自由に選択するものであると言う信念を暗示しているからです。


3、価値判断を全くせずに、あなた自身そしてあなたの兄弟と会ったときに訪れる途方もない開放感と深い安らぎは、あなたには想像もつきません。あなたが誰であるか、あなたの兄弟が誰であるかを認識すると、いかなる意味においてであれ、あなたそしてあなたの兄弟の価値判断をする事は無意味であることを実感するでしょう。実際のところ、彼らに価値判断を下していると言うまさにその理由で、彼らの意味はあなたにとって失われてしまいます。すべての確信のなさは、自分が価値判断の支配下にあると言う信念から生じています。人生を組織だったものにするのに価値判断は必要ではなく、自分自身を組織立てるのにも価値判断が必要でない事は確実です。知識の前にあっては、すべての価値判断は自動的に一時停止します。認識が知覚にとって代わるのを可能にするのはこの過程です。


4、あなたは知覚しながらも受け入れる事は拒否しているすべてのことを非常に恐れています。受け入れることを拒否したが故に、それを抑制できなくなってしまったと信じています。これが原因で、悪夢の中でそれを見ます。あるいはもっと楽しく偽装された場合には、より幸せな夢と思われるようなものの中でそれを見ます。あなたが受け入れることを拒否したものは、いかなるものといえども自覚される事はありません。それは、それ自体においては危険ではありませんが、あなたが、自分にとって危険に見えるようにしたのです。


5、あなたが疲れを感じる時、それは、あなたが自分自身を疲れさせることができると価値判断したからです。誰かを嘲笑する時、それは、あなたがその人には価値がないと判断したからです。自分自身を嘲笑すれば、自分は他の人たちよりも価値がないと言う考えを許せないと言うただそれだけの理由であったとしても、他の人たちをも嘲笑しなければなりません。こうしたことの全ては、本質的に気落ちさせるものであるために、あなたに疲れを感じさせます。あなたは実際には疲れることはできませんが、自分自身を疲れさせる能力は十分にあります。絶え間のない価値判断の重圧は、事実上耐えがたいものです。

これほど人を弱くする能力が、実に深く尊重されると言うのは不思議なことです。しかしながら、あなたが実在の作者になることを望むとすれば、価値判断を手放す事はしないでしょう。あなたはまた、恐れの目で価値判断を見ます。それは、価値判断がいつの日かあなたに対してなされるだろうと信じているからです。この信念は、あなた自身の権威を防御する武器として価値判断がどの程度有効であるとあなたが信じているか、その程度だけ存在することができます。


6、神は慈悲心だけを差し出されます。あなたの言葉は、慈悲心だけを反映するべきです。なぜなら、それが、あなたが受け取ったものであり、したがって、あなたが与えるべきものだからです。正義は一時しのぎの便法であるか、または、あなたに慈悲心の意味を教えようとする試みです。正義は価値判断的ですが、その理由はただ1つ、あなたには非正義をする能力があるからです。


7、私は異なった複数の症状について話してきました。そのレベルにはほとんど果てしない多様性があります。しかしながら、それらの全てには1つの原因しかありません。権威の問題です。これが諸悪の根源です。エゴが作る症状はどれも言葉における矛盾を内包しています。なぜなら、マインドはエゴと聖霊とのあいだで分裂しているため、エゴが作るものは何であれ不完全であり、矛盾しているからです。この支持不可能な立場は、権威の問題の結果ですが、権威の問題は1つのとんでもない思いを前提として受け入れるが故に、思いもよらない考えしか生み出すことができません。


8、権威の問題は、実際には、誰が作者であるかと言う問題です。権威の問題を抱えている時、その理由は常にあなたがあなた自身の作者であると信じているからであり、あなたの妄想を他人に投影するからです。それから、あなたはその状況を他の人たちがあなたの作者としての権利を奪おうとしてあなたに戦いを挑んでいる状況として認識します。これが、神の力を強奪したと信じている人々の基本的な過ちです。この信念は彼らにとっては非常に恐ろしいものですが、神を悩ませるものではありません。

しかし、神はそれを解除することを切望しておられます。それは、神の子供たちを罰するためではなく、それによって子供たちが不幸になっていることを知っておられるというのが唯一の理由です。神の創造物の真の作者は神ですが、あなたはあなたの作者から分離する選択をするとき、匿名であることを好みます。あなたの真の作者が誰であるかに確信が持てないために、あなたと言う存在の作者は匿名であるとあなたは信じます。これによってあなたは、自分が自分自身を創造したと信じることが意味ありげに思われる立場に置かれることになります。誰が作者であるかと言う論争は、あなたのマインドの中に大変な不確実性を残しているために、あなたのマインドはあなたがそもそも本当に存在するのかどうかさえ疑い出すかもしれません。


9、拒絶したいと言う願望を全て明け渡す者だけが、彼ら自身を拒絶する事は不可能であると知ることができます。あなたは神の力を強奪したのではなく、それを失ってしまったのです。幸いなことに何かを失うということはそれがなくなったことを意味するものではありません。それがどこにあるかを思い出せないと言うことを意味するだけです。その存在は、それを識別するあなたの能力にかかっているわけではなく、その場所を発見する能力にさえ依存していません。価値判断抜きで実在を見て、それがそこにあることをただ知る事は可能です。


10、やすらぎはスピリットの当然の遺産です。誰でも自分の遺産を受け取ることを拒否する権利はありますが、自分の遺産が何であるかを定める自由はありません。誰もが結論を下さなければならない問題は、誰が作者であるかと言う根本的な問題です。すべての恐れは、ときには非常に曲がりくねった道を経由しますが、究極的には神が作者であることを否定することから来ています。これは神に対しては決して侮辱になる事はなく、神を否定する人に対してのみ侮辱となります。神が作者であることを否定することは、あなた自身に安らぎの根拠を否定することです。その結果、あなたは自分自身が様々に区分されたものとしてしか見えなくなります。この奇妙な知覚が権威の問題です。


11、何らかの意味で幽閉されていると感じていない人はいません。もしもこれが人の自由意志の結果であるとすれば、その人は自分の意思は自由ではないとみなさなければなりません。そうでなければ、この立場における推論の堂々巡りは極めて明らかです。自由意志は自由につながらなければなりません。価値判断は常に幽閉します。なぜなら、不安定な願望の尺度によって現実の様々な区分を分離するからです。望みは事実ではありません。望む事は意思を持つだけでは充分でないことを暗示します。しかしながら、正しいマインドの状態にある人で、望む事は意図することと同程度に実在的であると信じる人はいません。"汝、まず天国を求めよ"と言う代わりに、"汝、まず天国を意図せよ"と言うならば、"私は私が何であるかを知っています。そして、私は私自身の遺産を受け取ります"と言ったことになります。



《テキスト精読・大畑版》

VI. Judgment and the Authority Problem

判断と権威問題 


『最後の審判』についての詳しい議論は、Chapter 2 の VIII で行われた。いい機会なので、復習することをお勧めする。簡単に言えば、ACIMの説く最後の審判は、この世界の最後の最後に、神が人々の所業の善悪を審判して天国行きと地獄行きを決定するという、世間一般で考えられているものではない。イエスの語る最後の審判は、神の子として再生するための入り口であって、それをあなたに促すホーリー・スピリットの主導する判断のことである。ホーリー・スピリットはあなたを、完全に無辜(むこ)な神の子だと判断するので、その判断を受け入れて、神の子として再生せよ、という意味である。これが最終的な判断であるので、その後にあれこれ判断する必要はない。

ところで、我々の言う判断とは、頭脳による評価判断のことなのだが、ホーリー・スピリットの判断はそうではない。叡智による真実の表明のことである。こういう実相的な判断は、今のあなたには出来ない。だから、頭脳による偽の判断を捨てて、ホーリー・スピリットの判断に委ねよ、ということなのだ。最後の審判とは、したがって、ホーリー・スピリット(あるいは神)による究極的な実相的判断であり、真実が明かされる瞬間のことなのである。


ACIMは自他一如の思想である。他者を判断することは、とりもなおさず、自分自身を判断することにつながるのだ。たとえば、あなたが誰かを悪者だと判断して憎んだとすれば、あなたはあなたの実像をその他者に投影し、そのイメージを悪者だと判断していることになる。つまり、あなた自身の憎むべき部分を悪者だと判断しているわけだ。では、どうすればいいか。判断を放棄するのである。そして、投影したイメージを幻想だと認識して、その他者を赦すのである。赦しは ACIM の最大のテーマである。


頭脳による理性的判断は、幻想世界の情報を処理するためだけのプロセスであって、実相世界の真実を知ることは出来ない。実相的真実の把握は、叡智による直覚というプロセスによる。あなたが判断を選んで幻想にとどまる限り、あなたは心の平和を失うことになる。


知覚の前提条件は評価である。知覚は対象を、良し悪し、美醜、などを評価判断することで成り立っている。それが必要条件、前提条件。対して、叡智による対象の把握の仕方は、評価判断を前提としない。


知覚されたものは、頭脳で評価判断され、その情報は記憶に蓄えられる。知覚されたものは心に残留するのだ。もちろん、無意識の中に押し込まれてしまうこともある。意識されない残留物、これが非常に厄介だ。


たとえば、あなたが誰かを悪いと判断したとしよう。悪いと判断し憎んだとしても、それによって他者が良くなるわけでもないし、あなたの憎悪が愛に変わるわけでもない。判断したところで、その結果が現れることはないとあなたは信じ、苦しんでいる。しかし、それは幻想である。負の判断、憎悪の感情は、確実にあなたの無意識の中に蓄積されていく。目に見えないところに結果を生んでいるのだ。しかし、それさえも、実は幻想である。


あなたが判断した対象は存在さえしていないのだと信じることが出来れば、あなたの判断は結果を生まないということは真実である、ということ。あなたが判断した対象が実在していると信じる限り、あなたはその結果が現れてこないと思って苦しむだろうが、実は結果はあなたの無意識の中に蓄えられる。恐れや憎悪は心の中に結果を生む。しかし、もしあなたが、判断する対象は実は幻想に過ぎず存在さえしていないと信じることが出来れば、もちろん判断の結果自体も存在してはいないし、心の中に結果を残すこともない。知覚と頭脳が判断したことは、本当は、存在しない。そう信じきれるなら、幻想や錯覚から自由になって、真実の中に住まうことができる。しかし、そう信じられないなら、幻想と錯覚はいつまでも続き、真実に帰ることが出来ないのだ。


この世という幻想や錯覚のレベルでは、知覚や判断に限らず、いろいろな問題(症状)が無数に発生する、ということ。幻想世界は二元論世界であり、たとえば、愛は対極に憎悪をもっていて、2つのベクトルが互いにせめぎ合って無数のバリエーションを作り出す。また、たとえば、肉体と精神の問題もしかりである。二項対立は無数のコンフリクトを生み出すのだ。


「エゴが作り出すすべての症状は、言葉の矛盾を含んでいる」。エゴは二元論世界の『権威』であるから、たとえば、愛を分裂させて、愛と憎悪を作り出す。愛と憎悪は矛盾した二つの言葉であるが、エゴにとっては、これが好都合なのだ。「なぜなら、心はエゴとホーリー・スピリットの間に裂かれ、その結果、エゴの作ったものは何でも不完全で矛盾を含んでいるからだ」。心はエゴとホーリー・スピリットの対極に分裂し、それを象徴する形で、エゴは対立概念を作り出す。たとえば、ホーリー・スピリットの愛に対してエゴは憎悪を突きつける。しかし、この二つは対立言語であり、矛盾を生み出す。また、たとえばエゴは、この幻想の世に生きる我々の肉体を作った。しかし、この肉体は病を発症し、やがて老化し、死に至る運命にある。肉体という存在を与えておきながら、死という形でその存在を奪うとは、まさに『言葉の矛盾』である。なぜなら、肉体は生と死が同居した不完全な存在体だからだ。


肉体の生と死に見られるような、矛盾した状況は決して受け入れがたいものだが、それは権威問題の結果である。前提条件として、エゴに権威を与えてしまったために、すべての受け入れがたい状況が生まれてしまった、ということ。権威問題とは、簡単に言えば、誰がいったい一番の権利をもっているか、という問題である。では、この世界の最高の権威者は神であろうか? しかし、ACIMは、神がこの世界を創ったのではないと主張する。では誰がこの世界を作ったか? 我々の心に潜むエゴが、幻想としてこの世界をでっち上げたのだ。しかも、その幻想世界に住む我々は、エゴに最高の権威を与えてしまった。エゴを偶像崇拝しているのだ。しかしその結果、我々は受け入れがたい状況に直面する。この世に横行する不幸と絶望、その悲惨さを見れば、他に証明はいらない。永遠であるべき命さえ、エゴによって肉体の中に閉じ込められ、死という運命を与えられてしまったかに見えるのだ。

ACIMは、我々の心の悲惨さは最高の権威をエゴに与えてしまったところから生じると言う。これが権威問題である。そこで、我々が本来あるべき姿に回帰するには、権威をエゴから奪取し、我々を創造した神に返還する必要があるわけだ。なぜなら、真に存在する実相世界はエゴの世界ではなく、神とスピリットの世界だからだ。エゴは幻想の世界の錯覚(偶像)に過ぎない。我々は、存在さえしないエゴに騙されて生きているのである。むしろ、我々は、エゴという偶像をでっち上げ、エゴを崇拝することで自分自身を騙しているのだ。偶像に支配されれば、自分の責任から逃れることが出来るからだ。


★URLから、全文の精読を読むことをおすすめします。


奇跡のコースの原文は英語ですので

訳者によって、表現に違いがあります。

各先生方のテキスト翻訳の

URLも載せてありますので、

是非、参考になさってください。


文章・URL等掲載させていただきました各先生方に

心より感謝致します。



神の平和は

今、私の内で輝いています

その平和の中で全てのものが

私を照らすように

そして私に

自分の内なる光で

全てのものを祝福させてください



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差し上げておりますオリジナルエナジーカードです✨




HSいつも導きをありがとう (❛ᴗ❛人)✧

いつも皆様の光と繋がり

愛を広げることを意図しています


では、みなさま、今日も

ホーリースピリット(HS)と一緒に

素敵な1日を!


感謝を込めて ♡ Yu-ju  &  るっちゃん


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